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モリエールあきた

 秋田県由利本荘市大浦字鳥屋
 
 子吉川河口北側に位置する標高100m~140mにある新山公園、その一角に整備された三望苑。鳥海山、子吉川、日本海の大パノラマが展望できることから命名されました。広く開放的な広場や、その周辺に広がる森にふれながらリフレッシュできる憩いの丘として由利本荘市民に親しまれています。 

 位置図(Google)・・・秋田県由利本荘市大浦字鳥屋地内 TEL0184-23-4092(管理人室)
 日本海東北自動車道本荘ICから国道107号で由利本荘市街へ。市街地から由利橋(由利タワー)を渡り、石脇新町交差点を左折。新山公園を目標(新山小学校方面)に一般道へ右折し、さらにそこから三望苑を目指し現地へ。本荘ICから9km
 秀麗鳥海山を望む。鳥海山を背景に子吉川沿いに広がる本荘市街です。撮影日は2013年9月28日、黄金色になった稲穂も見えます。もうすぐ本荘平野は収穫期を迎えます。 
 
   
  日本海を望む。海岸線から伸びる松原の濃い緑、そして海と空の澄んだ青、海岸線に突きだしているところは本荘マリーナです。
 
 ちょっと三望苑から離れて、新山神社近くの展望台から撮影。子吉川河口と市街地の景観が楽しめます。 
 
 再び三望苑、広い芝生ではボール遊び、キャンプ、バーベキューなどアウトドアライフが満喫出来ます。炊事施設も整っており、家族連れや若者達のグループで賑わいます。 
 
 広場の一角を占める丸太遊具のフィールドアスレチック施設。 船、ロープリフト、ブランコ、恐竜渡りなど6ポイントが設置されています。子供達の楽しい遊び場で、いつも家族連れで賑わっています。
 
 苑内で飼育されているただ一匹のヤギ、子供達はその辺の草をムシって餌を与えたり話しかけたり人気者です。この子は恐る恐るでしたが・・・。 
 
  三望苑の一番高い丘にある宿泊もできる休養施設。ここから真っ正面に鳥海山が望まれます。利用ご希望の方は、2か月前から予約を受付しております。問い合わせ先にご連絡下さい。
 
 お問い合わせ先
   管理人室 TEL  0184-23-4093
          〒015-0021 秋田県由利本荘市大浦鳥屋81 
    由利本荘市役所 観光振興課 TEL 0184-24-6349

 周辺散歩・・・新山公園のクロマツ林
 三望苑への入口に位置する石脇地区は、緑豊かなクロマツ林に覆われていますが、その基礎を築いたのは石川善兵衛親子5代の偉業です。新山公園展望台には、「石川善兵衛翁殖林碑標石」とその業績を記した石碑が建立されています。石川善兵衛翁の業績を説明文から抜粋しますと、『亀田藩が植林に尽力していた頃の江戸天明年間、日本海に接する当時の石脇村は、夏は砂塵が竜巻と化し、冬はタバカゼ(北西風)が荒れ狂い、丹精込めて植えた松・柏・杉・檜などの苗株どころか家までも飲み込まれる有様であったのです。

 藩営事業の植立掛(うえたてかかり)として任命された石川善兵衛翁は、荒漠たる砂原のありさまを新山の頂より眺め、一生をかけて植林事業に打ち込む決意をしたのです。

 荒涼とした砂丘地の前に幾多の失敗を繰り返しながらも、志を捨てることなく試植を続け、植林に打ち込む善兵衛翁の一日は、星が天にまだ輝く早暁から始まり、夕闇の星の瞬きと共に息む毎日が30年一日の如く続けられたのです。こうした不断の努力により、不毛の砂丘地も一大樹林となり、民が還ってきて開墾に精を出し、安心して生活ができるようになったのです。

 江戸中期天明八年(1788)から江戸後期初めの文政四年(1821)の没年までの34年間、善兵衛が植え続けた稚松は、700万5120株となり、その後も善兵衛翁の意志は子孫に受け継がれ、石川家五代89年余りに亘る植樹本数は1151万本余、植林面積は250町歩とも300町歩ともいわれています。(後略)』
 
 石川善兵衛翁を讃える標石と周辺のクロマツ林。ここは一時松くい虫被害で大きなダメージを受けましたが、関係機関や地元の石脇財産区の皆さんの努力により、守られております。看板には「美林再生中」の文字が、石川善兵衛翁の意志は地域の人びとに受け継がれているのです。ここは、飛砂防備保安林で人びとの生活環境を守る重要な森林となっております。
 
 新山神社
 この神社は、新山公園内・標高148mの東山山頂に鎮座しています。新山公園内にある神社参道入口から境内までは石段参道が続いているのですが、本殿下まで車で行くことができます。

 駐車場から、ヤブツバキの群生を見ながら石段を登りきると拝殿・本殿が建立されています。境内は、樹高の高いスギやケヤキに囲まれておりますが、この林は、船舶の航行の目標となって安全を確保する航行保安林に指定されております。

 また、神事の裸詣りは、修験道の荒行が姿を変え、天保(1830~44)の頃に始まったと伝えられ、若者衆が身体堅固、家内安全、五穀豊穣などを祈願する真冬の奇祭として全国的に有名です。

 毎年1月の第3日曜日、凍てつく早朝、冷水をかぶり日本海から吹きすさぶ強風と寒気の中、約300名もの若者たちが、白鉢巻、白腹巻きに注連を巻き、白足袋に草鞋掛けといういでたちで、それぞれの団体で隊伍を組み、ホラ貝を鳴らし、ジャヤサ、ジョヤサの掛け声とともに標高148mの東山山頂にある新山神社を目指し、103段の石段のある延長2kmに及ぶ参道を鏡餅や酒樽、寒鱈などの奉納する品々を担いで一気に駆け上がります。
 
   
 拝殿・本殿に向かう石段、周りの森は航行保安林となっています。下層はヤブツバキが群落しています。4月下旬には花が見頃を迎えるでしょう。
 石段を登り切ると拝殿・本殿です。
 
 裸参り 
  早朝から水垢離をする若者達。雪が積もった石段を奉納品を担いで駆け上がります。
  (引用:平成15年1月取材・作成の由利総合農林事務所土地改良課(現由利地域振興局農林部農村整備課hp)
 

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