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花の百名山シリーズ⑩ 田代岳

  • 高層湿原を有する田代岳(1,178m)は、古くから水田信仰の霊峰である。五穀豊穣の神「白髭直日大神(しらひげおおなおびのおおかみ)」を祭る田代山神社は、半夏生(毎年7月2日)に祭りが行われる。
  • 田代岳九合目の高層湿原には、大小合わせて161個の池塘が散在している。その池塘は「神の田」と呼ばれ、そこに自生しているミツガシワを「稲っこ」と称して、その花のつき具合や根の張り具合などの生育状態、池塘の水の張り具合で、その年の稲作の豊凶を占う伝統的慣習が今なお伝承されている。(写真:ミツガシワが生えている神の田から田代岳山頂を望む)
  • 荒沢登山口コース 標高差約540m、距離4km 所要時間2時間半 下り2時間弱
     荒沢登山口(標高640m)3合目(830m)4合目(850m)5合目(890m)9合目田代湿原(1,115m)田代岳(1,178m)・・・(取材日:2015年7月3日)
▲山瀬ダム「五色湖」 ▲山瀬ダムから荒沢登山口まで13.5km
  • 国道7号線から山瀬ダム方向に進む。荒沢登山口は、山瀬ダムからさらに13.5kmも奥にある。タケノコ採りのシーズンは、入山料を徴収しているので注意。ちなみに今年の徴収期間は、H27年5月23日(土)~6月21日(日)、1人1日千円。
▲大広手登山口 ▲荒沢登山口の広い駐車場
▲荒沢登山口駐車場のトイレ ▲駐車場から登山口まで150m
  • 荒沢登山口の駐車場は、意外に広い。駐車場から登山口まで150mほど歩く。橋を渡ると、左手に登山口入口の看板がある。起点は、ブナの幹に「一合目」の標識と荒沢登山道案内板がある。その案内板によると、高層湿原まで徒歩1時間40分となっている。ただし、朝食と休憩、撮影等を加えると、2時間余りを要する。
  • 田代山開山1,160年記念(平成24年7月1日)・・・真新しい標柱には、「田代山開山1160年記念」と書かれていた。江戸時代の記録によれば、慈覚大師円仁(794~864年)が田代山頂に観音の像を納めたのが始まりとされている。
  • ○○合目・・・主に信仰の山で用いられ、登山口から山頂までを10分割したもの。ただし、測量を行って正しく等分されたものではなく、長い年月をかけて登山者の感覚で習慣的に付けられたものがほとんどである。だから山頂までの目安として使用し、正確には高度計で補うような登り方が良いであろう。
  • ブナ林の中を流れる小沢沿いに、良く整備された登山道を歩く。五感を使って、せせらぎの音を聞きながら森林セラピー体験を楽しむように歩けば、疲労も軽減され快適に歩くことができる。
▲ヤグルマソウ ▲咲き始めたばかりのエゾアジサイ
▲苔生すブナの森 ▲二合目  ▲迂回路分岐点 
  • 二合目を過ぎると、ほどなく迂回路分岐点。真っ直ぐ進むと沢沿いコースだが、濡れた岩盤や石が滑りやすいので注意が必要。左の迂回路コースは、沢沿いを迂回する林内コース。雨で増水する場合は、林内の迂回路コースを通るのがベスト。
▲沢沿いコース ▲三合目、山頂まで2.9km
  • 秋田の森の原風景は・・・「ブナの森」
     三合目から傾斜は緩く平坦でかつ広い道となる。道沿いのブナは、幹周りが太く、数百年ブナの老木が目立つ。登拝者のナタ目も、ほぼ100%ブナの幹に刻まれている。県南の神室山、焼石岳にしても、県北の八幡平、森吉山、田代岳にしても、山頂に至る前の道沿いは、全てブナの森に覆われている。イワナを追ってほぼ県内全域の沢々を歩いたが、例外なく100%ブナの森に突き当たる。さらに花の百名山を訪ね歩いて、尾根筋を歩いてみてもブナ、ブナ、ブナ・・・だから、「秋田の森の原風景は、ブナの森である」と確信するに至った。
  • ナタ目は古く判読できないものが多い・・・右端はかろうじて判読できたが、それでも「大正十年」と刻まれている。今から約100年も前に登拝した時のナタ目である。ブナの幹に刻まれた判読不能のナタ目の多さから、水田信仰の霊峰として崇められてきた歴史の深さを感じる。
▲ユキザサ
▲ツルアジサイ ▲ギンリョウソウ
▲大広手登山口分岐点(4合目) ▲五合目(890m)、山頂まで2.3km
