2014年10月12日、「第3回番楽サミットと伝統芸能競演」が上小阿仁村生涯学習センターで開催された。小沢田駒踊りや大林獅子踊り、国重要無形民俗文化財の「本海獅子舞番楽」(由利本荘市)、「根子番楽」(北秋田市)、2010年に復活した「八木沢番楽」(上小阿仁村)の競演のほか、番楽サミット「これからの世代へ」と題して、継承のために必要な魅力や仕組みづくり、コミュニティビジネスなど、貴重な意見、提案がなされた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国重要無形民俗文化財「根子番楽」(北秋田市) 根子番楽は、八木沢集落の本家・マタギ発祥の地と言われる北秋田市阿仁根子集落に伝承されている。この番楽は、山伏神楽の流れをくみ、勇壮活発で荒っぽい武士舞いが多いのが特徴である。民俗学者の折口信夫は・・・「村人は源平落人の子孫と称し、古来弓矢に長じ狩猟を生活としてきただけに、ここの番楽は他のそれに比して勇壮である」と評している。 |
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「尊我兄弟(そがきょうだい)」 幕出し歌で十郎が登場し、両人は扇を開いて相対しながら前合わせ、背合わせになって舞う。次に二人は扇を太刀に持ち変えて、本物の火花を散らしながら激しく切り合う。手に汗握る場面がしばしばあり、勇壮な舞が続く。五郎は幕入りした後、十郎は太刀に太太刀に替えて舞う。この演目は、マタギ集落にふさわしく厳格で激しい気質をみせつける「マタギの舞」と呼ばれるほど「格好いい」。 |
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第3回番楽サミット「これからの世代へ」 モデレーターの石倉敏明さんは、都会では、同世代とのコミュニケーションはあるが、世代を超えたコミュニケーションはほとんどない。秋田に来て驚いたのは、若者が世代を超えてコミュニケーションができていること。伝統文化の継承は、その顕著な例である。 |
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上小阿仁村地域活性化応援隊・水原聡一郎氏 2009年11月、地域おこし協力隊として八木沢に来て、かつて八木沢番楽があったことを知り、こんな凄い芸能があったんだと驚いた。20年以上途絶えていたが、「地域の宝」として何とか復活させたいと思った。 |
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「地域が捨てた宝物」に気付くのは余所者(写真:大内宿) 福島県の大内宿・・・その「地域が捨てた宝物」の価値を説き、保存に奔走した立役者は、余所者・「壊さない建築家・相沢韶男(つぐお)」さんであった。しかし、村人は「余計なことをするな」「ホイト(物乞い)学生が何を言うか」「月に行く時代になぜ草屋根保存なのか」と猛反対されたという。それが今や人口200人の村に、観光客が100万人以上も押し寄せる観光名所になった。 一方、八木沢番楽は、20年以上途絶えていた。その「宝物」に気付き、復活に燃えたのは、やはり余所者の地域おこし協力隊であった。その八木沢番楽を見事に復活させただけでなく、番楽サミットやKAMIKOANIプロジェクトへと発展、元気を取り戻す契機となった。この成功事例は、いずれも「余所者」がキーポイントになっている点に注目すべであろう。 |
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根子番楽保存会・畠山充氏 若い世代に、「やってみたい」と思ってもらうことが継承に必要な要素だと思う。私も小さい頃、先輩たちが演じる「尊我兄弟」が、すごく格好良かったので、やってみたいと思った。自分もそんな存在になれたらと思う。 |
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山伏・日知舎主宰 成瀬正憲氏 全国を旅する中で出羽三山に出会い、2008年、羽黒修験「秋の峰」で山伏となる。2009年に山形県に移住。羽黒町観光協会職員として「出羽三山精進料理プロジェクト」など地域づくりを行う。しかし、出羽三山の山伏文化は、高齢化で継承が難しくなっていた。それを継承するために、2013年、コミュニティビジネスを展開する日知舎(ひじりしゃ)を設立した。 |
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▲羽黒山参道 | ▲山伏の法衣と法具(いでは文化記念館) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な活動内容は、山伏修行の運営、出羽三山精進料理プロジェクトの運営、山菜やきのこの採集と流通販売、「アトツギ編集室」としての出版活動・展覧会・ツアー企画・実施、地域の手工芸品のリデザイン・流通販売など、多岐にわたるコミュニティビジネスの手法で地域文化を継承する活動を行っている。 文化を継承するには、経済とリンクしなければならない。仕事がないという理由で若者がいなくなれば、文化も継承できない。一つの仕事で月に20数万円稼ぐとなれば、なかなか難しいのが現実。しかし、一つの仕事で月3万円なら可能。こうした小商いを7つ束ねれば21万円になる。そうした複合的な仕事を持つことが大事。 |
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ドキュメンタリー映画監督・三宅流氏 「岩手鬼剣舞の一年」では、「鬼剣舞」の踊り手たちが、岩手県の小さな町のコミュニティで担う重要な役割を描いた。その制作を通じて感じたことは、鬼剣舞が子どもたちから見て「格好いい」と憧れるような存在であること。八木沢番楽が「これからの世代」にとって「格好いい」と思えるような存在であり続けることが重要である。 保育園、小学校、中学校、近隣の高校も巻き込んで伝統芸能を継承する場を設け、継承のためのベースをつくっておくことが大事。そうすれば、一度やめても、再度その価値に気付いた時にスムーズに再開することもできる。また、芸能甲子園のような競う場があればモチベーションも上がる。 |
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▲八木沢番楽「露払い」 | ▲「鞍馬」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▲「尊我兄弟」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
有終の美を飾った「八木沢番楽」 復活した八木沢番楽を初めて拝見した。鞍馬、尊我兄弟とも、本家・根子とほぼ同じであることが良く分かった。しかし、鞍馬の演目では、弁慶が最後に横にしたナギナタを4回飛ぶシーンがあるが、残念ながら失敗してしまった。ナギナタが飛び越えられなかった足で蹴られて前に遠く飛び、中途半端な形で終わってしまった。 |
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全ての演目が終わり、全員舞台の上に勢ぞろいした時、応援隊の水原さんがマイクをとった。尊我兄弟以外は、全て地元の小中学生たちが一生懸命演じてくれた。弁慶が最後に4回飛びを失敗したので、ここで再度やってもらいますと言うと、弁慶が再度チャレンジ・・・何と見事に成功した。すると、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。どんなに練習したことだろう・・・思わず涙がこぼれるほどの感動があった | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▲日本画・白田誉主也「カミコアニ」(旧小沢田小) | ▲絵画・田中望「ハレノノヒ」(旧沖田面小) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
66日間、延べ1万5千人来場 KAMIKOANIプロジェクトには、県内外の芸術家28人が出展。期間中、八木沢、沖田面、小沢田の3集落に作品を展示したほか、様々なイベントを開催。8月9日~10月13日までの66日間で来場者は延べ1万5千人、過去最高を記録した。 |
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参 考 文 献 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」(大高政秀、北羽新報社) 「菅江真澄遊覧記5」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社) |