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野鳥シリーズ76 クマタカ

  • 東北の伝統的なウサギ狩りに利用されたクマタカ(タカ目タカ科)
     日本では、山岳地帯の深い谷間の森林に生息し、イヌワシと並ぶ最強の猛禽類。黒い顔と後頭に冠羽を持つ大形のタカ類。北海道から九州まで少数が繁殖する留鳥。ノウサギやキツネ、タヌキからヤマドリ、サギなどの鳥類まで広く捕食する。北方系の猛禽類で開けた草原性のイヌワシに対して、南方系のクマタカは木立の間を縫うような巧みな飛行能力と瞬発力を持ち、林縁や林内で獲物を捕らえることができる。この異なる二種の大型猛禽類が生息しているということは、日本列島の豊かな鳥類相を象徴していると言われている。羽後町仙道の農民鷹匠は、クマタカを使ってウサギ狩りをする伝統的な猟法も行われていた。動物作家・藤原審爾さんが最後の鷹匠をモデルに書き上げた「熊鷹 青空の美しき狩人」(昭和56年、別冊文芸春秋)がある。また、漫画家・矢口高雄さんも「最後の鷹匠」、「鷹の翁」の作品を描いている。国内の推定生息数は約900ペアの1800羽(環境省)と少なく、天然記念物、国内希少野生動物種、絶滅危惧 IB 類に指定されている。
  • 特徴・・・上面は灰褐色で、後頭に短い冠羽がある。下面は白色に灰褐色のまだら模様。飛翔時には、幅広い翼の下面に横斑があるのが特徴。幼鳥は、頬から腹面が白っぽく、目の周囲にくま取りがある。雌雄同色。
  • 名前の由来・・・冠羽が角のように見える鷹であることから、漢字で「角鷹」と書く。また、大形の猛禽類であることから、大きくて強い「熊」の字をあて「熊鷹」とも書く。
  • 全長 ♂72cm、♀80cm、翼を広げると1.5m、体重2~4キロ
    (写真提供:髙久健氏ケンさん探鳥記)
  • 生息分布・・・世界的には、日本を北限とするアジア(ヒマラヤから中国南部、日本)の狭い範囲のみに分布。日本には、北海道から九州まで広く分布するが、諸島には分布しない。
  • 生息環境・・・標高300mほどの低山帯から標高2000mを超える亜高山帯の森に棲み、一年中同一地域で暮らす。広葉樹林の自然林を好むが、スギ・ヒノキ、カラマツなどの植林地にも生息する。ただし、植林のみの単一植生が広範囲に生育するようなところには分布しない。営巣地は急峻な谷の中腹が多い。
  • 幅広い食性・・・イヌワシの獲物であるノウサギやヤマドリ、ヘビはもちろん、小鳥からカラス、トビまでの鳥類や小型のヒミズ、リス、野ネズミから中型のキツネ、タヌキ、アナグマ、ニホンザル、時には夜行性のムササビを襲うなど、多様な動物を捕食する。だからクマタカは、豊かな森林生態系の指標種と言われている。また森林の豊かな日本では、イヌワシよりクマタカの方が有利とも言われている。 (写真提供:髙久健氏ケンさん探鳥記)
  • 狩り・・・15km2を縄張りにし、4キロ先の獲物を見つける視力と、時速200キロの飛行力をもつ。木の枝上などから地上を見張り、獲物を見つけると飛び掛かる。あるいは上空をゆっくり飛びながら地上を探り、獲物を見つけると翼をすぼめ、羽ばたきに滑翔を交えて地上近くを飛び追撃する。
  • 大木に営巣・・・2月頃、求愛行動や巣材運びが始まる。翼を広げると1.65mもあるので、横方向の出入りが容易な枝が横に張ったモミやコメツガ、アカマツ、キタゴヨウ、スギなどの針葉樹の大木にかけることが多い。そのような大木がない場合は、ブナやミズナラなどの広葉樹の大木にもかけることもある。巣は、地上10m以上にある横方向に伸びた太い枝の付け根部分に幹が寄り添うようにして枯れ枝を大量に積み重ねてつくる。巣材は、主に♂が運ぶが、♀も運ぶ。(写真:撮影地・秋田市仁別、佐藤良美)
