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 2014年10月11日(土)~12日(日)、「全国朝市サミット2014 in五城目」が、同町朝市通りをメインに開催された。森の恵み「秋のきのこまつり」をメインにした朝市や全国14の朝市商品を扱う物産展、ステージイベント、G級グルメ・だまこ鍋合戦、女優・浅利香津代さんの基調講演「秋田の宝! 五城目の朝市!」、「魅力ある朝市づくり」をテーマにしたシンポジウムなど、多彩な催しが行われ、大勢の来場者で賑わった。 
五城目朝市の歴史

 1495年頃、馬場目の地頭安東季宗(あんどうすえむね)が家臣の斎藤弥七郎に命じて「市神」と書いた八角柱を旧馬場目村町村に立ててまつらせ、そこに市を開いたのが始まりと伝えられている。「町」は「市」を意味していて、市(町)の立つ村ということで「町村」と呼ばれるようになったという。

 1589年、安東氏の内紛によって馬場目城が滅び、五城目に藤原内記秀盛が入ると、柱は現在の五城目に移された。江戸時代には、阿仁鉱山への物資補給の基地となり、西からは男鹿の海の幸、潟の幸、東からは山の幸が集まってきた。さらに秋田藩の保護もあって、市はますます繁昌し、五城目は在郷町として発展した。

 かつては、上町通り・下夕町通りに、2と7のつく日に交互に立つ六斎市であった。現在は、毎月2・5・7・0のつく日に開催。臨時市は、5月4日祭市、8月13日盆市、12月31日歳の市を開催している。場所は、下夕通りの一部に限定された。五城目朝市は、1495年に始まり、1995年に500年を迎えた
秋のきのこまつり
▲店頭に所狭しと並んだ天然きのこ

 「今買わねぇで、いつ買う」と、旬のキノコをアピール
▲天然マイタケ・・・ミズナラに生える ▲この天然マイタケは1万円で売れた
▲原木マイタケ 
▲天然マツタケ・・・主にアカマツの根と共生 ▲アミッコ茸・・・防風林がねらい目
▲原木ナメコ・・・天然物はブナ・ミズナラ林 ▲ヒラタケ(ブナ・ミズナラ林)
▲左はハツタケ(防風林)、右はブナハリタケ(ブナ・ミズナラ林)
▲金茸・・・防風林 ▲銀茸(シモフリシメジ)・・・里山の雑木林
▲ハタケシメジ・・・畑や人家の庭先、公園など ▲クリタケ(アカキノコ)・・・雑木林~ブナ・ミズナラ林
▲ムキタケ・・・天然物はブナ・ミズナラ林 ▲原木しいたけ・・・天然物はミズナラ
▲サワモダシ(ナラタケ)・・・里山~奥山のブナ・ミズナラ林まで大群生する。秋田では人気ナンバーワンのきのこ。
四季の移り変わりを知らせる五城目朝市

 正月2日の初売りに始まり、春の息吹を伝える福寿草の苗やフキノトウ、新緑と共にホンナ、アイコ、シドケ、ワラビ、ゼンマイなどの多彩な山菜が並ぶと朝市は活気づく。色鮮やかな野菜が加わり始め、夏は八郎潟残存湖の鮮魚、盆市。秋には、クリやマイタケ、ナメコなどの多彩なキノコが並び、大根や白菜などの漬物の素材が増える。冬は、ヤツメウナギ、マガモ、薬草など。そして正月用品の買い出しで賑わう歳の市を迎える。

 便利になったスーパーでは、季節感を感じることが乏しくなっているが、500年の伝統を持つ朝市は、四季折々、自然の恵みの旬とともに、その季節の移り変わり・自然の循環する時間を知らせてくれる所が決定的に違う。
▲八郎湖の鮮魚
▲右がミズ、左がヤマワサビ ▲右が黒ワラビ、左がミズのコブコ
▲木製品(サンショウの木でつくったすりこぎ、靴べら、クロモジでつくった爪楊枝など)
▲自然薯 ▲五城目朝市名物「おやき」
▲旬の野菜 ▲果物
▲スーパーとの違い・・・単に物を買うだけでなく、売り子との会話、人々が交流する場になっているからこそ、500年以上もの歴史を誇っているのであろう。
2014ごじょうめG級グルメまつり「だまこ鍋合戦」

 だまこ鍋合戦の参加は5店舗。道の駅五城目悠紀の国、松竹料理センター、赤倉山荘、農家レストラン清流の森、五城館。「だまこ鍋」とは、鶏ダシ仕立てのスープに、ご飯をすりつぶして丸めた「だまこもち」とキノコや野菜を加えた鍋のことで、古くから五城目町の家庭料理として愛されてきた郷土料理である。
▲五城目町のヒーロー「だまこマンファミリー」・・・名前の由来は、郷土料理「だまこ鍋」。 ▲右は、五城目町のゆるキャラ「ダマコちゃん」、左は応援に駆け付けた八郎潟町の「ニャンぱち」
五城目朝市の記録・・・菅江真澄絵図「市に行く人馬」

