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樹木シリーズ100 ウルシ(漆)

  • 塗料として最も古くから使われたウルシ(漆、ウルシ科)

     ウルシは、日本や中国に広く分布し、その木から得られる樹液が「漆」である。日本では、人の手が加わった人里近くに生育している。9,000年前の縄文時代から天然塗料として用いられ、接着剤や漆器などに用いられてきた。しかしながら現在、日本で使用される漆の98%を中国産が占め、国産漆は2%程度にすぎない。それでも中国産漆より国産漆の方が耐久性などに優れていることから、国宝や重要文化財の修理・修復に欠かせないものとなっている。ウルシは中国原産と言われているが、縄文時代の漆製品の出土は、中国より日本が古くかつ多い。さらに福井県鳥浜貝塚遺跡から12,600年前のウルシの木片が確認されていることから、元々日本列島に自生していたとする説もある。考古植物学の中国原産説と考古学の日本原産説については、今だ結論が出ていない。この二つの説の論争は、大変興味深いことから、このページの最後に、二つの説を簡潔に記述しておく(写真:岩手県二戸市浄法寺漆の森、以下同じ) 
  • 名前の由来・・・ほどよい水分を持っていることを表す「潤液(うるしる)」→「うるし」になったとする説や、「塗液(ぬるしる)」が転訛したとの説、伝統工芸にもなっている漆塗りに関連して「潤師(うるし)」になったとの説など諸説ある。
  • 高さ・・・10~15m、直径40cm 
  • ・・・長さ30~65cmの奇数羽状複葉で互生する。小葉は、3~7対あり、卵形または楕円形で先端は尖る。裏面の脈上と葉柄に短毛がある。 
  • 雌雄異株?・・・雌雄異株と言われているが、雄株にも果実が少数ながら確認されている。 
  • 果実・・・ゆがんだやや扁平な楕円体で、果皮は光沢のある硬質の外果皮、スポンジ状でロウ成分をもつ中果皮、硬い核をなす内果皮からなる。中果皮のロウ成分を搾って和ロウソクに使う。 
  • 発芽しにくい種・・・ウルシの木の種は、非常に発芽しにくい。それは内果皮の表面にロウ成分をもっているため著しく給水が悪いからである。そのまま播いても、播いた年には全く発芽しないか、長い間かかってポツポツと少しづつ発芽し、生育も極めて悪い。だから、種は必ず発芽を阻害するロウ成分を取り除く発芽促進処理を行ってから、吸水させて膨らんだ種を播かねばならない。 
  • 天然のワックス・・・ウルシの実にロウ分が多く含まれている。ウルシの実は、晩秋から初冬にかけて採取する。この実を詰め、袋状に縫い、天然のワックスとして床みがきに使用した。これで磨くと、ツルツルピカピカになったという。 
  • 樹皮・・・灰白色で厚く、皮目が多い。樹皮を傷つけると白い樹液が出て、空気に触れると黒変する。これが生漆。 
  • 国内での生育状況・・・ウルシは、他の樹木に被陰されると生存できないため、人の手が入らない森林ではほとんど見られない。だから国内では、農家の敷地廻り、林道沿い、炭焼き窯跡など、現在も人間の手が加わっているか、かつて加わっていた場所周辺に限られる。それが日本の自然林の構成種であると考えにくいことを示している。近世以降、全国にウルシの植栽が広がったが、20世紀後半以降、漆液生産の減少とともに、ウルシの植栽地も減少。現在、ウルシの森(ウルシ畑)は、岩手県二戸市浄法寺や茨城県北部、栃木県などごく一部でしか見られなくなった。 
  • 日本最古のウルシの木片・・・福井県鳥浜貝塚遺跡から出土した木片は、当初「ヤマウルシ」として報告されたが、新しい基準に基づいて再同定した結果、12,600年前(縄文時代草創期)のウルシの木であることが判明した。これまでの遺跡調査から、日本列島には、縄文時代早期以降、ウルシが継続して生息していたことが確認されている。 
  • 縄文時代前期、栽培が普及・・・北海道垣ノ島遺跡から約9000年前・世界最古の漆工芸品が発見されたほか、福井県鳥浜遺跡や青森県三内丸山遺跡、是川石器時代遺跡などから多くの漆器が発掘されている。(写真:三内丸山遺跡)
