2014年10月25日~11月3日、白神山地きりえの祭典が、藤里町三世代交流館、町総合開発センターで開催された。自由なテーマで全国から募った「全国きりえコンクール」の作品展示や地元のきりえ作家・平野庄司氏きりえ原画展、きりえ体験ワークショップなどが行われた。 | |
▲能代市二ツ井町きみまち阪から七座山を望む | |
▲上の写真と同じ位置から描いた「きりえ」作品・・・平野庄司氏「きみまち阪展望」 ・・・上の写真と見比べてみてください。その正確な描写と、白黒にもかかわらず、奥行き感、立体感、強烈なインパクトを持っているのが不思議である。 「きりえ」とは きりえは、紙を切って創る絵画手法の一つ。風景を描いた下絵を白黒でコピーし、その裏に黒い和紙を重ねて固定し、カッターなどで白い部分を裏側の黒い和紙と一緒に切り抜き、コピーを外せば、黒い和紙がベースのきりえが出来上がる。最近は、白黒だけでなく、カラー作品が多くなっている。 日本きりえ協会が、漢字の「切り絵」ではなく、ひらがなの「きりえ」を選んだのは、切り絵という文字面から受ける伝承を伴う細工物のイメージを払拭し、創作するという強い姿勢で「きりえ」に対峙する人たちの集まりであることを表明するためだという。だから、ここでも「きりえ」と表記する。 |
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「きりえ」作家・平野庄司さん(1928年~2011年) 平野庄司さんは、昭和3年、能代市に生まれた後、妻の実家のある世界自然遺産・白神山地の玄関口・藤里町に住んでいた。昭和46年頃、自身の病気をきっかけに、「きりえ」の創作をスタート。四季折々の農山村の風景や暮らしと文化、野の花などを題材に約40年間で600点を創作した。 著作は、「山里の日々」「里の四季」「野の花」「西馬音内・北の盆踊り」「北の民話」「北のわらべ唄」など絵文集18冊を刊行。日本きりえ協会代表委員を経て同協会顧問も務めた。2007年度藤里町教育文化功労者表彰、2009年度白神文化賞を受賞している。2010年、作品206点を町へ寄贈、その翌年83歳で亡くなった。 |
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▲入賞作品の展示 | ▲文部大臣賞「駆ける」保坂洋子(秋田県) |
「全国きりえコンクール」の作品を見ていると、ほとんどがカラー作品で、その色鮮やかさと精緻な作品に驚かされた。その後、平野庄司さんの原画展をみたら、全てが白黒2色・・・そのシンプルさゆえに、かえって過ぎ去った過去を思い出し、感動するものがあった。 |
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平野庄司氏きりえ原画展(町総合開発センター) 初めてみる原画展を、一つ一つ立ち止まって食い入るように眺めた。四季折々、自然に生かされた、心豊かな暮らしがあったことを思い出させてくれる。「世界一幸せな国ブータン」じゃないけれど、幸せとは何かのお手本は、外の国ではなく、最も身近な「ふるさと」にあったのである。 |
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▲「かた雪わたり」(平野庄司) | ▲「かた雪」になった山里の朝 |
陽射しもすっかり春めいてくると、昼の暖気で解けた雪が、夜間の寒気でカチカチに凍り「かた雪」になる。大人が歩いても少しも足が雪にもぐらなくなる。雪のない時には、田んぼや沼や水路があって行けなかった所でも、どこでも歩いて行ける。雪が解ける前の朝、そのかた雪の上を渡り歩いて、より近いルートを見つけて一直線に学校まで通学した。それはそれは楽しい思い出であった。 |
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▲「福寿草」(平野庄司) | ▲藤里町横倉棚田の福寿草 |
雪解けの早い海岸部の福寿草は、3月中旬頃に咲く。けれども内陸部の藤里町では、約一ヶ月ほど遅れて咲き始める。「きりえ」では、福寿草が咲いても、まだ深い雪に覆われた山里の風景を描いている。温かみのある黄色が鮮やかで、雪国の幸せを象徴する花である。 |
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▲「早春」(平野庄司) | ▲ネコヤナギ |
