本文へスキップ

樹木シリーズ⑭ モモ、スモモ

INDEX モモ、スモモ
  • 桃源郷を象徴する花・モモ(桃、バラ科)

     古く中国から日本に渡来し、観賞用や果樹として広く栽培されている。中国では、4000年以上前から長命延寿の果実として栽培され、西アジア・ヨーロッパでの栽培も古い。陶淵明の作品『桃花源記』が出処になっている「桃源郷=俗界を離れた理想郷」を象徴する花木が桃の花である。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、桃の花が咲き乱れる八峰町手這坂を訪れ、「桃源郷」と讃えて絵図を残している。 
  • 名前の由来・・・たくさん実がなるので「百(もも)」と名付けられたという説や、赤い実から「燃実(もえみ)」と呼ばれ、それから転じたという説などがある。 
  • 花期・・・4~5月、高さ3~5m
  • ・・・葉より先か同時に咲く。基本種は、桃色の5弁花で平開し、花径3~5cm。 
  • 用途・・・庭木、花材、桃の葉はあせもや皮膚炎症に古くから用いられた民間薬 
  • 「桃、栗三年」・・・植えてから実がつくまでは早いが、寿命は15~20年と短い。
  • 菅江真澄絵図「手這坂」(秋田県立博物館蔵)・・・1807年4月9日、真澄は八峰町峰浜大久保岱の村長宅で休息し、桃の花が盛りと聞いて、手這坂へ向かった。家が4、5軒川岸の桃の花園に隠れてあった。坂の上から眺めると、昔仙人が山の奥深く、清流の岸辺に庵を結び隠れ住んだという中国の桃源郷のようだと感動し、桃の花が咲き乱れる村の絵を描いている。
  • 絵図の説明文・・・「水沢川をさかのぼると、家が四、五軒ばかりある村があり、それを手這坂という。誰がいつの世にここに逃れ隠れたのであろうか。坂の途中から桃の花の盛りのさまを見ていると、犬の声、鶏の声がかすかに聞こえる。そして、滝川の流れる山川の形などから中国の武陵桃源の物語に似ている。」
  • 真澄ゆかりの茅葺き民家「手這坂」・・・人が住んでいた当時の手這坂集落(平成5年撮影)
  • 桃源郷の由来となった陶淵明「桃花源記」・・・武陵の人が魚を捕らえることを仕事にしていた。谷川に沿って行くうちに、どのくらい来たのかわからなくなった。突然桃の花の林に出会った。川の両岸に数百歩、その中に他の木はなかった。よい香りの草が鮮やかで美しく、散った花びらが乱れ飛んでいた。

