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ブナ帯文化

  •  照葉樹林帯は、シイ類、カシ類などの常緑広葉樹で構成され、九州、四国、近畿など西日本を中心に分布している。これに対しブナ帯は、ブナ、ミズナラ、トチノキ、ホオノキなど冷温帯広葉樹林で構成され、東北地方から北海道西部に分布している。稲作を中心とした照葉樹林文化に対して、ブナ林の恵みが生んだ文化をブナ帯文化と呼んでいる。
  •  ブナ帯には、ブナやクリ、ナラ、トチ、クルミなどの実が豊富で、これらの堅果類が人間だけでなく、野生鳥獣にとっても貴重な食糧となっている。さらに、山菜やキノコ、イワナやヤマメ、サクラマスなどのサケ科魚類の宝庫でもある。従って、縄文時代には、ブナ帯地域の人口が照葉樹林地域を大きく上回っていたという。
     こうしたブナ帯地域の狩猟採集を生業とした文化は、既に過去のものではあるが、マタギ文化や山菜、きのこ、渓流魚を愛好する食文化は、かつての名残をとどめていると言える。
ブナ帯の狩人・マタギ
▲ナタ目「熊取り、午後から雨降り」(阿仁マタギ) ▲ブナ帯のマタギ小屋(白神山地) ▲山の神信仰(仙北マタギ)
  • ブナ帯の狩猟民(「滅びゆく森ブナ」工藤父母道編著、思索社)抜粋
     「マタギは、東北地方のブナ帯山間部に散在するマタギ集落に暮らし、ブナの森を猟場として、共同で主に大型獣であるクマ、カモシカ猟を行う専業的狩猟民であった
     マタギが、平野部の単なる鉄砲打ちと異なったのは、山の神を信仰し、山へ入ると里言葉を避け、独特の山言葉に切り替え、唱え事や呪言葉の秘事を持ち、厳しい戒律を守って、特有の猟法で集団狩猟した点にある。さらに彼らは、獲物は山の神の授かりものとし、定まった作法で解体儀礼を行い、その霊をなぐさめた
     統率者ともいえるシカリは・・・秘巻を持参し・・・マタギ小屋の山の神に供えて、朝、夕に拝んだ・・・守り本尊である秘巻には、日光派の゛山達根本之巻゛と、高野派の゛山達由来之事゛とがあり、縁起、秘法などが書かれていた。山でのマタギの生活は、山の神への祈りと、さまざまな禁忌、ケガレを払う際の潔斎などによって、常に律せられていた」
  • 秋田県内のマタギ集落・・・「マタギ 消えゆく山人の記録」(太田雄治著、慶友社)や「山に生きる人びと」(宮本常一著、未来社刊)、市町村郷土誌等を参考にまとめると、以下のとおりである。
    • 北秋田・鹿角郡のマタギ・・・根子、荒瀬、萱草、笑内、幸屋渡、比立内、戸鳥内、中村、打当、阿仁前田、小又、森吉、砂子沢、八木沢、萩形、金沢、大湯、大楽前の各集落。
    • 世界遺産・白神山地のマタギ・・・西目屋村、鯵ヶ沢、深浦町、岩崎村、水沢(峰浜村)、金沢(藤里町)
    • 仙北郡のマタギ・・・上桧木内、戸沢、中泊、堀内沢、下桧木内、西明寺、潟尻、玉川、小沢、田沢、生保内、刺巻、神代、白岩、中川、広久内、雲沢、大神成、栗沢、豊岡、湯田の各集落。
    • 由利郡のマタギ・・・百宅、上直根、中直根、下直根、猿倉、上笹子、下笹子、小友の各集落
    • 雄勝郡のマタギ・・・東成瀬(岩井川、入道、手倉、五里台、天江、大柳、桧山台)、羽後町上仙道桧山(鷹匠)
    • 平鹿郡のマタギ・・・山内村三ツ又、南郷。
       マタギ集落の分布は、森吉山、白子森、太平山、八幡平、白神山地、和賀山塊、鳥海山、栃ケ森山、栗駒山など、ブナ帯が広がる地域に集中して分布している。
▲ブナ林と狩人の会「マタギサミット」
▲阿仁比立内山神社(1808年創立) ▲仙北マタギ(左)と最後の鷹匠・松原英俊さん(中央、山形県朝日村) ▲阿仁マタギの像(北秋田市阿仁)
  • マタギの世界 ブナの森の狩人(「ブナ帯文化」石川純一郎)抜粋
     「マタギは、日本民族の山棲みの伝統的な生活様式を色濃く伝承している人たちである・・・山棲みの生活様式を基調とした古代エミシの系譜につながるものといえよう・・・
     マタギ村の生活は四季にのっとっている。春は山菜採取、夏は農耕、秋は木の実やきのこ採取、冬は狩猟というのがおおまかながら基本的な生活パターンである・・・また、春から秋にかけて川漁をする。」
ブナ帯の四季・・・暮らしと文化
