本文へスキップ

昆虫シリーズ53 嫌われる虫と感染症

  • 虫が媒介する感染症・・・蚊やダニに刺されると、今も昔も恐ろしい感染症にかかることがある。厚生労働省では、それを防止するため、「蚊・ダニにはゆるくない対策を!」「今年もあなたの血を狙って奴らがやってくる!~ダニ・蚊の襲来に備えよ」といった啓発ポスターを作成している。
    1. ダニ類・・・ツツガ虫病、ダニ媒介脳炎、重症熱性小板減少症候群(SFTS) 、日本紅斑熱、クリミア・コンゴ出血熱
    2. ・・・日本脳炎、ウエストナイル熱、デング熱、チクングニア熱、ジカウイルス感染症
    3. ノミ・・・ペスト
    4. ハエ・・・腸管出血性大腸菌感染症
  • ダニ類が媒介するツツガ虫病(「つつが虫病のしおり」秋田県)
     ツツガ虫病は、生まれながらに病原体をもつツツガ虫というダニ類の幼虫に吸着されると発病する感染症である。この病は、真夏にかかる秋田、新潟、山形各県の一部地域だけの風土病と誤解されていた時代もあった。昔から秋田で恐れられていたのは、雄物川沿いで真夏にアカツツガ虫に刺されると感染する病で、地元では「ケダニ」と呼ばれていた。子どもや農作業する農民らが高熱に苦しみ、命を落とした。河川敷に生息するアカツツガムシがもたらす病だったが、長らく原因は不明だった。 
  • ツツガムシの生活環(「つつが虫病」山形県衛生研究所)
     卵→幼虫→若虫→成虫という生活環の中で、唯一幼虫の時期にだけ野ネズミなどの動物の体液を吸う。この幼虫の時期にヒトが偶然、病原体を持ったツツガムシに吸着されることでツツガ虫病に感染する。 
  • ツツガ虫病の症状(「つつが虫病のしおり」秋田県)
     初めの症状は、ひどい風邪とよく似ている。まず体がだるく食欲がなくなる。次いで、ひどい頭痛や寒気とともに38℃~40℃もの高熱が出る。4、5日すると、胸や背中から腹部にかけて赤褐色の直径2~3mmの発疹が現れ、その後腕や顔にも増えてくる。治療が遅れたりすれば、全身の内臓機能が侵され、重い脳炎のような症状がおこる。治るまで数カ月の入院あるいは死亡に至ることもある。今でもツツガ虫病は、怖い病気の一つ。
  • 菅江真澄が記録したツツガムシ病の記録(1814年、雪の出羽路雄勝郡)
     菅江真澄は、薬草や医療に詳しく、それが旅に役立っていたので、雄勝郡でも温泉の効能や「ケダニ」に強い関心を寄せていた。当時は、祈るほかなかった謎の奇病として恐れられていた。湯沢市逆巻(酒蒔)村では、「このあたりの河原には『ケダニ』という虫が住み、夏から初秋にかけて通行人を刺して病を生じ、死人も出た。」と記している。県南の雄物川流域には、「ケダニ地蔵」や「ケダニ神社」「ケダニのお堂っこ」などが数多く残っている。当時、毎夏多くの人々がツツガ虫病に苦しみ、ただただ「疫病退散」を祈るしかなかったことを如実に物語っている。 
  • 身近に潜む危険生物「マダニ」
     マダニの生息場所は、野生動物が出没する環境に多く生息するほか、民家の裏山や裏庭、畑、あぜ道などにも生息する。だから山菜採りや登山、ハイキング、農作業など、身近な場所に潜む危険生物がマダニである。大きさは2~4mm。マダニに刺されると、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)や日本紅斑熱などの感染症を引き起こすことがある。
  • クマと同じく、身近な生活圏に近づくマダニ(図出典:国立感染症研究所)
     マダニは、元々クマやシカ、イノシシなどの野生生物が住んでいる山の中が主な生息域であった。かつては野生動物も警戒心が強く、人間が住むエリアには近づかなかったため、マダニが身近に発生するということもなかった。少子高齢化が深刻化するにつれて、野生動物と人間社会との境界線が曖昧になり、今では市街地でもクマなどの野生動物の異常出没が問題となっている。つまりクマ問題と同じく、マダニも我々の生活圏内に近づいてきている。だから身近に潜む危険生物「マダニ」にも注意!
