本文へスキップ

樹木シリーズ30-1 アカマツ

リスのエビフライ追加 2019年4月8日
  • 幹が赤く尾根筋に多いアカマツ(赤松、マツ科)

     日当たりの良い尾根筋によく見られる陽樹。樹皮は赤く、古くなると亀甲状に割れる。松は、アカマツとクロマツの総称で、縁起の良い木の代表である。それは、松が長生きで、一年中、青々とした緑を保ち続けることから、節操、長寿、繁茂などにたとえられるからである。アカマツの生育地は内陸部、クロマツは海岸部と、生育地をすみ分けている。アカマツは、秋の味覚の王様であるマツタケがとれることで有名である。 
▲アカマツ ▲クロマツ
  • 見分け方その1:樹皮・・・アカマツは樹皮が赤褐色、クロマツは灰黒色。
▲アカマツ ▲クロマツ
  • 見分け方その2:葉と冬芽・・・アカマツの葉は、クロマツより柔らかくて細く、緑色でやや白みがある。クロマツの葉は、濃緑色で、アカマツより長く太いので「雄松」とも呼ばれている。これに対して、アカマツは「雌松」と呼ぶことがある。また、アカマツの冬芽は赤茶色だが、クロマツの冬芽は灰色。 
  • 名前の由来・・・文字通り樹皮が赤っぽい松なので、「赤松」と書く。また松は、季節が変わっても常に緑色を保つことから、めでたい木とされ、神を「待つ」とか、緑をた「もつ」から来たなどの説がある。松は「百樹の王」とも言われている。
  • 花期・・・4月、高さ30~35m、大きいものは50m 
  • マツの花・・・円柱形の雄花は、若枝の下部に多数つき、花粉が一杯詰まっている。雌花は紫褐色で若枝の先端に2~3個つく。マツは風によって花粉が運ばれる「風媒花」。花粉には、左右に風船のような袋がある。この袋で、マツの花粉は風に乗り遠くまで飛ぶことができる。花粉は、雌花のりん片の隙間から入り受粉する。今年の春、受粉した雌花の下に、1年前に受粉したマツカサがある。マツは種子ができるまで一年半もの月日を要する。秋、マツカサはりん片を開く。一つのりん片に、種子が2つ入っている。
  • 樹皮・・・赤みを帯びるのが最大の特徴。老木になると亀甲状に裂けて剥がれるが、裂け目はクロマツよりもやや浅い。 
  • 球果・・・2年目の秋に成熟して、種子を出す。種子は長さ約5mmの倒卵形。翼は、種子の長さの約3倍で披針形。
  • 解説「球果(きゅうか)」「種鱗(しゅりん)」・・・松ぼっくりのことを球果という。松ぼっくりにつく鱗状の部分を「種鱗(しゅりん)」という。この隙間に種を収めている。 
  • 遠くに飛ぶ種子・・・秋、晴れた日に、松ぼっくりの隙間が開き、種子が風に乗って飛んでいく。種子は、薄く軽い翼をもち、クルクル回転しながら落下する。その際、パラシュートのようにゆっくり落ちるので飛距離が大きく、強風時には1km近く飛ぶらしい。アカマツは、風当たりの強い尾根や崖に育つが、風で種子を散布するには適した場所であることが分かる。種子の初産齢も低く、10年未満で種子を生産する。
  • 縁起の良い樹木・・・中国では、松は山の頂に生育している陽樹であることから、位が高く、長寿でめでたい樹木とされてきた。日本で松を縁起の良い樹木とすることは、中国から伝わってきた思想である。 (写真:京都御苑のアカマツ)
  • 松の文化・・・日本の一年は門松で始まる。おめでたいものは松竹梅で、昔から風景画にも多く描かれている。邸宅や寺社などの庭園には必ず松が植えられ、神の依代とされた。万葉集に歌われた樹種としては、梅の118首に次いで松は81首を数える。さらに松は家紋としても数多く図案化されている。 
  • 先駆種・・・アカマツは、攪乱が起こった跡の明るい場所に真っ先に定着し、素早く生長する先駆種である。稚樹は、日陰を嫌うため、明るい開けた土地でないと若木が育たない。だから、アカマツ林が成立して年月が経つと、いつの間にかコナラなどの広葉樹に代わってしまう。 
  • 西日本にアカマツ山が多いのは何故か・・・西日本には、風化しやすい地質の山が多いのに加え、歴史的に早くから人口が集中した結果、森林が荒廃したからだと言われる。6世紀の飛鳥時代から、シイ・カシ類が減少し、アカマツの山に変化し始めたという。岩盤が風化しやすい場所では、繰り返し樹木が伐採されると、岩盤が露出し「はげ山」状態になる。そんな里山にアカマツが侵入してきた。幸い、里人にとってアカマツは、建築材、土木材としての利用価値が高い樹木であった。さらに、落葉は家庭燃料に適していたので、秋にすっかり採取された。こうして里山は、アカマツと里人が一つの生態系を形づくるほど密接な関りをもつようになった。 