▲ブナ帯の恵み「山菜」 ▲山棲み人の現金収入源「ゼンマイ」
  • 残雪と新緑の春 
     残雪期の4月下旬〜5月上旬、白い雪の上の黒いクマは発見しやすい。マタギも堅雪で移動しやすい。マタギの伝統を継承する阿仁マタギや仙北マタギらは、越冬穴から出た直後の春グマ猟を行う。
     雪解けとブナの芽吹きが始まると、コダシを下げた山菜採りが森にどっと繰り出す。ブナ帯に暮らす人々にとっては、春先の野菜不足を補う貴重な゛山の野菜゛、ブナの恵みである。
     山菜のほとんどは自給用だが、近頃は直売所に旬の山菜が所狭しと並ぶ。山菜の中でもゼンマイは商品価値が高く、山棲み人たちにとって重要な現金収入源である。彼らは、ブナ谷のゼンマイ小屋や湯治場を基地に何日も泊まり込み、ゼンマイ採りに専念する。
     ゼンマイは胞子で増殖するから、必ず翌年のために何本かを残す。それだけではない。専用のゼンマイ採り小沢を3本以上持ち、毎年代えながら順次採取する。かつては、ゼンマイの綿毛もゼンマイ布に織って、暮らしに役立てていた。
▲マダの樹皮から命名された「マンダノ沢」(和賀山塊) ▲マタギが放流したイワナの子孫(和賀山塊)
  • 深緑の夏
     田植えが一段落し初夏を迎えると、タケノコや秋田フキ、マダ(シナノキ)の樹皮をはぐために森へ入る。かつては、マダの樹皮で糸をつむぎ、冬に囲炉裏の傍らでマダ布を織った。マタギは、狩猟だけではなく、川漁も得意とする。かつては、マタギ小屋をベースにイワナを釣り、温泉宿に卸す職漁師もいた。
▲タケノコ ▲秋田フキ ▲イワナ
  •  また、1828年「秋山紀行」(長野県栄村秋山郷)によると、秋田の旅マタギが草津温泉を市場に狩猟やイワナ漁を行っていた様子が詳細に記されている。旅マタギは、2〜3人の小集団で行われていた。人跡稀な奥地に狩り小屋を設け、一度に数百匹のイワナをとり、草津の湯治場に売っていた。
     旧田沢湖町玉川部落では、昭和10年頃まで、盆近くになると集団で大深沢や小和瀬川の源流へ出掛け、塩漬けのイワナを雑魚箱一杯に入れて下山、ただちに塩抜きをして、ベンケイに刺し燻製に仕上げると、実家への盆魚としていた。
     彼らは、イワナの漁場を拡大あるいは山の恩返しとして、釣り上げたイワナをヨドメの滝上に放流を繰り返した。今では、水がチョロチョロ流れる源流部までイワナの生息域が拡大している。
     ブナ帯の森は、薬用資源の宝庫で、薬用植物だけでも100種を超える。また、大きなホオノ葉は、ご飯ときな粉、ご飯と納豆を入れた「ほの葉まま」料理やキノコ類を包んで売った。大きな秋田フキは、二枚合わせて物を包むのに利用した。
     マムシ、サンショウウオ、イモリなどは、干したり、黒焼きにして強壮薬とした。川魚は、囲炉裏のベンケイに刺し燻製にして保存した。その際、ブナ帯の広葉樹は、燻製をつくる薪として重宝された。また、焚き火の材は、ブナ、ダケカンバ、オオバクロモジを利用した。マタギ小屋の骨組の材には、サワグルミを用いる。屋根と前後の壁は、サワグルミの樹皮を主に、チシマザサの葉を束ねたものを併用して使った。
▲ブナの老木に生えたトンビマイタケの群生(夏) ミズナラの大木に生えるマイタケ(秋)
  • 豊穣の秋
     ブナの森は、キノコの宝庫。キノコ採りのプロは、8月上旬頃から山に入り、ブナの老木に大量発生するトンビマイタケ採りからスタートする。ブナの風倒木に生えるナメコ トンビマイタケを採りながら、ブナの森に頻繁に入り、キノコの王様・マイタケが発生する時期を読む。彼らにとってマイタケだけは別格で、゛見つけた゛とは言わず゛当たった゛という。採取したマイタケは、葉がついたままのオオバクロモジの枝でツトを作り、大株を壊さないように持ち帰った。
     9月〜11月、ブナの森では、マイタケ、ブナハリタケ、エゾハリタケ、シイタケ、ヤマブシタケ、マスタケ、ナラタケ、ムキタケ、ナメコなど、採りきれないほどのキノコが生える。
     木の実は、ヤマブドウ、サルナシ、アケビ、コクワ、マタタビ・・・かつては、飢饉の際の救荒食料として、ブナやヤマグリ、オニグルミ、トチノキ、ナラ類などの実が利用された。また、マタギたちは、よくトチの実でトチ餅をつくる。すぐに固くならないことから、猟の際の携帯食とした。