  • SFTS・・・SFTSウイルスを保有するマダニに刺されることによって引き起こされる感染症。刺されてから6~14日後に、発熱、倦怠感、頭痛、筋肉痛などインフルエンザに似た症状が現れる。嘔吐、下痢、腹痛なども多く見られる。現在、予防ワクチンや有効な治療薬がなく、重症化すると死亡する場合もある。致死率は10~30%と高い。今のところ、東北では発生例がなく、関西以西を中心に北陸で発生している。(図出典:国立感染症研究所)
  • 日本紅斑熱・・・リケッチアを保有するマダニに刺されることで感染する。刺されてから2~8日後に、頭痛、38℃以上の発熱、倦怠感などが現れる。また腕や足を中心に、かゆみのない紅色の皮疹が見られる。カサブタに覆われたマダニの刺し傷が見つかることもある。有効な治療薬はあるが、治療が遅れると重症化し、死亡する場合もある。
  • ダニに咬まれないためのポイント、対処法(図出典:国立感染症研究所)
  • 小さな吸血魔・・・「日本残酷物語2」 襲い掛かる虫群」要約
     明治以前のアイヌの人々にとって、小さな吸血類は悪魔の化身だった。沼沢地帯では蚊、草原ではアブ、森林地帯ではアブ、ヤブカ、ヌカカ、清流のほとりではブユが、彼らに襲い掛かる小悪魔であった。さらに部落では、ノミとシラミが彼らの血を吸った。西別川沿いには、アイヌが120~130軒住んでいたが、夏マス遡上期の蚊害がひどかった。せっかく水面をうずめるほどマスの大群が遡上して来るのを知りながら、漁もできずに余所へ避難しなければならなかった。 
  • 絵:就寝中に蚊やノミ、シラミの妖怪に悩まされる(「松梅竹取談」1809年刊、歌川国貞作画)
  • 苦しめられた毒虫類の記録①・・・明治の北海道開拓談(「日本残酷物語2」要約)
     最も困ったのは、毒虫類で、アブ、カ、ブユなど20年間苦しめられた。それも雪が解けるとすぐから11月初めまで半年以上続いた。当時は、口に燻すものをくわえて働いた。女性は、布を被り、目だけは野球用のマスクのようなものを作って、それを蚊帳布で包んで顔に当て、少しの隙間もなく体を覆った。一番困ったのは、夏の暑い盛りに赤ん坊を布で包んで背中に背負うと、子どもが苦しがって悲鳴を上げる。家に入る時は騒ぎ物で、まずヨモギなど折って体中の虫を払い落としながら家に飛びこみ、寸時も争って虫のついているヨモギを炉火に投げて焼き殺した。
     用便中のアブやカの来襲には、手の施しようがなく、あらかじめフキを2、3本手に用意して、牛馬が尻尾を振るのと同じように追い払って用を足した。さらに蚊帳布などでは到底防げぬくらい小さなヌカカの群れに襲われると、毒素も激しく、慣れぬ人は刺された後、1カ月以上も腫れがひかなかった。
     アブの多い地方では、その出現期の昼間は、人も馬も外出すらできなかった。クッチャロ湖畔の川湯温泉付近では、「アブ休み」というのが昭和初期まであった。虻田などという地名は、元々アブにちなんで付けられたものであろう。昭和13年、檜山の上ノ国村にある川の福山線開設工事の際、アブが余りに多く、工事を一週間休まねばならなかったので、「虻多川」と名付けられたと言われている。 
  • 苦しめられた毒虫類の記録②・・・「日本奥地紀行」(1878年、イザベラ・バード)
     昨夜は蚊がひどく、もし未亡人とその美しい娘たちが一時間も我慢強く扇であおいでくれなかったら、私は一行も書けなかったであろう。私の新しい蚊帳はとても具合がよく、ひとたび中に入れば、外でぶんぶんうなっている血に飢えた蚊どもの失望した様子が見えて楽しい・・・
     この湿気の多い気候のもとで・・・ノミや蚊から全く解放されることは、とても望むべくもない。しかし蚊は所によって数が多かったり少なかったりする。ノミの方は、なんとか避ける方法を発見した・・・スズメバチとアブに左手を刺されて、ひどい炎症を起こしている・・・スズメバチは何百となく出てきて、馬を狂暴させる。私はまた、歩いている時に人を襲う大型のアリに咬まれて炎症を起こし苦しんでいる。日本人はよくそれに咬まれるが、その傷口を放置しておくと治り難い腫瘍となることが多い。このほかにハエがいる。英国の馬バエのように見たところ無害そうであるが、咬まれると蚊のようにひどい。以上が、夏の日本旅行の短所のいくつかである。
  • 江戸時代、蚊をどうやって撃退していたのか?