  • アカマツが痩せ地に育つ秘訣・・・答えはマツタケである。樹木が生きるためには、窒素やリンなどの養分が必要である。しかし、アカマツが生えている痩せ地は養分が不足している。そこで、アカマツはマツタケ菌と手を結び、養分を供給してもらうお礼に光合成でつくった栄養などを与えている。こうして貧しい土壌でも生育できるのである。逆に土壌が豊かになると、競争相手の樹木が増え、アカマツに害を与える病原菌が増えたりして生育が悪くなることがある。 
  • アカマツとマツタケ・・・古くから開けた近畿地方や中国地方の山地は、花崗岩の痩せ地が広がっており、里山はアカマツが卓越した植生となった。各地でマツタケが生えた。京都を取り囲む東山、北山、西山もマツタケの産地であった。1859年、京都ではマツタケが盛りになると、誰でも買うことができるほど大量に入っていたので、料理屋で料金を払ってまで食べようとする者がいなくなるほどだったという。
  • 民間伝承による「マツタケが生える条件」
    1. 標高は400mまでで、傾斜の緩いところが良い。
    2. 北から南に下る尾根筋の東斜面のものが最も香りが良く味も良い。次いでその西斜面。
    3. 尾根筋の両側10mほどの範囲がよく出るが、乾燥し過ぎるとだめで、陽当たり4分、蔭6分が良い。
    4. コナラやクヌギの混林は良いが、シイ・カシなどの混林は良くないので伐採する。
    5. アカマツは50~60年がマツタケの出盛りで、100年以上のものは×。
    6. 梅雨時から雨が多い年、8月に夕立が多い年は、マツタケが多く出る。 日照りの年はマツタケが出ない。
    7. 台風が来れば、地面に適度な振動を与え、マツタケ菌を活性化させることから良く生える。
    8. 「マツタケが腐っていたらそのまま残せ」・・・腐ったマイタケの場合は、除去するのが良いとされているが、マツタケの場合は、残すと来年の増殖にプラスになると言われている。
  • アカマツ再生循環利用(滋賀県甲賀市信楽町)・・・昭和30年代後半までは、アカマツの割木を信楽焼の窯燃料として利用した。もちろん建築材、マツタケ採取も行った。建築材としての伐採適期は、80~100年で、割木もそれに準じた。アカマツ林を伐採する時は、1反歩に1本の割合で真っ直ぐな種木を残した。その種が風で飛散し、周辺に再生することを考慮した習慣であった。
  • マツ炭と刀鍛冶・・・アカマツの幹には、脂分が多く含まれるので、マツ炭は、高い熱量を出す優れた燃料であった。江戸時代、このマツ炭の高い火力を使った高度な技術「刀鍛冶」が発展した。
  • 乾燥に強い・・・アカマツは、乾燥しやすい尾根に多くみられる。尾根は、風当たりが強く水不足になりやすい場所である。アカマツは、そうした尾根だけでなく、岩山や溶岩の上でも生育している。乾燥に強い理由は・・・
    1. 土中から水分を吸い上げる圧力が強い。
    2. 根を広く深く張っているから水分の確保に有利である。
    3. 葉は、針のように丸く尖り、厚くて表面積が小さく、表面に厚いワックスが施されていることから、水分を逃がしにくい構造になっている。
    4. 針葉は陥没した気孔をもっていて、水分の蒸発を防いでいる。 
  • アカマツの衰退・・・昭和30年代半ばから始まった燃料革命、肥料革命、農業の機械化で里山に入る人が激減。さらにアカマツは高齢化し、陽樹であるため後継樹は育たず、さらに松枯れが追い打ちをかけて衰退の一途を辿っている。それに伴い、秋の味覚マツタケは、ごく限られた一部の地域で細々と産出するに過ぎなくなった。 
  • 「影向(ようごう)の松」・・・能舞台の正面バックの鏡板には、松の木の絵が描かれている。あの松の木のモデルは、奈良にある春日大社の老松「影向の松(ようごうのまつ)」である。この「影向の松」は、昔、全国に「疫病」が流行した時、春日の大明神がこの松に降りて来られ、「萬歳樂」を舞って「疫病」の退散を祈念された「霊木」で、以来、春日に参内する者は、この松の木の下で一芸を、披露しなければならないとされた。
     その一芸を演ずる能舞台は、演者があくまでも「松」に向かって芸能を演じているつもりで、背面の「松」は「鏡」に写ったものとして、今日の能舞台の原型を作ったと言われている。故に背面の松を「鏡板」と言うようになった。
  • 北野天満宮「影向松(ようごうのまつ)」・・・北野天満宮の大鳥居(一ノ鳥居)をくぐってすぐ右手に、石の玉垣で囲まれた一本の松が立っている。影向松と名付けられたこの松は、創建からこの地にあると伝わる御神木。立冬から立春前日までに初雪が降ると天神さまが降臨され、雪見を愛でながら詩を詠まれるという伝説があり、現在でも初雪が降った日には、硯と筆と墨をお供えして「初雪祭」の神事を行っている。
