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 2014年10月19日、神楽フェスティバルが鹿角市記念スポーツセンターで開催された。ユネスコ無形文化遺産登録の大日堂舞楽(鹿角市八幡平)、早池峰神楽(岩手県花巻市)、秋保の田植踊(仙台市)の東北3団体が初めて集ったほか、北は青森から南は熊本まで、7県10団体が伝統の舞を披露した。
▲羽立大神楽(能代市二ツ井町) ▲秋保の田植踊(仙台市)
神を招く神楽・・・芸能の起こり

 私たちの願いは、昔も今も、「健康長寿」である。それをかなえるには、一つが「無病息災」であること。もう一つは、食べ物が充分に手に入ること、すなわち「五穀豊穣」である。そのために、私たちの先祖は、人生の節目ごとに無病息災を願い、また四季折々に五穀豊穣を祈って、様々な儀礼を行い、芸能を演じてきたのである。
山部田神楽(熊本県玉名市)
 神楽は、神座を設けて神々を勧請し、その前で鎮魂・清め・祓いなど、神祭に奉納される芸能である。語源は、神座(かみくら)の約音とするのが定説になっている。

疑問その1・・・鎮魂の儀礼とは何か

 人の体は肉体と魂から成り立っているが、肉体は月日とともに衰えるが、魂もやはり弱り、やがて病気になったり、怪我をすると考えられていた。だから、定期的に魂を強くする必要があった。そのために、神を呼び招き、神が持っている最も清く強力な魂を分け与えてもらうことが鎮魂の儀礼である。この儀礼が芸能化したものを神楽と呼んでいる。

疑問その2・・・祓い・清めとは何か

 病気や怪我などの身体的疾患、地震や風水害、日照り、火山爆発などの自然災害は、「悪霊」の仕業と考えたために、これを払い除けることが必要であった。この四方の悪霊を舞いながら祓い清める儀礼なども行われる。
① 巫女神楽・・・巫女が舞う神楽で、巫女舞ともいう。
神楽の分類

 神楽は、宮中の神楽と民間の神楽に大別される。民間の神楽を「里神楽」ともいい、巫女神楽、出雲流神楽、伊勢流神楽、獅子神楽の4種に分類されている。しかし、同種に分類されている神楽であっても大同小異が著しく、各種の要素が複合しているなど、複雑な様相を呈しているので注意が必要である。
② 出雲流神楽

 島根県松江市の佐陀神能に代表されるもので、榊や弓、剣などを手に取って舞う採物舞と仮面をつけて能風に演じる神能が交互に行われる。西日本各地に分布。
③ 伊勢流神楽(写真:横手市大森町の「保呂羽山の霜月神楽」)

 湯立神楽、霜月神楽ともいい、祭壇に湯釜を据え、その周囲で神楽舞を舞う。保呂羽山の霜月神楽は、二つの釜で湯を沸かし、その湯でまわりを清め祓う湯立神楽でもあり、伊勢流神楽の古い形を伝えているといわれている。
▲早池峰神楽(岩手県花巻市) ▲本海獅子舞番楽(由利本荘市)
④ 獅子神楽

 神の仮の姿である権現=獅子頭によって悪魔祓いや無病息災を祈祷する神楽で、東北地方に伝わっている。秋田・山形では、獅子舞あるいは番楽、ササラとも呼んでいる。青森・岩手では山伏神楽、権現舞、能舞などの呼び名がある。その多くは山伏や神子たちによって、神社の祭りなどで演じられた。
▲富根報徳番楽(能代市) ▲杉沢比山番楽(山形県遊佐町)
参考:番 楽

 山形県北部、秋田県ほぼ全域に伝わる芸能の一種。修験信仰を基盤に山伏修験が伝えた神楽で、岩手県の山伏神楽、青森県の能舞と同系のもので獅子神楽に分類されている。番楽と言う名称は、菅江真澄の十二の番舞説ほかあるが、その由来は明確になっていない。

 番楽は、能風の情趣をもった中世的な性格の芸能で、成立は江戸時代初期以前と想定される。鳥海山麓の秋田県側に数多く分布する本海流番楽などのように獅子舞を含む番楽と、秋田県の県央部から県北に伝わる番楽や、山形県遊佐町の杉沢比山番楽のように獅子舞を持たない番楽とがある。
舞楽(写真:大日堂舞楽)

 古代に大陸から渡来した芸能で、雅楽器の伴奏に合わせて舞を舞うものである。大和朝廷はこれを保護したので宮廷行事に定着し、今日まで伝えられている。民俗芸能としての舞楽は、そうした中央の舞楽が地方に伝播し、山伏神楽などの影響を受けつつ、今日に伝承されている。
山部田(やまべた)神楽(熊本県玉名市)