    (以下要約) 林は水源のところで終わり、小さな穴からぼんやりと光が射しているようだった。狭い穴を通り抜けると、目の前がぱっと開け、隠れ里のような村が現れた。肥えた田畑、美しい池、桑や竹、鶏や犬の鳴き声、老人や子供も、みなそれぞれ喜び楽しんでいた。この村は、秦の時代の戦乱を避けた者の子孫で俗世の変遷を知ることもなく、平和で裕福な暮らしを楽しんでいる仙境の村であった。漁師は村人に歓待されて帰り、また訪ねようとしたが、その土地は二度と見つけることができなかったという話。
  • 田舎暮らしを実践した陶淵明・・・今から1600年も前に生きた田園詩人・陶淵明。彼は「田舎暮らし」を実践した元祖である。彼は365年、「天下の濾山」の山裾ののどかな農村地帯に生まれた。やがて何度も官史の職についたが、全て長続きはしなかった。彼は、堅苦しい役人生活には耐えられなかった。もう二度と官職にはつくまいと堅く決意して故郷に帰って行くのである。淵明41歳のときであった。
     彼は心も暮らしも、ともに安らかであるようなユートピアを夢見て田園に帰って行った。だが、その生活は思いのほか労苦に満ちたものだった。家は狭く侘しく、風を防ぐにも、陽をよけるにも役に立たず、着物はボロボロで食器は空っぽ・・・けれども彼は後悔しない。それどころか、このうえなく幸福に思うのである。自然と自由を手に入れた淵明は、田園の中に「桃源郷」という理想郷を創作、いつも文章を綴っては、ひとり楽しみ、損得など気に掛けず、その生涯を終えた。
  • 陶淵明の生き方に共感する人は多い・・・心が自由であろうとすれば生活は苦しく、暮らしを楽にしようと思えば精神は束縛される。この世は二律背反が世の常である。だから多くの人々は、陶淵明の境地に憧れながら、実際は暮らしの楽の方を選んできた。だからこそ、淵明が創作した「桃源郷」は、自分の見果てぬ夢として、今も人々の心の中に生き続けているのであろう。
  • 陶淵明の生き方に共感した文人も数知れず・・・生涯旅に生きた菅江真澄はもちろんのこと、俗世と縁を切った隠者・鴨長明、隠遁の歌人・西行、陶淵明の詩を机に置いていた与謝野蕪村、淵明に憧れ下手な生き方を貫いた石川啄木、夏目漱石に至っては、淵明が創作した「桃源郷」を求めて「草枕」という小説を描く。その冒頭・・・「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と嘆き、人里離れた山の中の温泉場へと出かけていく。さらに淵明の「田園の居に帰る」を引用するなど、淵明の下手な生き方に強く共感していることが伺える。
  • 下手な生き方に共感する聖地・・・手這坂集落は、2000年頃に無人となった。その後、「手這坂活用研究会」が中心となって茅葺き民家の補修や桃の木、菜の花を植え、保存に取り組んできた。今では、5月上旬頃になると、新緑に映える桃の花が咲き乱れ、大変美しい。 1600年も前に生きた陶淵明は、「桃源郷」を創作するしかなかった「下手な生き方」を貫いた。200年前、その生き方に憧れ、生涯漂泊の旅を続けた菅江真澄は、桃の花が咲き乱れる手這坂を「桃源郷」と称して素晴らしい絵図を残してくれた。「桃源郷・手這坂」は、「下手な生き方」に共感する人たちの聖地であると言えるであろう。
  • 菅江真澄「かすむ月星」(能代市牛首頭、秋田県立博物館蔵)・・・「栗を植えているこの里の家は十軒余り、それぞれの向きに立っていて、たくさんの桃が紅色の濃い花、薄い花、交じり合って幾千本の花盛りであった。畑をへだてる畦垣として、どこでも何千本もの八重桜をびっしり植えている。この花も今が盛りで、これは伏見の山に遥かに勝っていると、人々は眺めながら歌をよんだ・・・横長根という岡にのぼると、霧の中に遠近が眺められ、雲のように見える桜や、李、山梨の花が雪かとみやられて、まことに仙人の住みかのようであった。」
  • この一文と絵図を見ていると、手這坂と同じく、桃源郷を想起させてくれる。真澄は旅の達人であったが、「桃=桃源郷、仙人」といったイメージをもっていたことが分かる。それにしても、真澄の紀行文を読んでいると、旅人は皆、現実にはあり得ない「桃源郷」を求めて旅をしているように思えてならない。こうした真澄の旅の視点こそ、新たな観光振興の視点になり得ると思うのだが・・・。
  • 飢饉対策と桃・・・菅江真澄の記録を読めば、県内の山本郡、能代市、大館市、南秋田郡、男鹿市、雄勝郡の村々では、どこの庭にも桃の木を植えていたことが記されている。それは単に花を観賞するためだけではない。江戸時代、秋田県では、凶作が4年に一度という極めて高い頻度で発生している。こうした度重なる凶作飢饉に備えて、花桃の実や葉を救荒食糧としていたことが伺える。
  • 神霊が宿る木・・・3月3日は桃の節句、ひな祭りで、モモの花を飾って祝う。モモとひな祭りとの結びつきは、モモに邪気を祓う霊力があるとした中国古来の考えにもとづいている。「古事記」には、イザナギノミコトがモモの実を投げつけて、黄泉の国から追いかけてきた鬼たちを追い払う話があるが、これもモモの霊力を信じたものと言われている。
  • 縄文時代から食べていた・・・日本最古の桃核は、約6000年前・縄文時代前期、長崎県伊木力(いきりき)遺跡のもの。弥生時代以降になると、多くの遺跡から出土している。当時の果実は、現在よりも小さかったと考えられている。桃は食用のほか、祭祀用途にも用いられていたという。
  • 花モモ・・・一般人に親しまれるようになったのは、江戸時代から。枝が垂れるものや、ほうき状に上に伸びるもの、紅白咲き分けの源平もの、花の形が一重、八重、菊咲き、花色が濃い紅色~白色まで多様な品種がある。 
  • モモと菜の花・・・サクラと菜の花も美しいが、モモと菜の花もなかなか美しい。
  • 桃の主な産地・・・山梨県、福島県、長野県。全国で最も遅い産地は、「北限の桃」で有名な秋田県鹿角市。
  • 日本の桃の元祖は、岡山県の「白桃」。中国の「上海水蜜桃」から生まれたと考えられている。この白桃を改良して、世界でも評価が高い多彩な品種が誕生した。
  • 効能・・・便秘や下痢予防、血圧安定、むくみの解消、老化防止、がん予防、貧血の予防、冷え性の改善などに効果があるとされている。
  • 俳 句
    一山を裾より染めて桃の花 東 嘉子
    桃の花人みなやさし山の里 阿部和雄
    沿線に緋桃極まり途中下車 加納幸子 
  • モモの花言葉・・・天下無敵、チャーミング、私はあなたのとりこ
スモモ
  • スモモ(酸桃・李、バラ科)