     上の図会は、「拾遺都図会」(1787年刊)の「馬の足を洗う図」(平安京都都名所図会データべース/国際日本文化研究センター)。右側の妻が持っているのは「蚊やり」といって、器に杉や松の青葉などを入れて火を焚き、燻した煙で蚊を追い払うもの。左側の夫は馬の足を洗っているが、馬に蚊やハエがたかると嫌がって動き回るので、それを防ぐために「蚊やり」を使っていたことが分かる。江戸時代は、室内では蚊帳が吊られ、縁側や庭先など室外では「蚊やり」が二大防虫アイテムであった。
  • 菅江真澄図絵「疫病の家」(長野県の山麓、粉本稿)
     疫病とは、集団発生する伝染病、はやり病で昔から最も恐れられていた。特に農山村では、栄養失調と、凶作・飢饉が重なり、村が全滅することもあった。真澄が描いた図絵の説明文には、「疫病を患った者があると、その家の周りに垣根をつくり、親戚の者でさえ覗き見ることもできない」と、記されている。
  • 菅江真澄図絵「天然痘の子ども」(長野県の山麓、粉本稿)
     天然痘は紀元前の昔から、ウイルスによる感染力が非常に強く、死に至る疫病 として恐れられていた。真澄が歩いた江戸時代後期、子どもが天然痘を患うと、家に置かず、山に仮小屋を作って入れ、食べ物を運ぶのみであった。真澄が描いた図絵の説明文には、「天然痘を患った子どもを親が近くの山に捨てておくと、乞食らが看病する。病が癒えると親の元に返し、幾らかのお礼をもらう」と記されている。
  • 菅江真澄図絵「避疫神」(大館市雪沢、おがらの滝・秋田県立博物館蔵写本)
     ワクチンも治療薬もなかった時代は、神仏に祈るほかなかった。真澄が描いた「避疫神」「草人形」は、村に疫病や悪霊が入り込まないようにするために、村の境に立てた人形神を描いた図絵である。「小雪沢の関屋を越えると、道の傍らに大木でもって人形を二つ作り、赤色に塗って、剣をもたせ武人になぞらえたものが立っていた。これを小屋に入れている。クサヒトガタと同じく、民の疫病を避けるまじないとしていて、春秋に作りかえたり、あるいは赤色を塗りかえたりしている」(おがらの滝)
  • 菅江真澄図絵「村境に立つ草人形」(大仙市土川、月の出羽路仙北郡・秋田県立博物館蔵写本)
     「村里の入口ごとに立てられている疫神祭(えがみさい)草人形である。その里により形は異なるが、おおよそその高さは五、六尺、あるいは七、八尺で、それを超えることはない。杉の葉で乱れ髪をつくり、板に目鼻を描き、藁で覆う。胸には牛頭天王の木札をさし、剣を持たせる。あるいは木刀をささせ、又は剣をささせる場合もある。毎年春と秋、この草人形は作りかえる」(月の出羽路仙北郡三)
  • 村を疫病などから守る鹿嶋様
     湯沢市岩崎地区の三つの町内(末広町、栄町、緑町)では、それぞれ高さ約4m前後のワラ人形を作って、村の入口に奉り、邪悪なもの、悪霊、疾病などの退散を祈願してきた。このワラ人形を「鹿嶋様」と呼び、現在も春と秋の二回化粧直しが住民の手で行われている。
  • 人の血を吸う蚊
     蚊は人間の吐く二酸化炭素を感知して寄ってくる。そして、ストローのような口吻で、人などの皮膚をノコギリのように切り裂き、芯の部分にある管を刺し込んでいく。この時、相手が痛みを感じる「痛点」を巧みに避ける。さらに血を吸う時、血が固まらないように唾液を出す。それがカユミのもとになる。蚊が動物の血を吸うのは、タンパク質をとって卵を産むためである。だから血を吸うのは、産卵前の♀だけ。普段は、♂も♀も花の蜜や草の汁を吸っている。蚊による感染症は、マラリア、デング熱、ジガ熱、日本脳炎など。その中でも一番感染者が多いのは、マラリアである。蚊は水たまりから発生する。水たまりを覗くと、ボウフラが湧いていることがある。これは、親の蚊が産みつけた卵が孵化したものである