 今から200年ほど前の冬に五城目に滞在していた菅江真澄は、氷の張った八郎潟を通って市(いち)に向かう人と馬を描いている。また1810年、「氷魚の村君」には・・・

 今戸の浦から湖に入って、例年より深く降り積もって、どこが岸の田か、湖の氷の上か、見分けがつかないほどの白雪を踏み分け、大勢の人が行く後について行った。

 ・・・天王の浦から三百町もあるであろうか、今戸浦まで引き続いている通路がある。これが去年の寒に入るのを待って、五城の目の月に六度たち市に通う人馬の踏みならした道である。信濃の諏訪湖の氷上の通路も比べ物にならないほど、広い湖の氷の上を、重い荷を負わせた馬を引き連れ、あるいは乗って渡っているところが他にあるだろうか。
五城目朝市の記録その2・・・「秋田繁昌記」(石井三友、文化5年~明治23年)

 藩内には五十目のように市のたつ所が少なくないが、月に六度の定期市が開かれ、しかもその歴史の長いのは、どこにもみられない・・・人々が四方から集まってにぎわう様子は、城下の久保田をしのぐくらいである。これは、村が地の利のある場所を占めているからで、売り手、買い手の人々は、五十目に集る道路を十里二十里を遠しとしないでやってくる

 ・・・集まった人々は、生産のための道具であるクワ、カマ、ノコギリなどの農具や打刃物・日用品・食料品を求め、それらを買うために農産物や林産物、その土地土地によってとれるいろいろなものを売った。市で売られていたのは野菜・山菜の季節のものから、菓子・ムシロなどの藁工品・木炭・農具・打刃物・魚類・衣料品などで、あらゆるものを買うことができた。

 ・・・海の魚も潟の魚に劣らず種類も量も多く売られていた。北浦辺りからハタハタは馬そりで結氷した湖の上を渡ってやってきて、正月近い市場をにぎわした。人々は「ハタハタ市」と呼んだ。秋の漬物時には、「大根市」と呼ばれるほど道の両側に大釜木でも積んだように積み上げられる。大きいものは三尺、小さいものでも一尺五寸はあるいい大根ばかりである。岡本では五千本以上の大根が収穫された。一日で売られる大根は一万本は下らないといわれる。

 ・・・一年中で最も盛大であった市は、正月十二日「塩市」である。近在の者ばかりでなく、潟向かいの村からも氷の上を馬そりで渡ってやって来た。市には五条の道を十里四方の村々から人々が集まってくる。五条十里の中心だったので「五十目」と呼ぶようになった。
▲菅江真澄絵図「市に行く人馬」 ▲「うたせ舟」(「写真集「潟の記憶」川辺信康著より)

 菅江真澄や石井三友の記録によれば、潟向かいの天王・船越、若美、北浦、出戸浜などから、冬は氷上を馬そりで、夏は舟で市に運ばれていたことが分かる。また、北は能代、南は久保田の近くの村々、東は山を越えた阿仁部の山間の村々から、市に向かって人々はやってきた。昔から五城目は、物資の集散地であり、職人の町・物作りの町であったから、市が盛んになる条件が整っていたのである。
▲国民文化祭にふさわしく、地元で活躍している方々の多彩なステージイベントも披露された
▲高性寺JAZZIMPRESSION Vol.7

 朝市通り北はずれに建つお寺・高性寺境内では、ケヤキの大木が色付き始めた紅葉と素敵なジャズの演奏に酔いしれていた。
基調講演「秋田の宝! 五城目の朝市!」

 秋田出身の女優・浅利香津代さんの基調講演は、さすがに秋田弁で身振り手振りを交えたユーモアたっぷりのトークで会場を沸かせた。
シンポジウム「魅力ある朝市づくり」

 パネリストは、北海道函館市、神奈川県厚木市、青森県八戸市、五城目町の代表者4人。女優の浅利香津代さんは、朝市の魅力について「人と人との生の交流があるところ」と語った。しかし、伝統的な朝市といえども、課題は多い。高齢化による出店者の減少や大型店、コンビニの進出など、伝統的な朝市文化の継承が難しくなっている。例えば五城目朝市では、昭和40年代、出店数が最低でも70店あったが、現在は半減しているという。

 そんな中、八戸市館鼻(たてはな)岸壁朝市の代表者は、出店希望者が殺到していると語ると、会場が驚きでどよめいた。この朝市では、約800mの朝市ストリート両側に、約300店のお店が並び、来場者数が毎週1万人以上で、全国最大規模の朝市と言われている。今や「日曜日の朝だけ現れる八戸の観光名所」になっている。朝市活性化のヒントは、こうした全国朝市サミットに参加する15団体との情報交換、交流から生まれるに違いない。
参 考 文 献
「五城目町史」(五城目町)
「菅江真澄遊覧記5」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社)
「秋田県の歴史散歩」(山川出版社)