  • 庭園の松・・・平安時代の庭園は、諸国の松の名所を縮小・模倣して造営された。庭園につくられる池は海に、中島は蓬莱島に喩えられ、中島には千年の寿命をもつとされる松が必ず植えられた。江戸時代には、築山が蓬莱山に見立てられ、松が植えられるなど、松は常に日本庭園の中心となっていた。
  • アカマツの巨樹(京都御苑)
  • 見越松・・・庭園の立派なことを、塀の外の人に見せびらかすことを目的とした見越松という植え方も考案された。立派な樹姿を保ち続けるには、丁寧な手入れが必要で、庭木の中では最も経費のかかる樹木である。そのため、手入れの行き届いた松の庭木をたくさん持つことは、経済的に裕福である者のステータス・シンボルとなっていったと言われている。
  • 自然の曲がりを利用した梁・・・アカマツの幹は曲がっているので柱には向かない。一方、湿気に弱く乾燥に強い材で、曲がりを活かした梁によく使われる。特に豪雪地帯では、雪の加重も考えて、太い梁と柱が要求された。梁は、大きな荷重を支える横材で、その性質上、直材よりも自然の曲がりを利用した方がより強い力に耐えられることを昔の人はよく知っていた。急傾斜地や雪国の樹木は、成長する過程で根元が曲がって育つ。屋根裏に使用する梁は、皆そうした自然の曲がりを利用していた。強度が増すだけでなく、部屋を広くとるのにうまく利用した。合掌造りの場合、この根曲がりの梁のことを手斧(ちょうな)と呼んでいる。
  • 床板・・・雑巾をかける板張り部分は、雑巾でふき込むほどに光沢が出るアカマツの板が用いられた。
  • 松根油・・・太平洋戦争末期、航空機の燃料が不足し、マツの根から松根油と呼ばれる油の採集が行われた。この油でゼロ戦が飛ぶことはなかったが、それを可能と思わせるほど多くの油分を含む。生の葉を焚き火に入れると、花火のようにパチパチ音を立てて燃える。
  • 松ぼっくりとエビフライ・・・松ぼっくりの中の種を、ニホンリスやネズミが食べた残骸を「エビフライ」と呼んでいる。アカマツの球果には、40~50個の種が入っている。この種を取り出すためにリスなどが鱗片をかじって剥がす。果軸を刈り上げたように綺麗にかじっていればネズミ、長いヒゲ状の残骸が残っていればニホンリスの可能性が高い。 上の写真は、「リスのエビフライ」である。別名「森のエビフライ」とも呼ばれている。
  • リスがエビフライを製作する時期・・・松ぼっくりの鱗片が開く前・夏から秋、特に秋の初めがベスト。冬から春にかけても出来立てのエビフライを拾うことができる。リスは、お気に入りの場所で松ぼっくりを食べる習性がある。だから、お気に入りの場所さえ見つけられれば、じっくり観察できるし、エビフライもたくさん拾うことができる。
  • エビフライの周りには、必ずリスが食いちぎった鱗片が散らばっている。1個見つけたら、その周囲を重点的に探すと、お気に入りの場所を発見できる。
  • 良く目立つマツの切り株に立ち、求愛のディスプレイをする日本の国鳥「キジ」
  • 健康保持に貢献・・・松が発散する物質は、肺疾患の特効薬として定評がる。
  • 俳句 門松(松飾、飾松、飾竹)
    大いなる門のみ残り松飾り 高浜虚子
    門松の笹のふれ合ひ隣り合ひ 下田実花
    門松やおもへば一夜三十年 芭蕉
    松立てて空ほのぼのと明くる門 夏目漱石
参 考 文 献
  • 「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
  • 「葉っぱで見分け 五感で楽しむ 樹木図鑑」(ナツメ社)
  • 「里山の花木ハンドブック」(多田多恵子、NHK出版)
  • 「樹木観察ハンドブック 山歩き編」(松倉一夫、JTBパブリッシング)
  • 「図説 日本の樹木」(鈴木和夫・福田健二、朝倉書店)
  • 「日本の樹木」(舘野正樹、ちくま新書)
  • 「花と樹木と日本人」(有岡利幸、八坂書房)
  • 「樹木の個性と生き残り戦略」(渡辺一夫、築地書館)
  • 「日本の原点シリーズ 木の文化3 マツ・カラマツ」(新建新聞社)
  • 「続・読む植物図鑑」(川尻秀樹、全国林業改良普及協会)
  • 「野鳥と木の実と庭づくり」(叶内拓哉、文一総合出版)  
  • 「俳句歳時記」(角川学芸出版編、角川ソフィア文庫) 
  • 「生態と民俗」(野本寛一、講談社学術文庫)
  • 「拾う!飾る!楽しむ! 森のたからもの探検帳」(飯田猛、世界文化社)