  • ボウフラがいる場所
    1. 防火用水、どぶ、下水・・・アカイエカ・チカイエカ・オオクロヤブカ
    2. 田んぼ、沼、ため池・・・コガタアカイエカ・シナハマダラカ
    3. 空きカン・空きビン・竹の切り株・お墓の花立てなど・・・ヒトスジシマカ・トウゴウヤブカ・ヤマトヤブ
  • 蚊帳・・・寝床などの周りに吊るして蚊の侵入を防止する蚊帳は、中国から伝来し、上の図絵のとおり、江戸時代には一般庶民の日用品になっていたことが分かる。昭和後期には、気密性の高いサッシが普及したことで、蚊の防御は蚊帳から網戸へと変わった。
  • 上図絵:「絵本四季花」(1801年、喜多川歌麿画/国立国会図書館デジタルコレクション)
  • マラリア
     ハマダラカという蚊は、血を吸う時、マラリア原虫を人から人へと感染させる。この原虫は、人の赤血球の中で爆発的に増殖し、40℃もの高熱と頭痛に繰り返し襲われる。熱帯マラリアは「悪性マラリア」とも呼ばれ、免疫を持たない日本人が感染すると、治療を受けなければほぼ100%死に至るという。
     この病気は、古代や中世の時代からあったと言われているが、その原因が分からなかった。1898年、イギリスの医師・ロナルド・ロスが、苦心の末に、蚊がこの病気を広めることを突き止めた。かつてこのマラリアによる死亡者は100万人以上と推計され、近年でも40万人が命を落としている。 
  • マラリア防除用蚊帳・・・日本の化学メーカーは、伝統的な蚊帳をヒントに、1本1本の糸に殺虫剤を練り込み、取りついた蚊を駆除できる蚊帳を開発。その蚊帳が、WHO担当者から「神からの贈り物」と評されるほど、マラリアによる死者の減少に大きく貢献している。 
  • デング熱
     デング熱は、デングウイルスをもった蚊に刺されることによって発症する。蚊に刺されてから2~7日後に高熱が出て、発疹、頭痛、骨関節痛、嘔気・嘔吐などの症状が見られる。しかし、症状を示すのは、感染した人の4人に1人で、3人は無症状のまま不顕性感染者。軽症の人が多く、ほとんど1週間ほどで完治する。一部の人は、重症化してデング出血熱やデングショック症候群を発症することがある。早期に適切な治療が行われなければ死に至ることもあるという。
     デング熱は、熱帯、亜熱帯地域で大規模な流行が報告されている。しかしデングウイルスを運ぶ蚊は、熱帯に生息するネッタイシマカだけでなく、日本にも生息するヒトスジシマカの2種だという。2014年、東京の代々木公園を中心にデング熱の流行が発生した。この時の媒介者は、ヒトスジシマカであった。ワクチンや治療薬がないので、デング熱の予防は、蚊に刺されないことに尽きる。 
  • 松尾芭蕉「奥の細道」・・・ノミ、シラミの俳句
    仙台藩と境を接する出羽新庄藩領境田村の庄屋有路家に泊まって詠んだ句
    蚤(ノミ)虱(シラミ) 馬の尿(しと)する 枕もと
  • 意訳・・・貧しい旅の宿で寝ていると蚤や虱に苦しめられる。その上宿で馬を飼っているので馬が尿をする音が響く。その響きにさえ、ひなびた情緒を感じるのだ。 
  • ノミ
     ノミとダニは、よく混同されるが、ノミの足は6本、ダニは8本だからノミはれっきとした昆虫である。しかも、サナギを経て成虫になる完全変態昆虫である。その体長は1~9mmほどで、動物が出す二酸化炭素を探知し、動物の体毛の中に潜り込んで血を吸う生きもの。人や犬、猫に限らず、多くの動物に寄生する。その口は、血を吸うために針状に尖っている。ハネは退化し、後ろ足に取りつく際に高く跳び上がれるように発達している。ノミは、世界に約1,800種もいるという。ネコノミ、イヌノミ、ネズミノミなどという種は、ある特定の動物だけに寄生するノミである。