山里に春を告げるネコヤナギが、花芽をふくらませ、左下にフキノトウが青い花芽をのぞかせている。遠くの山にはまだ深い雪がある。その山の麓には、長い冬の間、雪に閉じ込められていた子どもたちが、春を待ち切れずに山野を駆け巡る姿が描かれている。 |
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▲「ふきのとう」(平野庄司) | ▲ふきのとう(バッケ) |
早春、雪はまだ深いが、日増しに細くなっていく。珍しく暖かい日が続くと、一部雪が解けて土がのぞいた斜面にバッケが一斉にほころぶ。雪国の子どもたちは、雪の下から顔をのぞかせた土と、春の使者・バッケの群れを見ると、待ちに待った春がかえってきたことにたいそう喜ぶ。 |
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▲「ラッパ水仙」(平野庄司)・・・山里の庭先に多い春の花の代表である。 | |
▲「いわうちわ」(平野庄司) | ▲白神山地のイワウチワ |
「いわうちわ」は、ブナ林が芽吹く前、林床を桜の花吹雪のように一面を彩る。ブナの原生林で有名な白神山地を代表する草花である。 |
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▲「みずばしょう」(平野庄司) 藤里町では、田苗代湿原のミズバショウが有名である。湿原は、藤里駒ヶ岳(標高1,158m)の登山道入口から徒歩15分程度。駒ヶ岳は、古くから信仰の山で、山頂には女神がすみ、田苗代湿原は「神様の田」と言われている。昔から岳参りをしてその年の豊凶を占ったという。 |
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▲「縁がわ」(平野庄司) 平野庄司さんの絵文集は、絵だけでなく、文章も素晴らしい。 「山々が緑一色にお色直しし、新緑が目に染みるばかり。暖かい春の日ざしがさしこんでいる縁がわで男の子が笹巻をほおばっています。堰端のアヤメは今が盛り。その向うで女の子らが縄跳びを始めました。遠くの緑の山は、みんな同じ緑ではなく、葉っぱの成長によって、うす緑、うす紅、黄緑などと毎日のようにその色を変えていくのです。」 |
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▲「田植え」(平野庄司) | ▲「たばこ休み」(平野庄司) |
田打ちから代かき、そして、田植えへ。田植えの主役は、女性。早乙女たちのにぎやかな声が田んぼのあちこちから聞こえてきた。家族、親戚一同が集まっておこなう田植えの風景は、遠い過去のものになってしまった。「たばこ休み」の「きりえ」には、酒の入った一升ビンが描かれている。そうだ、「どぶろく」が出されていたのを思い出す。子ども心に、田植えは、まるでお祭りのように見えた。 |
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▲「葦のやぶ」(平野庄司) | ▲囲炉裏とベンケイ |
「葦のやぶ」よりも、背後に釣竿とバケツを持った兄弟の絵が、やけに心に沁みる。かつて農山村では、子どもたちがとってきた魚は、大事な家族の食糧だった。たとえ親に隠れて魚とりに興じても、咎めるどころか、大漁を一緒に喜んでくれた。食べ切れない魚は、囲炉裏に魚を串刺しにして焼き、ワラで作ったベンケイに刺して保存した。 |
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▲「駒おどり」(平野庄司) | ▲浅間神社 |
「藤琴駒踊り」は、約400年の歴史をもち、県無形民俗文化財に指定されている。参勤交代の大名行列が行われていた頃の、道中の殿様の慰めに舞い踊った演舞が始まりとされる。上若、志茂若にわかれた色とりどりの衣装をまとった若衆たちが華麗に演舞する様は、迫力満点である。浅間神社(右の写真)祭典の際に行われる。あわせて獅子舞、奴踊りなども演じられる。 |
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▲「影ふみ」(平野庄司) | |
秋の夕方近くになると、子どもたちの人影が西日を浴びて長くなる。ジャンケンで、鬼を決める。鬼は、その影を踏まれる方である。だから、相手に踏まれないように必死に逃げ惑う。家や大きな木の陰に逃げ込んで、自分の影を消せば鬼の勝ちである。思えば昔の遊びは、ほとんどゼロ円だった。 |