  • 青森県是川遺跡の鉢形木胎漆器は、トチノキをくりぬいて作った木製の鉢で、漆が塗られている。トチノキは現在の漆器製作においても、優良な素材として、椀や盆の木地として盛んに使われている。縄文時代の人びとは、樹種による木材の性質の違いを熟知して素材を選択していたことが分かる。
  • 縄文時代の漆工芸は、前期段階にはすでに北海道南部、東北、関東、北陸から山陰地方までの広い範囲で確認されている。漆工芸は、縄文社会に広く普及していた普遍的な技術であったことが分かる。
  • 漆器産業が拡大したのは近世・・・各藩は経済振興のため、漆液及び漆器の生産政策を積極的に執ったことにより、北海道を除く全国でウルシの植栽が広まり、各地に漆器産地が形成された。 (写真:川連漆器伝統工芸館)
  • 浄法寺漆・・・わが国の生産地は、本州北部の岩手、茨城、新潟などで、特に岩手県二戸市の浄法寺漆は日本産漆の約7割を占め、全国的に有名である。近年は、文化財保護の観点から国の援助もあり、徐々に生産量及び漆掻き職人の数が上向いてきている。 
  • 川連漆器・・・秋田県南部の湯沢市川連町で作られている漆器のこと。古くからお椀やお盆、重箱など、生活用品が多く作られ、普段使い用の実用漆器として親しまれてきた。昭和51年には国の伝統的工芸品に指定されている。(写真:秋田ふるさと村・伝統工芸品)
  • 川連漆器の起源・・・稲川町史によると、今から800年前、部下の武士たちが武具に漆を用いるようになり、それが日常使う道具類にも使われるようになったのが始まりと記されている。また一説によれば、川連漆器の起源は、奥州藤原氏の滅亡とともに流れてきた、京都系の木地屋で、その落人が隠れ里としたのが西方の東福寺山であると伝えられている。当初は木地業を営んでいたが、やがて川連漆器の源流をなしていったと言われている。(写真:川連漆器伝統工芸館)
  • 川連漆器の制作工程①原木・・・椀などの丸物には、ブナ、トチノキ、重箱などの角物、丸盆のような曲物にはホオノキ、スギ、ヒバなどの木材が使われる。(写真:川連漆器伝統工芸館)
  • 川連漆器の制作工程②木地づくり・・・木取り、荒挽き、燻煙乾燥、仕上げ挽き
  • 川連漆器の制作工程③漆塗り・・・柿渋と生漆を直接数回塗った後、中塗りし、花塗(はなぬり)と言われる高度な技術で仕上げ、乾燥させる。加飾は蒔絵、沈金で絵付けする。(写真:川連漆器伝統工芸館)
  • 国産漆は中国産の10倍なのに、なぜ使うのか・・・昭和30年の京都金閣寺の再建の際、安い輸入漆を使ったところ、10年もしないうちに金箔が剥げ落ちるという事態が発生。それゆえ昭和62年の大修理の際には、国産の浄法寺漆が使われた。以来、国産漆は、主成分であるウルシオールの含有量が多く、塗膜が丈夫なことから、文化財保護にはなくてはならないものになっている。 
  • 金閣寺の美の秘密は漆・・・漆は、強力な接着剤にもなる。金閣寺は金箔に覆われているが、その下には漆が塗られている。漆そのものは高価なために、建物に使われるのは稀だが、金閣寺の修復時には1.4トンもの国産漆が使われたという。木に直接金箔を貼れば、当然艶も出ないし、黄色みを帯びる。一方、黒く堅く強い日本の漆に金箔を貼れば、光も強く色調も黒を映し出して色が濃く、赤みを帯びた金箔として発色する。言わば、漆と金箔の組み合わせで最高の美を実現している。
  • 樹液を採集する時期・・・6月~10月。ウルシの樹液を集める人を「漆掻き職人」という。一本、一本のウルシの木に傷をつけ、一回に耳かき一杯程度の量をすくって集めていく。 
  • 一本のウルシの木から採れる量・・・約200g、ほぼ牛乳瓶1本分。
  • 年間どれだけ採るのか・・・漆掻き職人は、年間400~500本の木から漆を採取し、75kg採れれば一人前とされている。
  • 養生掻き・・・木を殺さずに養生しながら漆を採る方法。昔は、ウルシの実もロウを採る原料にしていたため、木を枯らさないように採っていた。ただし漆の量は少ない。
  • 今の主流は「殺し掻き」・・・最後の一滴まで漆を掻き採り、最後に木を伐採する方法。今は和ローソクの需要が少なくなったので、養生掻きよりも漆の収穫量が多い「殺し掻き」が主流になっている。
