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 2014年10月12日、「第3回番楽サミットと伝統芸能競演」が上小阿仁村生涯学習センターで開催された。小沢田駒踊りや大林獅子踊り、国重要無形民俗文化財の「本海獅子舞番楽」(由利本荘市)、「根子番楽」(北秋田市)、2010年に復活した「八木沢番楽」(上小阿仁村)の競演のほか、番楽サミット「これからの世代へ」と題して、継承のために必要な魅力や仕組みづくり、コミュニティビジネスなど、貴重な意見、提案がなされた。
▲菅江真澄が描いた番楽のお面

菅江真澄が記録した「番楽」(1809年7月13日、五城目町山内番楽「ひなの遊び」)

 (番楽は)、修験者がもっぱら演じている。神官が舞う村もある。このような舞を岩手、宮城地方では神楽といい、青森東部では能舞とよび、この秋田では舞曲(あそび)と、もっぱらいっている。楽(あそび)という言葉は最も古いものである。番楽は蛮楽かという人もあるが、十二番の神楽をいうのであろう。

 番楽十二曲というのは「清浄ばつ・岩戸開・千歳・翁舞・三番叟・若子・赤間・曽我・機織・御剣・潮汲・山の神」であった。・・・糠部(ぬかのぶ)の能舞・・・たいそうおもしろい。津軽郡のものも、大同小異である。この能舞というのは、俳優(わざおぎ)、猿楽(さるごう)の昔の姿が、遠い僻地に、かたばかり残っていたものであろう。
▲富根報徳番楽(能代市) ▲仁井田番楽(横手市)  ▲早池峰大償神楽(岩手県花巻市)
番楽とは・・・(「菅江真澄遊覧記5」の注釈より)

 秋田・山形県で行われる神楽の一種(岩手では山伏神楽、下北では能舞と呼び、地域によって名称が異なる)。修験者たちが民家を訪れて悪魔祓いや火伏せなどの祈祷をし、夜の泊りには舞曲を演じた。獅子舞を伴う所もあるが、民衆を楽しませる座外の舞に重きを置くようになって、真澄があげたような曲目を舞う。式幕を背景にし、幕の後方には囃子方と地謡が控える。

 曲目によって、仮面をかぶって舞うものもあるが、面をつけない武士舞の様式もある。地域ごとに村人が番楽衆を組織して行っており、地名を冠して何々番楽と呼ぶ所が多い。時期は、主に盆から11月頃までてある。 
▲森吉神社
▲鳥海山大物忌神社  ▲栗駒山・駒形根神社奥宮 ▲秋田駒ヶ岳・駒形神社
山の信仰から生まれた芸能「番楽」

 「修験寺ある処に必ず番楽がある」(「秋田の山伏修験」佐藤久治)・・・つまり山の信仰と密接につながった芸能だと言える。ちなみに県内の信仰の山を列挙すれば、鳥海山、大平山、秋田駒ヶ岳、森吉山、田代岳、藤里駒ヶ岳、和賀岳・薬師岳、白岩岳、真昼岳、栗駒山、神室山、房住山、七座山、真山・本山、保呂羽山など枚挙にいとまがない。

 平成5年、秋田県が調査した結果によると、旧市町村69に対して42市町村の約140地域で番楽の伝承が確認されている。これは県内の伝統芸能の中で最多となっている。それほどふるさとの山に対する信仰の根強さが伺える
番楽の舞台と幕(写真:本海流獅子舞二階番楽)

 番楽の舞台は、神と観客が感応する神聖な場所である。幕の裏側は神のいる天上界にあたり、舞台・観客側は地上界である。この天上界と地上界をくぎる幕は、番楽幕、神楽幕、式幕などと呼ばれている。幕の絵柄は、松や鶴、亀などの縁起物、あるいは数色の段だら模様などがある。この幕は、能舞台の「鏡板」にあたると言われている。
「唐松城」(大仙市協和)の能舞台

 舞台正面の鏡板には、松の古木が描かれている。これは、「影向(ようごう)の松」と言われる神の依代の意味がある。神や仙人、精霊、亡霊などの主役が現れる通り道が、能舞台正面の左手に伸びた「橋懸り」と呼ばれる通路である。面をつけ、楽器を鳴らし、舞い踊る姿も番楽によく似ている。事実、「番楽は、能の古い形をとどめている」と言われている。だから下北地方では「能舞」と呼ばれているのであろう。
参考・・・能方式の出雲神楽「佐陀神能」