  • 日本で最初の虫類図譜:「千虫譜」(1811年)に描かれたノミ・・・絵の右側に顕微鏡(ヨーロッパ製)を用いて写し取ったと書かれている。
  • 「絵本真葛が原」ノミ(蚤)・・・着物についたノミを母親が取り除こうとしている。当時は、見つけたら指先で素早く捕まえ、そのまま爪で潰すのが手堅い処理方法であった。
  • ノミが媒介するペスト
     ネズミなどの野生動物や家畜に寄生するノミが体内にペスト菌を持っている。このノミに刺されると、2~7日の潜伏期間を経て、刺された場所に関係したリンパ節にペスト菌が感染する。リンパ節はテニスボールのように大きく腫れあがり、高熱や皮下出血も生じる。14世紀のヨーロッパの流行では、人口の3分の1以上がペストによって失われ、皮膚が黒くなることから「黒死病(Black Death)」と恐れらていた。
  • シラミ
     シラミもれっきとした昆虫である。ノミと同じく動物の体表に取りついて血を吸う。成虫にハネはなく、足は短く、体は平べったい。人につくのは、ヒトジラミとケジラミ。他にイヌジラミ、ウシジラミなど、特定の動物だけに取りつくものがほとんど。 
  • 日本で最初の虫類図譜:「千虫譜」(1811年)に描かれたシラミ
  • トコジラミ
     シラミの仲間ではなく、「カメムシ」の仲間で、触れるとカメムシ類と同じようにいやな臭いを発する。別名「南京虫」と呼ばれている。成虫は5mmほど。血を吸われると、「赤いブツブツ」と激しいかゆみに襲われることがある。さらに現在問題となっている「トコジラミ」は、ピレスロイド系の殺虫剤が効かない「スーパートコジラミ」へと進化しているという。欧米では以前からピレスロイド系殺虫剤に対する抵抗性への進化が問題になっていて、これらの抵抗性個体が日本に持ち込まれた可能性が高いと言われている。
  • 嫌われるハエ
     ハエは、小林一茶の「やれ打つな 蠅が手をすり足をする」という有名な俳句のとおり、昔から人間の生活と深い関係をもち、嫌われる昆虫の代表である。ハエは、汚いところを歩き回り、足や体に付いた病原菌を運搬する。それによって人や家畜に媒介される病気は、赤痢やコレラ、チフス、ポリオ、O-157など60種以上あるといわれている。
  • 嫌われ者のハエだが、動植物の死体の分解者として重要な役割を担っているほか、受粉にも一役かっている。 
  • 腸管出血性大腸菌感染症
     加熱前の牛の食肉や内臓には、O157などの腸管出血性大腸菌等が付着していることがあり、加熱不十分な状態で食べると、感染する場合がある。また、牛糞や発酵不十分な堆肥に触れたハエが接触した食品を食べると、感染する場合もある。感染すると、出血を伴う下痢の原因になり、溶血性尿毒症症候群(HUS)や脳症などを引き起こし、死亡することもある。
  • 昆虫が体を守るしくみ(写真:蛇の死骸に群がるハエ)
     生ごみや動物の死骸・排泄物には、人間が病気の原因となる細菌やカビ、ウイルスなどがたくさんいる。ハエの成虫は、それらをエサとし、それに卵を産む。卵から孵化した幼虫は、腐った動植物の体液やそこに棲む細菌などを食べて育つ。ハエやカブトムシの幼虫は、細菌などが侵入した時、それらを殺す仕組みがある。
     ハエやカブトムシは、抗菌タンパク質の「ディフェシン」や「ザルコトキシン」をつくり、細菌を殺す。この抗菌タンパク質は、カイコの仲間やハチの毒、カエルの皮膚など、多くの生き物から見つかっている。この抗菌タンパク質の研究によって、新しい薬や治療法、木材の防腐剤、防カビ剤などが生まれると期待されている。 