  • 萌芽更新(ひこばえ)・・・ウルシは、15~20年で漆液を採取し伐倒する。その切り株や根から萌芽する。萌芽更新すれば、苗木代や植付け費用がかからず、下刈りなどの保育管理費用だけで済む。また、根系が発達しているので、初期成長が速く、漆液を採るまでの期間を短縮できるメリットがある。浄法寺の殺し掻き法は、この萌芽更新を前提にした漆掻き技術である。
  • 切り株から出たウルシは折れやすい。萌芽更新でウルシを育てる場合は、切株ではなく、地中の根から発生した萌芽を育成することが重要。
  • 殺した木の利用・・・昔は、冬の副業として、殺してしまった木で漁業に用いる網の「浮き」やイカ釣りの疑似餌であるイカヅノを作った。ウルシの木は軽くやわらかい上水を吸収しない性質があるので浮きに適していたし、ウルシの木で作ったイカヅノは、なぜかよく釣れたので珍重されたという。
  • 漆掻きに必要な道具①ウルシカマ・・・一番外側の樹皮・荒皮を削って、幹の表面を滑らかにする。
  • ②ウルシカンナ・・・先端が二又になっていて、溝を彫る。
  • ③エグリ・・・裏目掻き作業から使う道具。
  • ④カキヘラ・・・溝の中に分泌した液をかき集める。
  • ⑤カキタル (タカッポ)・・・かき集めた漆を入れる容器。ホウノキあるいはシナノキの皮を剥いで円筒形に作る。底板にはスギかキリの板を使う。 (写真:青森市森林博物館)
  • 目立て・・・目立てはウルシの採取を目的としたものではなく、2回目以降の基準を決めると同時に、ウルシの木に刺激を与えてウルシの分泌を盛んにするために行う。入梅の頃、根元から20cmほどの高さの幹に2cmくらいの横溝をつけ、この溝を基準に上へ約30~35cmごとに同じ溝をつけていき、反対側の幹にもこれと交互に溝をつけていく。
  • 4日間休む・・・ウルシの木は、木を傷つけられると、それを治そうとして樹液を出すが、それが何回にもなると、木が弱ってくる。木を弱らせないように、約4日間は休み、また傷をつける。
  • 辺掻き・・・5日目ごとに前に付けた掻き採り傷の上に少し長めの傷をつけ、そこから滲み出た漆をヘラですくいとりカキタルに入れる。9月下旬頃まで行う。この時期に採取された漆を「辺漆」という。
  • 裏目掻き・・・辺掻きが終わると、目立ての下と辺掻きの上に幹を半周する傷をつけ、また幹の上方や太めの枝にも傷をつける。こうして採取した漆は「裏目漆」と呼ばれ、辺漆に比べて品質がやや劣る。
  • 止め掻き・・・「殺し掻き法」の名の由来となった作業で、裏目掻きの間にも木を一周するように傷をつけて採取し、樹液の流れを完全に遮断してしまう方法。
  • 昔は冬も漆掻き・・・漆掻き職人が山に入れない冬は、ウルシの枝先を切って水の中に入れておき、メギリ包丁で傷をつけてわずかな漆を採取した。漆としては下等品だが、徹底して漆を採取した。
  • 良質な漆・・・漆液は、油性成分のウルシオール、その他多糖(ゴム質)、糖タンパク、ラッカーゼ、水からなる複合材料。そのウルシオール量が多く、ラッカーゼの活性があり、乾燥の早い漆が良質な漆。
  • 8月採取の盛漆は最高の品質・・・6~7月に採れる漆を初漆(はつうるし)、8月に採れる漆を「盛漆(さかりうるし)」、9月は末漆(すえうるし)と呼び、中でも盛漆は最高の品質を誇る。
  • ウルシの植栽・・・1ha当たり800~1200本程度を目安とする。ウルシは、陽樹のため、成長するにつれて光の取り合い競争が起きる。立木本数が多過ぎると、ウルシ同士が互いに枝を張り合い、成長不良なウルシ林になるという。
  • 下刈り・・・周囲の雑草類から被圧されなくなるまで4~5年間必要。
  • 6年目以降・・・ツル被害や害虫を回避するため、根元周辺の刈り払いを毎年実施することが重要。
  • 何年ぐらいで漆液の採取ができるのか・・・ウルシの木の直径が大きいものほど採取できる量が多いが、木の肥大生長が下降しはじめる15~20年くらいと言われている。直径では15~20cmぐらいが採取適期。採取後、伐倒した後、萌芽更新させる。13年ほどで成木になると、また樹液を採取する。