  • 五合目は、荒沢登山口コースの約半分だが、右手から早口ダム上流の上荒沢登山口コースと合流する。登山口まで0.3kmと極めて近いのには驚いた。
▲森の巨人「母なる森ブナ」
  • 登山道周辺の植物・・・オオカメノキ、ミヤマガマズミ、タムシバ、ヨツバヒヨドリ、オオバキスミレ、ミヤマアキノキリンソウ、ムラサキヤシオツツジ、ナナカマド、ギンリョウソウ、シラネアオイ、ツルアジサイ、サンカヨウ、ユキザサ、イワウチワ、オクトリカブト、トガクシショウマ、クマガイソウ、マイヅルソウ、ヒトリシズカ、アズマイチゲ、ヤグルマソウなど
  • 五合目を過ぎると、傾斜が次第にきつくなるが、苔生す石の階段と木の根道が続くので歩きやすい。ブナの幹に巻かれた「六合目」、「七合目」、「八合目」の標識に励まされながら登る。太いブナ林の中に、ダケカンバが混じるようになると田代湿原は間近である。
  • ダケカンバ・・・森林限界では低木状になっているものが多いが、ここでは巨木が目立つ。
  • 登り始めてから2時間、まるで展望がなかったが、それがウソのように、突然、パッと視界が開ける。しかも、木道沿いに山の神様が耕しているかのような美しき棚田が連なっている。初めて登る登山者なら、まるで別世界に躍り出たような気分になるであろう。
  • 九合目田代湿原・・・ミツガシワが生える「神の田」より山頂を望む。
  • 大小の池塘が並ぶ田代湿原。霧に包まれると、池塘が神々しい田んぼに見えてくる。
  • 山頂にある田代山神社は、昔、「丸田神社」と呼ばれていたらしい。その名の由来は、山頂の田が円形であることから「丸田」と命名されたという。山頂に向かう途中、大小の池塘が並ぶ光景を見ていると、「丸田」とは・・・なるほど分かりやすい名前だと思うが、現在、この名は消えている。
  • 作占いを行う「神の田」位置図
  • 作柄判断の田は、融雪の早いと考えられる順序で、早稲田、中稲田、晩稲田と、東から西に分布している。これらの田は、いずれも距離は近いが、融雪の度合いや池塘でのミツガシワの開花・結実のズレは意外に大きい。
  • 水量見の神の田・・・湿原から山頂の神社に向かう起点の一番大きな池は、「水量見の神の田」「馬洗場」と呼ばれている。山に残雪の多い年は、一般的に農業用水も豊富である。占いでは、池の水面に石が8個ほど頭を出していると、その年の水の具合はちょうど良い。それより多く頭を出していると、水不足になると判定する。馬洗場の水位は、その年の積雪の多少によって決まるだけに合理的な判定法だと思う。
  • 「霊峰田代岳の稲作占い」(北林忠)・・・地元の北林忠氏が「みつがしわ」第4号に書かれた「霊峰田代岳の稲作占い」によると、その概要は・・・
     稲作占いは、半夏生(はんげしょう)の前日、7月1日夕方6時頃から始まる。北秋田市綴子神社の神官は、田代湿原に下りて行き、作占いの許可を願う神事として、まず山の神田代山のご神体を拝む。次に「水量見の神の田」において、半夏生から秋の稲の刈り取りまでの田の水の具合や洪水の有無を占う神事が行われる。次に稲の神の田に行き、晩稲、中稲、早稲のうちどの種類が適しているかを占う。
  • 半夏生とは・・・夏至から数えて11日目、毎年7月2日頃。農家にとっては、水稲の田植えを終える目安であった。半夏生までに田植えを済ませた農家は、この日の天候で稲作の豊凶を占う慣習があった。
  • 木道沿いに3本の秋田杉がある神の田は、「サンゴ(賽護)打ちの神の田」と呼ばれている。
  • 最後に、秋田杉が山の字のごとく三本ある水深の深い神の田に行き、風の具合を占い、稲の倒伏の有無を判定するサンゴ(賽護)打ちの占いを行う。昔は、寛永通宝(現在は5円玉)を使って占った。銭貨の穴を通した和紙を羽に作り、水に三回投げ入れて、その沈み具合を神官が読み取った。
     神事が終了すると、山頂の神社に戻り、白髭大直日大神を拝む神事を行った後、占いの結果が告げられる。翌日、半夏生に登山した人々にもその占いの結果が知らされる。参拝者は、笹とツゲを持ち帰り、虫除けとして田の水口に立てた。
  • サンゴ(賽護)打ちの神の田・・・明治の頃の記録によると、サンゴ打ちの神の田では、寛永通宝の銭の穴に笹の葉を通して投げ入れる。自分の予想が当たっているとすぐに沈むが、外れると最後まで沈まない。その様子で、その年の豊凶や米の値段、自分の心にあることを占ったという。