狩りの文化・・・阿仁マタギ ▲ケボカイの儀式 ▲クマの胆(い)
  • 雪深い冬
     クマの冬眠は、11月中旬から4月下旬までの5ヶ月間。クマの肉が美味いのは、寒中の穴で獲れる3、4歳のクマ。次に春グマ狩りで獲ったクマだという。クマの胆は、漢方薬の中では、最高級品。効能は慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬として取り引きされ、昔からマタギの貴重な収入源であった。
     阿仁マタギや戸沢マタギは、年間約4ヶ月、全国を股にかけてクマの胆の行商をしていた。特に根子集落のマタギは、昭和11年当時すでに、鑑札を取った売薬業者として行商していた。
     かつては、クマ以外にもカモシカ、サル、山ウサギ、テン、ムササビ、アナグマなどの獣を捕った。特にカモシカは、クマに次ぐ大型の獲物だった。肉が抜群の味で、毛皮は登山者やワラダ猟山林労働者の尻当て、衣類として利用され、角はカツオ釣りなどの擬似針として重用された。
     バンドリ(ムササビ)の旬は、11月から12月末。特に12月頃は、クロモジの芽を食べているので、その香りがして最高に美味いという。アナグマは、カモシカに次ぐ美味い肉とされ、マタギたちは、マミ汁と呼んだ。
     山ウサギも、サンショウやクロモジの香り高い木の芽をエサにしている寒中が旬。マタギは、ワラを円盤状に編んだワラダ(写真右)を使って山ウサギを獲った。山ウサギが潜んでいる所にワラダを投げると、その空を切る音を鷹の羽ばたきと間違え、恐怖で身動きできなくる。臆病で警戒心の強い性質を逆手にとった猟法である。
     ブナ帯の炭焼きは、冬の代表的な生業だった。炭焼きは、ブナ、ミズナラを伐り出し、一冬中、炭を焼いた。炭焼き用の木を伐採した跡には、焼畑を行い、アワ、ヒエを作っていた。
最後の鷹匠・・・野沢博美写真集
 秋田では、明治から昭和にかけて、かなりの鷹匠がいた。鷹匠は、クマタカのヒナを捕獲、飼い慣らして、山ウサギやテン、タヌキなどの狩りをしてきた伝統猟法。
 狩りのシーズンともなれば、鷹を持って雪山を20km、時には40kmも歩く。「鷹匠の里」秋田県羽後町の「熊鷹文学碑」には、次のような一文が記されている。
  • 熊鷹文学碑(羽後町)
    「草も木も鳥も魚も/人もけものも虫けらも/もとは一つなり/みな地球の子」(藤原審爾)
     この碑文は、鷹匠という生業を通して「人間と動植物を全く区別しない同じものと考える世界観」を高らかに歌っている。
     大正から昭和の初め頃、秋田県北秋田市阿仁打当のマタギ・松橋富治の生涯を描いた長編小説「邂逅の森」で直木賞を受賞した作家・熊谷龍也さんは・・・「かつて東北にも被差別部落は、あったはずたが、関西と違って自然に消滅した。これは狩人と近い人たちと生活していた東北の精神風土の凄いところだと思う。」と語ったのが印象に残っている。
     「ブナの森では、遥か縄文の昔から営々と生命の輪廻が繰り返され、鳥や獣ばかりか、人もまたブナの恵みに依存し続けてきた」(「母なる森・ブナ」工藤父母道記)
北海道・北東北の縄文遺跡群、伊勢堂岱遺跡
  • 北海道・北東北の縄文遺跡群(「世界文化遺産提案書」抜粋)
     「北海道・北東北は特に豊かな自然に恵まれた地である。世界自然遺産白神山地は、地球上に残された最大級のブナ原生林を有し、太古の昔から変わらぬ自然が保全されている。このブナ原生林は縄文時代に形成されたとされ、それを母なる森としながら、日本列島の北の大地に、我が国の文明の扉を開いたと言うべき縄文文化が育まれた。
     縄文文化は・・・自然との共生のもと約1万年もの長きにわたり営まれた、高度に発達、成熟した定住的な、採集、狩猟、漁労文化であり、我が国の歴史の大半を占めるものである。ヨーロッパや大陸の先史文化と比較すると、本格的な農耕と牧畜を持たず、新石器時代の文化としてはきわめて特徴的な様相を呈している・・・
     我が国最大級の縄文集落跡である特別史跡三内丸山遺跡や大規模記念物である特別史跡大湯環状列石を始め、縄文文化の様相を今に伝える遺跡の宝庫である・・・
     北海道・北東北の縄文遺跡群は、我が国の歴史はもとより、人類史における狩猟採集社会の成熟した様相を顕著に物語るものであることから、人類共通の貴重な宝であり、世界文化遺産として未来に伝え、残すべきものである。」