  • ツキノワグマの被害・・・ウルシの被害は、漆液を採取する6~8月に発生する。主に地上高50~75cmの樹皮を剥がされる。特に早朝や夕方は、ツキノワグマに遭遇する危険性があるので、浄法寺「漆の森」では、常に蚊取り線香を腰に下げ、木に吊るしたラジオを鳴らしながら作業をしていた。
  • ウルシかぶれ・・・漆液は害虫や病原菌から身を守るための分泌液。ウルシかぶれは、その主成分であるウルシオールという物質に接触することで反応するアレルギー疾患のこと。ウルシの木には、木全体にウルシオールが含まれているので、ウルシの木に近づいただけでかぶれる人もいるので注意。
  • 谷深うまこと一人や漆掻 河東碧梧桐
  • 十六の年より我は漆掻く 高野素十
  • 方舟のため葭を刈る漆掻く 柚木紀子
  • 木から木へ村から村へ漆掻き 南雲糸虫
  • 風悲し掻れしあとの漆の木 尾崎紅葉
  • 中国原産説・・・ウルシは日本列島に自生していない木で、中国から人為的に持ち込まれて増えていったとする説。考古植物学者・鈴木三男氏の説(「縄文探検隊の記録」)によれば・・・
    1. 日本列島に人間が棲み始める前までの地層からウルシの化石が確認されていない。
    2. 中国の森林には、年老いたウルシも壮齢のウルシも、幼樹もある。森の中で実生の種によって世代交代をしている。しかし、日本では自然林と呼ばれるところにウルシは生えていない。
    3. 日本の森林は、原産地より温暖で湿度が高いので、植物間の競争が激しい。だからウルシは、人の目の届く範囲で管理しないと、他の木に光を奪われて枯れてしまう。
    4. ウルシは、漆液を採り終わっても根っこから新たに伸びる苗は勢いがあるので勝ち残りやすいが、自然の幼樹をほとんど見ることがない。ということは、種から芽生えた実生苗は、湿潤で鬱蒼とした緑の中では生き残るチャンスがほとんどないことを意味している。
    5. ウルシは、光を奪う他の植物を刈り取るなど、人がかいがいしく世話をしてきたからこそ、群落を作ることができた。
  • 日本原産説・・・考古学者・岡村道雄氏の説(「縄文探検隊の記録」)によれば
    1. 中国では、今から6500年~8000年ほど前の遺跡から赤漆の椀が出ている。その後、北海道函館市垣ノ島B遺跡では、それを千年上回る9000年前、世界最古の漆製品が発見された。
    2. 福井県鳥浜貝塚遺跡では、今から1万2600年前の定住生活が始まって間もない地層からウルシの木が出ている。漆製品は、安定した定住生活で使われた祭りの道具に使われている。従って鳥浜貝塚の縄文草創期の地層から、漆製品が出ていないのは当然のこと。
    3. 北海道の古い遺跡からは、繊維に漆を含侵させたものばかりだが、中国ではこうした技法がなく、木の器胎に漆を塗ったものが少しあるだけ。
    4. 縄文の漆は、重ね塗りをし、最後に赤漆を塗っているものが多い。多いもので五層くらいまで重ね塗りが確認できる。そういう丹念な塗りは、古代中国の出土漆器には見られない。
    5. 日本列島には、独自の漆文化が大陸に先行する形であった。日本の漆芸の源流は、縄文にある。だから日本の漆は、縄文土器に匹敵するほどの文化的固有性を持っている。
    6. 1万5千年前の寒冷期、同緯度地帯にある中国大陸と同様に日本列島にもウルシが生育していた。中でもいち早く北海道で漆文化が誕生し、本州へと伝わったと考えている。
参 考 文 献
  • 「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
  • 「木の教え」(塩野米松、ちくま文庫)
  • 「男の民俗学Ⅱ山野編」(遠藤ケイ、小学館文庫)
  • 「日本有用樹木誌」(伊東隆夫ほか、海青社)
  • 「岩手のてっぺん ふしぎ発見」(岩手県)
  • 「ウルシ植栽のすすめ」(岩手県県北広域振興局二戸農林振興センター)
  • 「ウルシの健全な森を育て、良質な漆を生産する」(独立行政法人森林総合研究所)
  • 「縄文時代のウルシとその起源」(鈴木三男ほか)
  • 「稲川郷土誌(第二集)」(稲川文化財保護協会)
  • 「季語 早引き辞典 植物編」(監修 宗田安正、学研)
  • 「縄文探検隊の記録」(夢枕獏・岡村道雄・かくまつとむ、インターナショナル新書)