  • 雨乞い・・・田代岳の池塘は、雨乞いの場でもあった。雨乞いには、様々な方法があるが、山の神を怒らせて雨をふらせようとするものが一般的である。田代岳の近村では、高層湿原の沼へ鶏あるいは猫を殺して投げ込んで帰ると、大雨になったと言い伝えられている。
  • 「晩稲の神の田」に自生しているミツガシワ・・・高層湿原の池塘に生えているミツガシワは、ほとんどが花の盛りが終わっていた。これでは、メインの花が×ではないかと思ったが、一ヵ所だけあった。湿原から山頂に向かう右手に、一番標高が高い池塘が笹薮の奥にある。この雪解けが最も遅い池塘は、「晩稲の神の田」と呼ばれるだけあって、オオカメノキの白花が咲き、ミツガシワの花も咲いていた。
▲オオカメノキ ▲ミツガシワの白花
▲ゴゼンタチバナ
▲モウセンゴケ ▲チングルマ
▲チングルマの実 ▲ワタスゲ
▲ツマトリソウ ▲ウラジロヨウラク
▲イワカガミと蝶 ▲ニッコウキスゲ ▲ミツガシワ
▲注連縄が張られた鳥居 ▲田代岳山頂・田代山神社
  • 田代湿原と山頂への分岐点を右に折れ、山頂に向かう途中で振り返ると、眼下に池塘群が山上の田んぼのように見える絶景が広がる。振り返ってはシャッターを押しながら登る。ほどなく、先日、作占いをしたばかりの注連縄を張った鳥居をくぐると、山頂に到着。
  • 田代山神社
     お堂の歴史は、田代町史によると、明治39年、3尺四方の小祠を建立。明治43年、石造りの祠に改築。その後、昭和4年、12年と改築されたが、現在のような本格的な田代山神社の誕生は、比較的新しく、昭和40年のことである。頂上に、基礎コンクリートで木造9尺四方の神社が建立された。
     その後、昭和61年11月、火災で焼失したが、翌62年7月の半夏の日に再建された。水田信仰としての歴史は古く、「田代岳の岳参り作占い行事」は、平成4年、秋田県の記録選択無形民俗文化財に選択されている。
  • 白髭大神とアメッコ市
     白髭大神は、田代岳に降臨して雨水を司り、田畑を守り、五穀豊穣を与える山神、里神である。大館市のアメッコ市に観光イベントの目玉として白髭大神が登場するようになったのは、昭和46年以降のことだという。400年以上続いているアメッコ市は、かつて旧正月の12日に行う行事であった。
     大館市の伝承によると、近くの山から山人あるいは山の鬼が下りて来てアメを買い求め、帰る際にその足跡を隠すため吹雪を起こすと言われている。12日は、もともと山の神の日である。だから、正月12日のアメッコ市と山人=白髭大神が結びつく発想が生まれたのであろう。
  • 作占いの結果は・・・2015年7月1日、竹内宮司が同神社恒例の作占いを行った結果、「豪雨や渇水など異常気象が懸念されるものの、稲への影響は少なく、平年作以上になる」という。
  • 神社には、馬に乗った人の写真や絵馬が奉納されている。
  • 大きな池は、「馬洗場」と呼び、馬場という場所には馬の神様を祭っている。参詣の人たちは、時として馬の足跡を見ることがあるというので「馬場」と呼んでいるという。もともと、山の神様は馬に乗って人間の住む俗世界に降りてきたという伝説がある。もしかして、白髭大神も馬に乗って大館市のアメッコ市にやってくるのだろうか。
  • 9合目田代湿原、山頂周辺の植物・・・ミツガシワ、チングルマ、イワイチョウ、ヒナザクラ、イワカガミ、ウラジロヨウラク、ショウジョウバカマ、ウメバチソウ、ミズバショウ、キンコウカ、ワタスゲ、ツルコケモモ、ゴゼンタチバナ、モウセンゴケ、ツマトリソウ、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、エゾオヤマリンドウ、ミツバオウレン、アカモノ、シラタマノキ、トキソウ、サワラン、ハクサンチドリ、ハクサンシャクナゲ、ミネザクラなど
参 考 文 献
  • 「田代町史 別巻」(田代町)
  • 「田代岳を彩る花々」(畠山陽一、白嶺社)
  • 「たしろの山のはな 150選」(小坂篤、田代町)
  • 「かすむ田代岳 湿原幻想的に」(秋田さきがけ新報 2015年7月3日)
  • 「花の百名山 登山ガイド上」(山と渓谷社)