 ユネスコ無形文化遺産「佐陀神能」(島根県松江市)は、「能」方式という独特の形をもち、洗練された神楽という点で、他に類するものがなく、出雲神楽の源流と言われている。
国重要無形民俗文化財「本海獅子舞番楽」(由利本荘市)

 信仰の山・鳥海山(国指定史跡)の麓に位置する由利本荘市鳥海町には、旧マタギ集落であった百宅、直根など13の講中で本海獅子舞番楽が伝承されている。。かつて鳥海山は、山伏修験者が修行の場とした霊山であった。1600年代、京都の修験者・本海行人が鳥海・矢島地域に居住し、本海獅子舞番楽を鳥海山麓一帯に広めたと言い伝えられている。

 修験的な行事を取り入れた獅子舞と、舞台芸能の番楽からなることから「獅子舞番楽」と呼ばれている。鳥海山麓の「獅子舞」は、岩手県早池峰山麓の山伏神楽や青森県下北半島の能舞では「権現舞」と呼んでいる。いずれも修験芸のシンボル的存在で、獅子の頭をふり、祈祷する。
国重要無形民俗文化財「根子番楽」(北秋田市)

 根子番楽は、八木沢集落の本家・マタギ発祥の地と言われる北秋田市阿仁根子集落に伝承されている。この番楽は、山伏神楽の流れをくみ、勇壮活発で荒っぽい武士舞いが多いのが特徴である。民俗学者の折口信夫は・・・「村人は源平落人の子孫と称し、古来弓矢に長じ狩猟を生活としてきただけに、ここの番楽は他のそれに比して勇壮である」と評している。
「鞍馬(くらま)」

 鞍馬は、別名「牛若弁慶」ともいい、牛若と弁慶の争いを描いたもの。牛若は扇を持った少年が演じ、弁慶は白頭巾に薙刀(なぎなた)で大人が演じる。少年の牛若丸は、弁慶が振り回す薙刀をかわすために跳び上がったり、側転してかわすなどの曲芸に近い軽業に大きな拍手が送られる。最後に弁慶の薙刀の柄にヒョイと乗り、これが最高の見得切りとなる。 
「三番叟(さんばんそう)」・・・黒い翁面をつけて舞う

 華やかな「鞍馬」や「尊我兄弟」に比べると儀式的で地味だが、狂言のようにコミカルで激しい舞いが続く。舞手が陶酔しているようにも見える。「翁面」と「三番叟面」の翁は、どこか祖霊信仰を感じさせる演目である。
「尊我兄弟(そがきょうだい)」

 幕出し歌で十郎が登場し、両人は扇を開いて相対しながら前合わせ、背合わせになって舞う。次に二人は扇を太刀に持ち変えて、本物の火花を散らしながら激しく切り合う。手に汗握る場面がしばしばあり、勇壮な舞が続く。五郎は幕入りした後、十郎は太刀に太太刀に替えて舞う。この演目は、マタギ集落にふさわしく厳格で激しい気質をみせつける「マタギの舞」と呼ばれるほど「格好いい」。
第3回番楽サミット「これからの世代へ」

 モデレーターの石倉敏明さんは、都会では、同世代とのコミュニケーションはあるが、世代を超えたコミュニケーションはほとんどない。秋田に来て驚いたのは、若者が世代を超えてコミュニケーションができていること。伝統文化の継承は、その顕著な例である。
上小阿仁村地域活性化応援隊・水原聡一郎氏

 2009年11月、地域おこし協力隊として八木沢に来て、かつて八木沢番楽があったことを知り、こんな凄い芸能があったんだと驚いた。20年以上途絶えていたが、「地域の宝」として何とか復活させたいと思った。
「地域が捨てた宝物」に気付くのは余所者(写真:大内宿)

 福島県の大内宿・・・その「地域が捨てた宝物」の価値を説き、保存に奔走した立役者は、余所者・「壊さない建築家・相沢韶男(つぐお)」さんであった。しかし、村人は「余計なことをするな」「ホイト(物乞い)学生が何を言うか」「月に行く時代になぜ草屋根保存なのか」と猛反対されたという。それが今や人口200人の村に、観光客が100万人以上も押し寄せる観光名所になった。