  • 繁殖期の求愛ディスプレイ・・・繁殖期になると、求愛を表すディスプレイが営巣近くの上空で見られる。これは、飛行中の♀に♂が接近し、縦や横に並んで飛行する。
  • 産卵・・・5月初め、産むのは1個のみ。だから♂を産んだとすれば、次に産むのは♀といった具合。鶏卵の倍ほどの大きさで、薄茶の斑点模様がある。卵は♂♀交代で抱く。抱卵日数は約50日。(写真:撮影地・秋田市仁別、佐藤良美)
  • ♀は巣を守り、♂は狩りに専念・・・ヒナは、鶏のヒヨコの二倍ぐらいで、全身真っ白の綿毛に包まれている。まだ体温調節能力がないので、♀親が抱き続ける。それは同時にハシブトガラスなどの外敵から守る効果もある。♂親は、狩りに専念してエサを運ぶ。ヒナが自分で肉を引き裂いて食べるまでには二カ月ほどかかる。
  • 巣立ち時期・・・8月末~9月初め。ヒナが巣立つと♀親は単独生活に戻る。♂親は子煩悩で、育メンの鑑のように大活躍。幼鳥は、♂親から給餌を受けながら狩りの方法などを学ぶ。
  • 幼鳥の死亡率は高いが、成鳥は長寿・・・大型の肉食鳥・クマタカは、高度な狩りの技術が必須のため、巣立って成鳥になるまでの死亡率が高いと言われている。しかし無事に成鳥になると、天敵はイヌワシくらいしかおらず、野生でも20年くらいは生きると言われている。
  • 羽後町の鷹匠・・・昔の武士やレジャーとして行われているタカ狩りは、ハヤブサやオオタカを使って鳥類をとっていた。しかし、獲物を生活の糧にしてきた羽後町の鷹匠は、それよりはるかに大型のクマタカを飼い慣らし、ノウサギやテン、タヌキなど獣類の狩りをしてきた伝統猟法。昭和61年、最後の鷹匠と呼ばれた武田宇市郎さんが廃業を宣言。今では「熊鷹文学碑」のみが寂しく残るだけとなった。
  • 熊鷹文学碑・・・羽後町五輪坂には、最後の鷹匠・武田宇一郎さんをモデルにした小説「熊鷹・青空の美しき狩人」の一文が刻まれた熊鷹文学碑が建立されている。 「草も木も鳥も魚も/人もけものも虫けらも/もとは一つなり/みな地球の子」(藤原審爾)
  • 熊鷹文学碑の裏には・・・羽後町上仙道桧山で生まれた鷹匠45人の名前が刻まれている。
  • 野沢博美写真集「最後の鷹匠」序文(動物作家・藤原審爾)
    「青い空を自らの世界とした、この孤高な猛禽は、あるとき地上の王者にとらえられ、人と倶に生きる道をも獲得したが、なにも人に征服されたのではない。人の愛と知とその威を、鷹たちが認めたのである。
     この愛と知と威が、すなわち鷹匠の条件なのであり、これが人と鷹との交流の、微妙な通路である。鷹匠たちはかぎりなく鷹を愛し、知を働かせ、威によって、鷹との世界をつくりあげ、大自然の理にとけこんでいく。
     鷹を飼う人はいなくはないが、わたしらは、武田宇市郎さんを、最後の鷹匠とよぶのは、愛と知と威を備えており、鷹と倶に生きることが出きるからであり、宇市郎さんが大自然の声を能く聞くことが出来る人であるからである・・・」
  • 熊鷹社・・・京都の伏見稲荷大社には、熊鷹大明神を祀る熊鷹社も鎮座している。熊鷹大明神とは、伝説上の神宮皇后に征伐された九州の豪族「羽白熊鷲」のことではないかと言われている。熊鷲は後に熊鷹に変えられている。大和の朝廷は、全国統治に際して先住民の反抗心をなだめるために征伐した生前の首領を神に祭り上げたと言われている。稲荷神社に併せて鎮座しているのは、未開の蛮族である「夷也(いなり)」と語呂合わせしてのことではないかと推測されている。
参 考 文 献
  • 「山渓カラー名鑑 日本の野鳥」(山と渓谷社)
  • 「ぱっと見わけ観察を楽しむ野鳥図鑑」(石田光史、ナツメ社)
  • 「野鳥観察図鑑」(杉坂学、成美堂出版)
  • 「野沢博美写真集『鷹匠』」(童牛社)
  • 「最後の狩人たち」(長田雅彦、無明舎出版)
  • 「猛禽探訪記」(大田眞也、弦書房)
  • 「絶滅危惧の野鳥事典」(川上洋一、東京堂出版)
  • 最後の鷹匠」(美しき水の郷あきた)