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野鳥シリーズ36 カワウ、ウミウ

INDEX カワウ、ウミウ
潜水を繰り返して魚を捕るカワウ(ペリカン目ウ科) (写真:右がカワウ、左がアオサギ)

 日本の代表的なウは、カワウとウミウ。河川や湖沼に暮らすのがカワウ、海に面した断崖や岩場のある海岸周辺に暮らすのがウミウ。カワウは、黒く大きな水鳥で、木の上に集団で巣をつくる。留鳥として本州から九州まで分布する。北海道では夏鳥、九州南部以南では冬鳥。

 近年、水質改善などに伴いエサとなる魚が増えたことから個体数が増加しているという。全体に光沢のある黒色で、背や翼には褐色みがある。目はエメラルドグリーンで美しい。繁殖期になると、頭部と腰部に白い繁殖羽が生じ、目の下の露出部が赤くなる。下クチバシの付け根の黄色い露出部は黒が混ざりオリーブ色に見える。
見分け方

 ウミウによく似ているが、カワウの背面は茶褐色で、クチバシの付け根の黄色部は喉元まで達する。


 繁殖地では「グルル、グルル」「グワッ、グワッ」「グワー」と、唸り声を出すことが多い。繁殖期以外はほとんど鳴かない。
全長81cm 翼開長129cm
 ウの体は、潜水がやりやすいように、カモ類より一枚多く足指に水かきをもっている。さらに「鵜の目鷹の目」のことわざどおり、とても性能の良い目を持っている。ウの目は、きれいな緑色・・・目に入る光の量をうまく調節できるから、水中でもくっきりと見えるらしい。加えて第三のまぶたを持っているので、水中で閉じて泳ぎ、目を保護する役割をしている。カワウは、まるで高性能のゴーグルをつけて泳いでいるようなものだから、潜水の達人、魚捕りの名人と言われるのも頷ける。 
魚食性

 カワウは魚食性の鳥である。足の水かきを使い尾をかじにして巧みに潜水して魚などのエサを捕らえる。沿岸部の海水域から汽水域、内陸部の淡水域まで幅広い水域で魚類を採食している。採食時に潜水する深さは水面から1m~10mほどで、長いときは約70秒間も潜ると言われている。採食量は、体重1kgあたり262g(26.2%)と推定されている。魚種による選択性は認めらず、捕まえやすい魚種から採っているものと考えられている。
コロニー (写真:秋田市向浜、コロニーで子育て)

 カワウは、木の上に集団でねぐらをとる性質があり、繁殖も集団で行なう。集団繁殖地は、コロニーと呼ばれ、水辺に接する場所に作られる。しばしばサギ類などが一緒に繁殖し、外敵から身を守ったりしてお互いに繁殖率を上げていると言われている。巣は、木の細い枝や枯れ草、青葉などを使って、直径40cm~60cmの皿型に組み合わせてつくる。一度形成されたコロニーに固執する習性があり、新しいコロニーを次々とつくることは少ない。カラス類が卵やヒナを襲うことがある。
▲エサを運んできた親鳥に、口を開けてねだるヒナ
▲給餌

 冬期も繁殖するのが特徴で、産卵期は11月~翌年6月と長い。卵数は3~4個、抱卵日数は25~28日ほど、巣立ちまでの日数は30~45日ほどである。親鳥は魚を丸呑みにして巣に運ぶ。ヒナは、親鳥の口に頭を入れ、半消化された魚を食べる。
翼を広げて乾かす

 潜水を繰り返して魚を捕獲する生活を送っている割にカワウの羽は、水を余り弾かない。だから、潜水した後に翼を広げて乾かす行動を頻繁に繰り返す習性がある。
アユやウナギを食べ、糞で木を枯らす・・・嫌われもの (写真:上野の不忍池のコロニー)

 昔は、カワウの糞は良質の有機肥料として重宝された。各地のカワウのコロニーでは、地面に土やワラを敷いて落ちてきた糞を吸収させ、それを肥料として利用していた。しかし、化学肥料が出回ると無用となり、増えるにつれて様々な問題を引き起こすようになった。東京のカワウは、多摩川の魚を食べ尽してしまうと、漁協から駆除の申請が出された。浜離宮のカワウは、糞で木を枯らすので、公園の池にロープを張る作戦で追い払われてしまった。静岡県では、浜名湖のウナギを食べるから駆除された。愛知県や岐阜県、三重県では、アユを食べる犯人として駆除されている。
ウミウ
鵜飼で使われるウミウ(ペリカン目ウ科)
 
 海に生息する緑黒色のウだが、長良川の鵜飼に利用されているのは本種。九州以北で局地的に繁殖し、繁殖地周辺では留鳥。秋田では八森・岩舘海岸や男鹿半島などで見ることができる。全体に光沢のある黒色で、背や翼は緑色光沢を帯びる。主食は魚で、潜水して捕まえ食べる。8~15mもの潜水能力があり、息継ぎをしながら何度も連続して潜る。
長良川の鵜飼(岐阜県)

 名水100選に選定されている清流長良川で、今も鵜飼が行われている。古くは、ウミウとカワウのどちらも鵜飼に使われていたが、現在は、ウミウだけが使われている。鵜飼は、鵜を操り魚を捕らえる漁法で、およそ1300年の歴史がある。(鵜飼の写真は全て無料写真素材集より)
鵜 匠

 鵜を使って魚を捕る人を鵜匠と呼び、長良川の鵜匠は6人・・・宮内庁の職員として、代々世襲で親から子へとその伝統的な技が受け継がれている。長良川の鵜飼は、毎年5月11日~10月15日までの期間中、中秋の名月と増水時を除いて毎夜行われている。
鵜飼による漁法

 舟首カガリ火を付けた鵜舟に鵜匠が乗り10~12羽の鵜を操り、カガリ火で驚かせた鮎を鵜が次々に捕る。鵜匠は常日頃から鵜と一緒に生活しているため、鵜匠と鵜は、ピッタリ呼吸の合った動きを見せ、見事に鮎を捕らえる。鵜が捕った鮎は、竹カゴに吐かせる。今では観光として行われているが、そのうち8回の鵜飼は「御料鵜飼」と呼ばれ、獲れた鮎は皇居へ献上されるほか、明治神宮や伊勢神宮へも奉納される。
松尾芭蕉と鵜飼

 貞享5年(1688)、松尾芭蕉が岐阜にいる知り合いの招きで金華山のふもとで鵜飼を見物している。華やかな鵜飼も鵜舟が去ると深い闇の世界になる。その静寂の中に松尾芭蕉は鵜の哀れ、生きるため魚を獲らねばならない人間の宿命を感じて一句を詠んでいる。

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟哉    芭蕉
 芭蕉の同伴者、落梧と荷兮も、それぞれに句を詠んだ。

鵜の頬に篝こぼれて あはれなり    荷兮
篝火に 見おぼえのある 鵜匠かな   落梧
参 考 文 献
「山渓カラー名鑑 日本の野鳥」(山と渓谷社)
「身近な鳥のふしぎ」(細川博昭、ソフトバンククリエイティブ)
「野鳥観察図鑑」(杉坂学、成美堂出版)
「ぱっと見分け 観察を楽しむ 野鳥図鑑」(石田光史、ナツメ社)
「あきた探鳥ガイド」(日本野鳥の会秋田県支部編、無明舎出版)
「鳥の博物誌」(国松俊英、河出書房新社)
写真提供 土谷諄一 参考プログ「Photo of Akita