     北海道・北東北縄文遺跡群の中に、秋田県では、鹿角市「大湯環状列石(特別史跡」と北秋田市「伊勢堂岱遺跡(史跡)」の二つが入っている。
  • 国指定史跡「伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)
     伊勢堂岱遺跡は、縄文時代後期前半(4千年前頃)の環状列石をはじめ、多くのお墓や建物跡が見つかった。祭祀にかかわる遺物も数多く出土しており、「お墓」であると同時に「祭り」や「祈り」をとり行う大規模な葬祭の場であると考えられている。
     縄文時代の墓制や精神世界、社会構造を解明する上で大きな手がかりとなる遺跡である。遺跡の範囲は、台地全体に及び20haもの広がりを持つと推定される。平成20年12月15日には、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」として世界文化遺産暫定リストに登録された。(遺跡看板要約・北秋田市教育委員会)
  •  遺跡が発見された台地は、山並みの眺望の良さが際立っている。その景観から、「母なる森・ブナ」が生み出した文化であることが分かる。世界自然遺産「白神山地」の藤里駒ヶ岳(1,158m)や茶臼岳(1,086m)、烏帽子岳(1,133m)・・・古くから信仰の対象で、「白髭大神」が住む山・田代岳(1,178m)など・・・縄文人たちは、天と地とブナ帯の山々(神々)に向かって、畏敬と感謝、祭りと祈りを捧げたに違いない。
世界自然遺産・白神山地
▲世界自然遺産白神山地の核心部・・・追良瀬川源流部からブナの原生林と向白神岳を望む
  •  白神山地は、青森県西部から秋田県北西部にまたがる約13万haの広大な山域の総称である。このうち、原生的なブナ林約1万7千haが世界自然遺産に登録されている。白神山地の特徴は、奥が深く人跡稀な赤石川、追良瀬川、粕毛川などの原生流域が集中し、面的に連続したブナ原生林の面積が世界最大級で、ほぼ純林として分布している点である。
     ・・・こうしたブナ帯と呼ばれる地域には、狩猟採集を生業とした「マタギ」と呼ばれる人たちがいた。彼らは、自然に逆らわず、狩猟のほか、農業や炭焼き、キノコや山菜採り、川漁をしながら四季を通じてブナの恵みを享受してきた。山の神、田の神信仰や食と農から民俗文化に至るまで多様な文化を生み出し、代々受け継がれてきた。こうしたブナ帯の森に生きる生活・暮らしを総称して「ブナ帯文化」と呼んでいる
     世界遺産条約の特筆すべきことは、自然と文化を対立するものではなく、むしろお互いに補完しあう関係にあるとしている点である。これは、白神山麓に生きる人々のブナ帯文化とも共通するものがある。
     現在、日本の世界遺産は、自然遺産と文化遺産の二つに分かれているが、白神山地のブナ帯文化のように自然と文化は本来一体のものであり、複合遺産として登録すべきだという意見も少なくない。(「農業土木学会2003年3月号」、小講座「世界自然遺産」より抜粋)
▲ブナの新緑と向白神岳稜線を望む ▲白神山地最大の滝「白滝」(追良瀬川)
  •  「北海道・北東北の縄文遺跡群」に代表される「縄文文化」を支えたものは、恵み豊かな「ブナの森」である。現在、「ブナの森」は少なくなり、「滅びゆく森」などと形容されている。その希少な森が、約1万7千haの面的まとまりをもって残っているのが「世界自然遺産・白神山地」である。
     白神山地は、わが国の文明の扉を開いたブナ帯の原風景が残る希少な森である。また、縄文以来、狩猟採集の文化を継承しているのが「ブナの森の狩人」と呼ばれる「マタギ」である。つまり、白神山地とマタギ、北海道・北東北の縄文遺跡群は、「ブナ帯文化」でつながっていると言えるだろう。
  • 動画「世界自然遺産白神山地追良瀬川源流 美しき森と水の賛歌」・・・15分56秒
参 考 文 献
「ブナ帯文化」(梅原猛外、新思索社)
「滅びゆく森ブナ」工藤父母道編著、思索社)
「母なる森・ブナ」工藤父母道記)
「マタギ 消えゆく山人の記録」(太田雄治著、慶友社)
「山に生きる人びと」(宮本常一著、未来社刊)
「農業土木学会2003年3月号」、小講座「世界自然遺産」