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樹木シリーズ28 ミツバアケビ、ヤマグワ

INDEX ミツバアケビ、ヤマグワ
  • 昔から利用価値の高いミツバアケビ(三葉木通、アケビ科)

     アケビは小葉5枚だが、秋田に多く見られるのは小葉が3枚のミツバアケビ。山野に普通に生え、他の植物にからみついて伸びるツル性の落葉低木。果実は秋に熟し、中心から裂けて割れる。花は濃い紫色、果実の皮の色も鮮やかな紫色で美しい。果肉も甘くて美味しいが、皮を使った肉詰め、煮物、和え物、天ぷらで食べると一段と風味がある。ツルは、コダシや手さげカゴなどのアケビツル細工に利用される。 
  • 名前の由来・・・小葉が3枚あるので「三葉(ミツバ)」。大きく口を開けた果実の形から「開け実」が「アケビ」に転訛したとの説や、「開けつび」という女性の性器の古語からきたという説などがある。漢字の「木通」は、ツルを伐って、ツルに息を吹きかけると空気が通ることに由来する。 
  • 花期・・・4~5月 
  • ・・・チョコレート色で、大きいのが雌花、小さいのが雄花でブドウの房のように垂れ下がる。雌雄同株だが、自家受粉はしないので、虫に頼る。 
  • 逆光だとワイン色に透けて輝く。 
  • 子どもたちの遊び・・・この花の芯をとり、先端の粘りを利用して額や鼻柱へつけたり、手にたてて別の指先でトントン叩き落とさぬようにして遊んだりした。
  • 新芽・・・木の芽と呼ばれ、古くから春の山菜として珍重される。柔らかいつる先と若い葉を熱湯で茹でてアクを抜き、胡麻和え、マヨネーズ和え、佃煮にしたりして食べる。天ぷらも美味い。 
  • ・・・三出複葉で小葉の縁に波状歯がある。葉先はくぼむ。冬季でも葉がツルについていることが多い。世界最北端に生息する下北半島のニホンザルは、雪の中でも落葉せずに残る葉は冬場の貴重な食料になっている。春先の若芽、若葉はもちろんのこと、花も食べる。 
  • 果実・・・長さ約10cmの長楕円形で、熟すと鮮やかな紫色を帯び、縦に裂ける。生食として菓子類にはない上品な甘さがある。皮を刻んで味噌炒めにしたり、中に味付けした挽き肉やキノコなどを詰めて蒸し焼きにしたり、油で揚げて食べる。 
  • アケビの栽培・・・山形県がダントツ1位で全体の9割近くを占め、次いで愛媛県、秋田県。 
  • 子孫繁栄・・・アケビ類は種子が多く、繁殖力が旺盛なことと「開け実」の名との語呂が合い、子孫繁栄の縁起の良い吉祥木とされた。
  • 俗信・・・仙北地方では、アケビの実がたくさんなる年は、秋の天気が悪いという。平鹿地方では、逆に天気が良いという。アケビのならない年は、雨が多いといった俗信もある。 
  • 鮭とアケビの伝説・・・昔は玉川の上流まで鮭がのぼり、角館の大威徳神社下でも毎年鮭網をおろして漁をした。ある年、背の高い坊主が毎日のように来るので、漁師たちが鮭をやろうかと声をかけ、断る坊主に無理にアケビの蔓でゆわえ、鮭を背負わせた。坊主は立ち去り、それ以来玉川に鮭がのぼらなくなった。その坊主は、大威徳夜叉明王であり、今でも大威徳神社へ腹痛平癒祈願する者は、鮭とアケビを断つという。 
  • 薬効・・・ツルを乾燥したものを木通、実を乾燥したものを木通子と呼び、利尿、鎮痛、通経などに利用する。 
  • アケビツル細工・・・周辺に生えている木に巻き付き、上まで伸びているツルは固く、クセがついているため加工には向かない。地に這うように真っすぐ伸びたツルを使う。それを採取した後、節を取り、水に漬けるという処理を行うが、大変な時間と手間がかかる。最近は、職人不足や後継者不足などで、アケビツル細工は大変希少価値の高いものになっている。形や大きさ、ツルの色合いなど皆異なり、一つとして同じものはない。さらに長期間使うことができ、使っていると手になじみ、天然のアケビツルの優しい色合いにも愛着が湧くようになる。 
  • アケビの随筆・・・「野山へ行くとあけびというものに出会う。秋の景物の一つでそれが秋になって一番目につくのは、食われる果実がその時期に熟するからである。田舎の子供は栗の笑うこの時分によく山に行き、かつて見覚えおいた藪でこれを採り嬉々として喜び食っている。・・・
     紫の皮の中に軟らかい白い果肉があって甘く佳い味である。だが肉中にたくさんな黒い種子があって、食う時それがすこぶる煩わしい。
     中の果肉を食ったあとの果皮、それは厚ぼったい柔らかな皮、この皮を捨てるのは勿体ないとでも思ったのか、ところによればこれを油でいため、それへ味をつけて食膳に供する。昨年の秋箱根芦の湯の旅館紀伊の国屋でそうして味わわせてくれた。すこぶる風流な感じがした。」(「花の名随筆10 十月の花」牧野富太郎、作品社) 
  • 俳句・・・頬ばれば種煩わしあけびかな 岩本和行 
ヤマグワ 
  • 古くから養蚕用に栽培されたヤマグワ(山桑、クワ科)