     古く中国から伝来し、果樹として広く栽培されている。よく分岐し、枝は横に広がる。江戸時代末期に日本からアメリカに渡って品種改良が進んだ。甘酸っぱくジューシーなスモモは、初夏から夏の果物。中国原産の「日本スモモ」とヨーロッパ原産の「西洋スモモ」の二つに分類されている。スモモは、英語で「プラム」、フランス語で「プルーン」という。一般に生食用に栽培されているが、西洋スモモはドライフルーツやジャムなどの加工用としても栽培されている。
  • 名前の由来・・・スモモの果実は、モモに比べて酸味が強いことから、「酸桃」と書く。中国名は「李」。 
  • 花期・・・4月、高さ5~6m。 
  • 花は、モモより小さく、一重の白花だけ。白い花が散形状に1~3個咲く。 
  • 樹皮・・・若枝は暗紫色で光沢がある。老木になると光沢はなく縦に細かい裂け目が入る。
  • 西洋スモモ・・・楕円形で果皮が赤紫色~青紫色をしているもので、プルーンと呼んでいる。原産地は、黒海とカスピ海の間のコーカサス地方。日本には明治の初め頃に導入され、東日本で栽培が試みられたが、多雨多湿の風土は栽培に向かなかったようだ。
  • 西洋スモモ(プルーン)の産地・・・長野県が全国の約7割、次いで北海道、青森県。プルーンの果実は雨に弱く、長雨に当たると表皮が裂けやすいので、雨が少ない地方でしか栽培が難しいという。
  • 収穫時期・・・7月中旬~10月中旬頃。最も多く出回るのは、8月中旬~9月頃。
  • 効能・・・貧血予防、高血圧予防、眼精疲労回復、便秘改善など。
参 考 文 献
「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
「葉っぱで見分け 五感で楽しむ 樹木図鑑」(ナツメ社)
「里山の花木ハンドブック」(多田多恵子、NHK出版)
「講談社ネイチャー図鑑 樹木」(菱山忠三郎、講談社)
「図説 日本の樹木」(鈴木和夫・福田健二、朝倉書店) 
「菅江真澄 旅のまなざし」(秋田県立博物館2014)
「菅江真澄遊覧記4」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社)
「生き方の研究」(森本哲郎、新潮選書)