  • ハエは、4枚のハネのうち2枚を小さく退化させ、実質2枚のハネだけで飛んでいる。それでも、自由自在に速度を変え、瞬時に方向転換もできる。例え人が飛んでいるハエを素手で捕まえようとしても不可能なほど、飛翔能力がずば抜けて優れている。この成虫の飛翔能力がさまざまな環境への進出と適応によって多様化していった。 
  • ヤドリバエの仲間・・・他の昆虫に卵を産みつけ、ふ化した幼虫がその昆虫を内側から食べて成長する。このハエは、グンタイアリの襲撃を観察し、やっと逃れたキリギリスやゴキブリに産卵する。まさに火事場泥棒のようなやり方で捕食寄生する。
  • ウシアブ・・・複眼は緑色、全体的に灰緑色で、家畜や人間などの皮膚を噛み切って、血を吸う嫌われ者。吸血昆虫の中では大型で、噛まれた時に強い痛みを感じる。8月の盆の頃、特に多く発生する。雑木林の樹液にも好んで集まる。 
  • 体長 17~25mm
  • 嫌われ者の虫を詠んだ小林一茶・・・小林一茶が詠んだ俳句の中で、蚊が169句、蠅が101句、蚤(ノミ)が106句もある。
  • 疑問・・・一茶は、なぜ嫌われ者の虫の句が多いのか
     一茶は、三歳の時に母が病死。後に継母とも折り合い悪く15歳で奉公のため江戸に出る。「我と来て遊ぶや親のない雀」・・・晩年になっても妻、子どもたちを次々と亡くし、大火で家まで消失するなど、終生家族運に恵まれなかった。その不運な人生と、人から嫌悪される虫たちを自分自身に重ねるかのように多くの小動物を愛した。例えば、「やれ打つな 蠅が手をすり足をする」とういう名句に出てくる蠅は、一茶自身である。人にうとまれ、邪魔にされる蠅は、まるで自分みたいなものだと一茶は思っている。だから、かわいそうじゃないか、と。
  • 小林一茶の虫の句にみる作品世界」(韓玲姫、綿抜豊昭)によれば、「一茶思想の根底には、まるで蚊、蚤、蠅のように、家庭や世間に虐げられ、蚊蠅のように、人生を彷徨する自分自身の姿が常にあった。そして、それは一茶の処した境遇により、時には美しく、時には淋しく映し出されるのである・・・一茶が特に嫌悪の対象とされる蚊、蚤、蠅を多く詠んでいるのは、生まれ育った環境と自身の境遇により、常に感じる共感があるからであり・・・一茶にとって蚊、蚤、蠅は共に生きる存在であり、同じ運命を持って生きる最も重要な存在であったと考えられる」 
  • 蚊柱の穴から見ゆる都哉
    蚊の声に馴れてすやすや寝る子かな
    通し給へ蚊蠅の如き僧一人
    五十にして都の蚊にも喰われけり
    うしろからふいと巧者な藪蚊哉
    夜の蚊やおれが油断を笑ふらん
    寝た人を昼飯くひに来た蚊哉
    蚊一ッの一日さはぐ枕哉
    蚊柱やこんな家でもあればこそ

    さはぐなら外がましぞよ庵の蠅
    故郷は蠅すら人をさしにけり
    打たれても打たれても来るや膝の蠅
    蠅一つ打てはなむあみだ仏哉 
参 考 文 献
  • 「ファーブル先生の昆虫教室」(奥本大三郎、ポプラ社)
  • 「小林一茶の虫の句にみる作品世界」(韓玲姫、綿抜豊昭)
  • 「一茶 生きもの句帖」(高橋順子編、小学館文庫)
  • 「日本残酷物語2」(宮本常一ほか、平凡社)
  • 「すごい自然図鑑」(PHP)
  • 「別冊太陽 昆虫のとんでもない世界」(平凡社)
  • 「昆虫学者の目のツケドコロ」(井出竜也、ベレ出版) 
  • 「昆虫はすごい」(丸山宗利、光文社新書)
  • 「きっと誰かに教えたくなる 蚊学入門」(一盛和世、緑書房)
  • 「大江戸虫図鑑」(西田知己、東京堂出版)