 山部田神楽にある12演目の一つ・四剣の舞は、四人の舞手が浄衣、袴、烏帽子、白足袋という神職のいでたちで、左手に剣、右手に鈴をそれぞれ持ち、笛、太鼓に合わせて勇壮に舞う。特に笛と太鼓、鈴の音、足のすり足が特徴。山部田熊野座神社に12演目を奉納し、幣、榊、弓などは神棚に供えて置くと、家内安全、災難防除に良いとされる。
横町神代(よこまちしんだい)神楽(山形県遊佐町)

 横町神代神楽は、7月の第1土曜日、諏訪神社神楽殿で奉納上演される。この神楽は仙台神楽の流れを汲むものと推測され、昭和32年に大物忌神社の例大祭で舞われたのを最後に途絶えたものの、昭和58年に復活。伝承している6演目は、日本の神話を題材にしたもので「源の頼光」「刀くぐり」「伊邪那岐(イザナギ)命」「スサノオノミコト」などがあり、太鼓・横笛、鉦(打楽器)の音に合わせ、独特の抑揚を付けた台詞を交えながら勇壮に舞う。
▲早池峰神社(花巻市大迫町) ▲早池峰神楽の御面(大迫郷土文化保存伝習館)

早池峰(はやちね)神楽(ユネスコ無形文化遺産、岩手県花巻市)

 岳集落の早池峰神社には、文禄4年(1599)と記された獅子頭があることから、500年以上の伝統を持つ非常に古い神楽であるといわれている。早池峰神社の開山は、1300年と伝えられているほど早池峰信仰の歴史が古く、修験山伏の影響を受けた祈祷の舞が神楽になったものと言われている。

 岳地区は、早池峰山に最も近い集落で、早池峰の神を奉る早池峰神社があり、その門前として集落が開かれた。神楽は集落内の「六坊」によって伝承されている。
 岳神楽は、早池峰神社の奉納神楽で、神楽幕には神社の名と、その神紋を左右に染めている。江戸時代には、盛岡南部家の祈願所であったため加護され、その家紋の向かい鶴が神紋として継承されている。

 昭和の初め頃までは、農閑期に各地を巡業して歩いた。こうした通り神楽、廻り神楽と呼ばれた巡業は、戦後に途絶えたという。今では、神社の祭礼や年祝い、新築祝いなどに招かれたり、イベントで公演することが多い。 
 昭和40年代に記録された「山伏神楽」の映像を拝見したことがあるが、驚いたのは、出稼ぎにいく若者が大きな太鼓を担いで行くシーンだった。都会のど真ん中・・・仕事の合間に早池峰神楽の練習を欠かさない。その姿に、500年以上の伝統の重さがヒシヒシと伝わってきた。東北に最も多い山伏系の神楽、番楽の中でもトップに位置する舞だと思う。
松館天満宮三台山獅子大権現舞(鹿角市)
 (まつだててんまんぐうさんのだいさんししだいごんげんまい)

 松館の菅原神社に伝わる権現舞を、地元の人は天神さんのお神楽と呼ぶ。権現様と言う獅子頭をかぶって舞う人と尻尾を持って動く人の二人立ちで演ずる。また、九字を切って印を結ぶ真言を唱えるという、山伏作法が色濃く見られる湯立の二つが伝承されている。
秋保(あきう)の田植踊(ユネスコ無形文化遺産、仙台市)

 仙台市太白区秋保町の田植踊は、湯元、長袋、馬場の三地区に伝承され、これを総称して「秋保の田植踊」と呼んでいる。その年の五穀豊穣を田の神様に祈る予祝の芸能として小正月に踊られた。特徴は、田植え作業の部分のみ舞踏化し、優雅で華やかに表現されているところ。

 「弥十郎」という道化役が最初に踊り、前口上として演目の説明を行う。弥十郎には「鈴振(すずふり)」という雛子役が後に続く。踊りの花形「早乙女」は8人くらいで務める。かつては、20代くらいまでの女性でしたが、現在は小学生の女子が中心に伝承している。「早乙女」は揃いの振袖に手差、脚絆、自足袋の装束で、花笠をかぶる。囃子は、笛と小太鼓、大太鼓と唄からなっている。
羽立大神楽(秋田県無形民俗文化財、能代市二ツ井町)

 大神楽は、一人の至芸に達した芸人がこの里を訪れたことから始まったと伝えられている。全ての舞を三角形に舞って進むのが特徴で、8月13日に集落の墓地の前で舞われる。演目は、獅子舞と三勝、おかめ舞がある。
 会場内を巡りながら踊る姿は、他の獅子舞には見られない、オリジナリティに溢れている。獅子頭の下を布で覆う点は同じだが、色が派手で、他の獅子舞に比べて桁違いにデカイ。その巨大な獅子が軽妙かつ激しく踊る姿が滑稽で実にユニーク。どんな悪霊も、この獅子舞にはかなわないような気がする。また、山の神がこの芸を見たら、さぞ喜ぶに違いない。
津軽神楽(青森県弘前市)