     山地に広く自生し、高さは10~15mの落葉高木。ヤマグワは、中国原産のマグワとともに「クワ」と総称され、葉が養蚕の蚕のエサになるため、古くから人里近くで栽培された。花は4月頃開き、7~8月頃に赤い実から黒く熟して食べられる。昔は、子どもたちが競って桑の実を食べ歩いた。熟した桑の実を瓶の中に入れ、箸で何回も突いて桑の実ジュースを作って飲んだりした。 
  • 名前の由来・・・「蚕が食べる葉」の意味から「食葉(クハ)」あるいは「蚕葉(コハ)」になり、それが転訛して「クワ」になったといわれている。 
  • ・・・4月頃に開く。
  • ・・・若い木は、不定形の切れ込みで2~3裂する葉が多く、生長するに従って分裂しない葉の割合が増える傾向がある。葉先は、マグワより長く伸びる。 
  • 果実・・・はじめ赤く、次第に黒く熟し生食できる。菓子の材料やジャム、ジュース、ワインなどに利用される。ムクドリなどの野鳥もよく食べ、種子を運んでくれる。 
  • クワの実のジャム
    1. 塩水につけ、虫を退治する。
    2. クワの実と、実の半分の重さの砂糖を混ぜ、木のヘラでつぶしながら弱火でグツグツ煮る。
    3. 水気がなくなったら、よく冷まし、ビンに入れる。
    4. パンやケーキにつけたり、ヨーグルトに入れる。
  • 童謡「赤とんぼ」・・・「山の畠で桑の実を小籠に摘んだは幻か」と歌われている。養蚕と製糸業は、幕末から戦後まで日本の基幹産業として栄え、全国の山地の焼畑や平地の畑にクワが植えられ、そのクワの実が広く食べられていたことが、この歌詞から伺える。 
  • 養蚕・・・クワ類の栽培と蚕の飼育は古代中国で始まった。日本に伝わったのは、意外に古く、弥生時代に養蚕技術が伝わったと言われている。養蚕業は、蚕を飼ってその繭から生糸を作る産業のこと。明治政府の殖産興業で富岡製糸場に始まり、全国に整備され、養蚕が広まった。最盛期の1930年、全国の桑畑は70万ha、繭の生産量約40万トン、養蚕農家220万戸に達した。
  • 山村と養蚕・・・平地の少ない山村では、米を作るより繭を作る方が収益が良かったので、わずかな田んぼすら桑畑にした。飼う蚕の数が増えると、物置にしていた真っ暗な屋根裏にも蚕棚を設けるようになった。養蚕農家は、薄暗い屋根裏でも養蚕ができるように改造して障子を入れ、明かりが入るようにした。
  •  白川郷の合掌造りは、妻面に開けられた白い障子窓から充分な採光と通風を確保し、内部を二層~五層に造り、養蚕のための場所として利用していた。つまり、養蚕のために広い屋内空間を必要としたことが、合掌造りを生み出したと考えられている。
  • 雷除けの力・・・桑の木には、昔から雷除けの力があると信じられいる。だから雷鳴時には、「くわばらくわばら」と唱える風習が日本各地にある。 
  • 桑の木と「おしら様」・・・「おしら様」は、桑の木でつくられた男女一対の偶像で馬と娘をかたどっている。これは、馬と娘との婚姻を主題とする伝説による。曲り屋は、馬と人とが同居し、養蚕も盛んであった岩手県をはじめ、東北地方の民間で信仰されている養蚕の守り神であるほか、家、火、目、狩り、子供、女の病治癒の守り神でもある。
参 考 文 献
  • 「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
  • 「葉っぱで見分け 五感で楽しむ 樹木図鑑」(ナツメ社)
  • 「里山の花木ハンドブック」(多田多恵子、NHK出版)が
  • 「読む植物図鑑」(川尻秀樹、全国林業改良普及協会)
  • 「秋田農村歳時記」(ぬめひろし外、秋田文化出版社)
  • 「日本の樹木」(舘野正樹、ちくま新書)
  • 「花の名随筆10 十月の花」牧野富太郎、作品社)
  • 「木の実ノート」(いわさゆうこ、文化出版局)