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 商人の町として栄えた横手市増田・・・明治・大正・昭和に建てられた商家の多くは、建物の中に内蔵を持つ。昔から、増田は、宮城県や岩手県に通じる交通の要所であり、雄物川の支流である成瀬川と皆瀬川の合流地として、街道を行き来する人、物資の集散する流通拠点として発展してきた。明治期には生糸や繭、葉タバコ、酒造などが産業を支え、県南を代表する商人町として繁栄してきた町である。

 今、駐車場を備えた郊外型の大規模ショッピングモールが至るところに存在し、買い物客の足がそこに流れる。また、ネットショップが発達するなど商品の流通形態が変貌するなか、街中にある商店街は寂れる一方だ。当地も4kmほど離れた所にショッピングモールがある。

 こういったなかにあって増田は、これまで築いていた地域の文化の魅力を公開し、多くの人々が訪れる活気あふれた町へと生まれ変わっている。

観光物産センター蔵の駅 
 
 当時の繁栄を今に伝える伝統的な街並みや内蔵が残っていることから、文化的な価値が非常にい高いとの評価を受け、平成25年12月27日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。町には多くの観光客が訪れる。「蔵の駅」で説明を受けてから、他の公開されている施設を巡ると良い。 
  増田地区の家屋の典型的な間取り。表通りに面して店があり、そして家族の居住空間、水屋があって蔵がある。間口は5間から7間(9m~12.6m)と狭い反面、奥行きは50間~100間(90m~180m)ほどあり、極端な短冊形となっている。
 蔵の駅は、明治大正期に金物商などを営んだ旧石平金物店。横手市に寄贈された。主屋及び蔵は明治中期に建てられたもの。店は、観光案内所兼物産販売所となっており、居住空間には横手市と友好都市を結んでいる茨城県那珂市の「倭文織と吊し雛」が飾られている。
 県外から団体客が訪れ、増田の歴史や蔵の話しを解りやすく伝えてくれる。 
 蔵の中に入って見学ができる。1階部分は、入り口を入ると板の間、奥に畳敷の座敷を配する2室構成、2階部分は板の間の1部屋構成となっている。 
 店側から蔵を望む。水屋には井戸があるほか、古い街並みの写真や各種資料が展示されている。

山吉肥料店 
 公開している施設の一つ、「山吉肥料店」を訪れる。公開している施設では、写真撮影禁止の所もあるが、説明をしてくれた奥様は、写真撮影もOKということで、お邪魔する。

 主屋の建築は、その外観の様式や、その後の設備工事の状況等から、明治43年以前の建築であることが推定され、水屋から蔵前の小屋組に洋小屋組(トラス)が用いられていることから、この部分は、大正期から内蔵が建築された昭和前期に改修されたものと言われてるとのこと。店から奥まで長い通り土間が続く。
 座敷の造りも立派。天井が高い。国民文化祭の時だけの催しだろうか、婚礼道具が飾られていた。平成7年に長女の方が結納の時に召した衣装や酒気セットなどが展示されている。屋号も入っており、この家に伝わる由緒ある品々なのだろう。 
 当家の内蔵は、増田の土蔵文化の終盤期である、昭和前期の建造といわれている。規模も大きく、土蔵の仕上げとなる漆喰には技の極といえる職人の卓越した技術を見ることができる。増田地域に残る内蔵では新しい蔵ということだが、明治・大正と土蔵造りで磨き上げた増田の職人達の卓越した技が凝縮された、増田の蔵の集大成といえる貴重な内蔵だ。 

 扉は5段で増田の内蔵の中でも最も凝った造りということで、パンフレットにも利用されている。扉は片方で約1トンの重さがあるが、ひとりで開閉できるそうだ。内蔵へ上がる石段は院内石で、1段ずつ1枚の石となっており、贅を尽くしているなぁと感じたところである。 
 内蔵の中を見学することができなかったが、当家も蔵の中に座敷がある。冠婚葬祭を蔵の座敷で行うとのこと。内蔵の外側を囲む鞘飾りは、麻の葉の装飾を施した格子細工。黒漆喰は、松の油煙で煙ぶしたあと、雲母で丹念に磨いてツヤをだす。 
 反対側の扉も5段、蛇の模様は、ネズミが入らないようにするまじないとのこと。 
 内蔵を覆う主屋の外観。そして、敷地はズーと奥へ続く。
  裏口、裏通りに面している。この地では、商売が成功すると競って内蔵を造ったという。間口が狭いながらも奥行きのある敷地には、さらに外蔵が設けられた。内蔵を持つこの建造物は、増田の商人魂が表れた証である。

参 考 資 料
増田~内蔵のある町~  横手市
奥ゆかしき商家の町並み~ますだ~ 横手市ホームページ