 神職のみによって演じられる格式の高い芸能で300年の歴史をもつ。津軽地方の神社において、祭礼等に神楽殿や拝殿で行われる。 神入り舞、宝剣など11演目が現在残っている。かつては、「狂楽舞」として牛若丸、弁慶など、下北地方に伝承されている能舞・神楽と同種の演目もあったという。 
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)(ユネスコ無形文化遺産、鹿角市)

 八幡平小豆沢地区に鎮座する大日堂は、大日如来を本地とする社堂で、その祭りをザイド、奉納される芸能を大日堂舞楽と呼んでいる。正月二日、大里・小豆沢・長嶺・谷内の4集落から30数人の能衆が出て、夜明けに行列を組み、凍てついた雪道を笛太鼓を鳴らして大日堂へ向かう。最初に堂前において神子舞、神名手舞、権現舞を舞う。その後堂内に入り、四角い舞台の上で権現舞、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞、田楽舞などを奉納する。
▲神子舞(各集落共通) ▲駒舞(大里の能衆二人)

 舞楽を伝承するために、4集落で舞を分担し、これを継承するために舞楽に携わる人たちは田畑を耕作する権利・地付神役と呼ばれる手段を用いて、明治維新まで厳重に行われてきた。この舞楽を舞う人は能衆と呼ばれ、現在でも役柄により約二週間から5日間ほど間口に注連縄を張り、行と称して精進潔斎をして身を清めて奉仕する。さらに、舞う人は、神子舞、神名手舞の二つの舞を繰り返しながら、人から神へ化身するものとされる。
大日堂舞楽の由来

 「だんぶり(とんぼ)長者」伝説によると、この舞楽は大日堂が養老二年(718)に再建された時に、都からきた楽人によって伝えられたのが起源とされている。千三百年の歴史を持つ県内最古の舞楽である。

 8世紀(奈良時代)といえば、大和朝廷が蝦夷経略に意欲を燃やし、712年に出羽国設置。733年には、秋田市寺内の高清水に秋田城を設置している。鹿角の大日堂と共に比内の独鈷大日堂は、中央に従わない蝦夷系の反乱を防ぐために、蝦夷対策の前進基地として据え置かれたといわれている。だとすれば、大日堂舞楽は、蝦夷を調伏するための国家的な祈りがルーツと推測することができる。
菅江真澄「だんびる長者伝説」(「けふのせば布」1785年)

 1785年、真澄32歳の時、八幡平小豆沢地区に鎮座する大日堂を訪れ・・・
 「小豆沢村にさしかかると、いかめしくつくられた大日如来の堂があった。その由来は・・・」と、だんびる長者伝説を詳しく記した後、「長者が亡くなってから、ここに寺を建てよとの勅命があって、養老の頃とかに建てられたのが、すなわち養老山喜徳寺である。・・・たいそう古い寺らしく、運慶作の五大尊があり、何の仏だろうか、朽ちた御像が数多く立ち並んでいた。寺の前の大杉に、養老の昔物語をしのんだ。」
▲鳥舞(大里)

 だんぶり長者が飼っていた鳥の舞といわれる。大里の三人の子どもが白い綿帽子状の包冠の上にそれぞれ雄、雌、雛の鳥かぶとをかぶり、右手に日の丸の扇、雄は左手に鈴を持ち、親子がむつみ合うさまを可憐に舞う。
▲五大尊舞(谷内)

 谷内の能衆6人が頭に梵天冠と面をつけ、肩に打越を着て、右手に太刀を持ち、大博士は左手に鈴、小博士は左手に紙垂を持ち、太鼓と板子の囃子に合わせて舞う。だんぶり長者夫婦と四人の家臣の舞とされている。

 古典的な音楽も舞も、ゆっくりとした旋律で、遥か古代の重厚さを感じる。神事芸能として、歴史が長いだけでなく、質の高さを実感する舞楽である。それだけに神楽フェスティバルのフィナーレを飾るにふさわしい舞であった。
参 考 文 献
「鹿角市史第四巻」(鹿角市)
「鹿角の歴史案内」(柳澤弘志、無明舎出版)
「民俗小事典 神事と芸能」(神田より子ほか、吉川弘文館)
「会津の民俗芸能」(会津若松市)
パンフレット「大日堂舞楽」(鹿角市)
パンフレット「神楽フェスティバル」(鹿角市教育委員会)