 一方、八木沢番楽は、20年以上途絶えていた。その「宝物」に気付き、復活に燃えたのは、やはり余所者の地域おこし協力隊であった。その八木沢番楽を見事に復活させただけでなく、番楽サミットやKAMIKOANIプロジェクトへと発展、元気を取り戻す契機となった。この成功事例は、いずれも「余所者」がキーポイントになっている点に注目すべであろう。
根子番楽保存会・畠山充氏

 若い世代に、「やってみたい」と思ってもらうことが継承に必要な要素だと思う。私も小さい頃、先輩たちが演じる「尊我兄弟」が、すごく格好良かったので、やってみたいと思った。自分もそんな存在になれたらと思う。
山伏・日知舎主宰 成瀬正憲氏

 全国を旅する中で出羽三山に出会い、2008年、羽黒修験「秋の峰」で山伏となる。2009年に山形県に移住。羽黒町観光協会職員として「出羽三山精進料理プロジェクト」など地域づくりを行う。しかし、出羽三山の山伏文化は、高齢化で継承が難しくなっていた。それを継承するために、2013年、コミュニティビジネスを展開する日知舎(ひじりしゃ)を設立した。
▲羽黒山参道 ▲山伏の法衣と法具(いでは文化記念館)

 主な活動内容は、山伏修行の運営、出羽三山精進料理プロジェクトの運営、山菜やきのこの採集と流通販売、「アトツギ編集室」としての出版活動・展覧会・ツアー企画・実施、地域の手工芸品のリデザイン・流通販売など、多岐にわたるコミュニティビジネスの手法で地域文化を継承する活動を行っている。

 文化を継承するには、経済とリンクしなければならない。仕事がないという理由で若者がいなくなれば、文化も継承できない。一つの仕事で月に20数万円稼ぐとなれば、なかなか難しいのが現実。しかし、一つの仕事で月3万円なら可能。こうした小商いを7つ束ねれば21万円になる。そうした複合的な仕事を持つことが大事。
ドキュメンタリー映画監督・三宅流氏

 「岩手鬼剣舞の一年」では、「鬼剣舞」の踊り手たちが、岩手県の小さな町のコミュニティで担う重要な役割を描いた。その制作を通じて感じたことは、鬼剣舞が子どもたちから見て「格好いい」と憧れるような存在であること。八木沢番楽が「これからの世代」にとって「格好いい」と思えるような存在であり続けることが重要である。

 保育園、小学校、中学校、近隣の高校も巻き込んで伝統芸能を継承する場を設け、継承のためのベースをつくっておくことが大事。そうすれば、一度やめても、再度その価値に気付いた時にスムーズに再開することもできる。また、芸能甲子園のような競う場があればモチベーションも上がる。
▲八木沢番楽「露払い」  ▲「鞍馬」
▲「尊我兄弟」 

有終の美を飾った「八木沢番楽」

 復活した八木沢番楽を初めて拝見した。鞍馬、尊我兄弟とも、本家・根子とほぼ同じであることが良く分かった。しかし、鞍馬の演目では、弁慶が最後に横にしたナギナタを4回飛ぶシーンがあるが、残念ながら失敗してしまった。ナギナタが飛び越えられなかった足で蹴られて前に遠く飛び、中途半端な形で終わってしまった。
 全ての演目が終わり、全員舞台の上に勢ぞろいした時、応援隊の水原さんがマイクをとった。尊我兄弟以外は、全て地元の小中学生たちが一生懸命演じてくれた。弁慶が最後に4回飛びを失敗したので、ここで再度やってもらいますと言うと、弁慶が再度チャレンジ・・・何と見事に成功した。すると、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。どんなに練習したことだろう・・・思わず涙がこぼれるほどの感動があった   
▲日本画・白田誉主也「カミコアニ」(旧小沢田小) ▲絵画・田中望「ハレノノヒ」(旧沖田面小)

66日間、延べ1万5千人来場

 KAMIKOANIプロジェクトには、県内外の芸術家28人が出展。期間中、八木沢、沖田面、小沢田の3集落に作品を展示したほか、様々なイベントを開催。8月9日~10月13日までの66日間で来場者は延べ1万5千人、過去最高を記録した。     
参 考 文 献
「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」(大高政秀、北羽新報社)
「菅江真澄遊覧記5」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社)