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▲「夕やけ」(平野庄司) | ▲日本海に沈む夕日 |
西の空が真っ赤に焼け、夕やけ雲が形を変えながら、いろんな色に変わっていく。「きりえ」には、カラスが三々五々、ねぐらに帰っていくのを、子どもたちが家へ帰る途中で見送っている光景が描かれている。「カラス なぜ鳴くの カラスは山に・・・」の歌が思い出される。 |
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▲「通りゃんせ」(平野庄司) | ▲鎮守の森 |
鎮守の森の広い境内は、子どもたちの格好の遊び場だった。「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神さまの細道じゃ・・・」。歌い終わると、鬼の二人が手を結んで門にしていた腕を急に下ろして、通ろうとする子どもをつかまえる。鬼は、そのつかまえられた子と交代する。ほかに、かけっこ、陣取り、輪遊び、かくれんぼ、馬乗りなど、暗くなるまで遊んだ。 |
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▲「ろばた」(平野庄司) | ▲囲炉裏と焚き火 |
平野庄司さんの説明文・・・「ろばたは、家族が一日の仕事や遊びを終えて語り合う所です。おばあさんから昔語を聞くのもろばたでした。いろりの火棚には、串柿、そのわきの方に大根が干されています。魚の串焼をさした゛べんけい゛も吊るされていました。火棚の中央から吊り下げた縄かぎには、鉄鍋がかかっています。鉄鍋が煮立ちはじめ、ふたが踊っているように忙しく動いています。焼き芋の黒い皮をはぐと、香ばしい香りがあたりに広がります。」 昔は、暮らしの中心に「囲炉裏」があった。囲炉裏は、暖房、照明、調理、大根や魚の燻製、濡れた衣類の乾燥などマルチに活躍した。きりえには、穴の開いた障子から、寒がり屋の猫が顔を出しているのも懐かしい。昔は、ネズミ退治として、どこの家でも猫を飼っていた。 |
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▲「かまくら」(平野庄司) | ▲横手のかまくら |
ドイツの建築家・ブルーノ・タウト、「かまくら」を絶賛(昭和11年) 「実にすばらしい観物だ!誰でもこの子供達を愛せずにはいられないだろう。いずれにせよ、この情景を思い見るには、読者は、ありたけの想像力をはたらかせねぱならない。私たちが、とあるカマクラを覗き見したら子供たちは世にも真じめな物腰で甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんな時には、大人はこの子達に一銭与えることになっている。ここにも美しい日本がある。それは-およそあらゆる美しいものと同じく‐とうてい筆紙に尽すことはできない」 (「日本美の再発見」岩波新書) |
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▲平野庄司氏の「きりえ」絵葉書+百円ショップの額 きりえ体験ワークショップのコーナーでは、きりえ絵葉書1枚100円で販売されていた。それを買って、100円ショップで販売されているハガキサイズの額に入れると、立派な部屋の飾りになる。これはお買い得であった。 |
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▲「マタギ」・・・専用の額につき500円 | ▲「なまはげ」・・・100円ショップの額だから計200円 |
▲平野庄司氏のきりえ作品が販売されている「白神山地 森のえき」 住所: 〒018-3201 秋田県山本郡藤里町藤琴字里栗38-2(世界遺産センター隣) TEL: 0185-88-8021 営業時間: 午前9時~午後5時 定休日: 毎週木曜日 |
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参 考 文 献 | |
「山里の日々」(平野庄司) 「里の四季」(平野庄司) 「日本美の再発見」(ブルーノタウト、岩波新書) 秋田さきがけ2014年6月17日付け「文化の旅へ⑫ 藤里町 切り絵創作意欲向上へ」 |