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森の学校 森林インストラクターと行く巨木ツアー

日本一のクロビイタヤ、コブ杉

  2019年7月21日(土)、森の学校「森林インストラクターと行く日本一のクロビイタヤ、コブ杉」が開催された。一般参加者等27名が参加。道の駅ふたついで加護山精錬所の歴史や菅江真澄が描いた七座山の図絵を見学、カエデ属の希少種・日本一のクロビイタヤ、七座山の原生林、神社の由来や歴史などについて学んだ後、北秋田市のアジサイ公園、鎌沢の大仏を見学し、道の駅かみこあにで昼食。午後から上大内沢自然観察教育林において、天然秋田スギの成長特性や林内にトチノキが多い理由、日本一のコブ杉などについて詳しく学んだ。
  • 主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
  • 協賛/(一社)秋田県森と水の協会
  • 協力/森林インストラクター会(秋田支部)
  • 講師・・・森林インストラクター小沼啓作さん、地元二ツ井町の森林インストラクター池端 覚さん、秋田県森林整備課澤田智志主幹兼班長 
  • 七座山・・・南に位置する主峰の権現座(ごんげんくら、287.6m)から、北に烏帽子座(えぼしくら)、蓑座(みのくら)、芝座(しばくら)、三本杉座、大座(おおくら)、松座(まつくら)と7座の峰々がほぼ直線上に連なっている。
  • 座(くら)とは・・・断崖や岩場を意味する言葉で、古くは修験者の修業の場であった。七座神社から見渡せる七つの座は、それぞれ神の岩として信仰の対象であった。
  • 菅江真澄図絵「七座山」(秋田県立博物館蔵写本)・・・七座山の麓を行く川舟が描かれているが、この辺りは一里の渡しの中間地点である。この渡しルートは、藩政時代、羽州街道の本道であったが、流水量も多く、岩を砕くような難所であった。ここに道が通されたのは明治13(1880)年のことで、それまではこの難所を舟で行き来していた。
  • イザベラ・バードが「一里の渡し」を舟で渡った記録・・・明治11年7月29日、バードは役所から渡河を禁止されていたが、船頭を雇い増水する米代川を無理に小舟で渡った。バードは、屋形船が激流のため舵を取られ木の葉のようにくるくる回り、自分が乗っている小舟に衝突しそうになった。結局、屋形船は樹木にぶつかり、船頭は樹木に綱を巻き付けたが、その綱に8人がぶらさがると幹は折れ、8人は流れに呑まれて見えなくなった。バードも一歩間違えば遭難しかねない難所であったことをスリル満点に記されている。
  • 菅江真澄図絵「七座山の松座と七座神社」(秋田県立博物館蔵写本)・・・現在の七座橋付近から米代川下流方向を眺めた図絵。米代川左岸が原生林の七座山の松座、右岸が七座神社の森、中央にきみまち阪が描かれている。当時、米代川周辺には、今では希少種となったクロビイタヤがたくさん生育していたのであろう。
  • 七座神社:昔の参道・・・658~659年、蝦夷征伐のため阿倍比羅夫が来航し、ここに船をつないだという言い伝えに由来する。昔から難所であった「一里の渡し」を川舟で行き来していた時代は、米代川右岸から43段の石段を上り鳥居をくぐって七座神社に参拝していたという。
  • 一里の渡し・・・かつて荷上場から上流の小繋舟場まで米代川を上ること約1.4kmあった。この距離が陸路の一里(約4km)と等しいほどの時間と距離を要することから「一里の渡し」と呼ばれていた。
  • 七座神社境内の森・・・七座神社は、原生林が残る七座山と相対し、鬱蒼とした森におおわれている。この境内には、クロビイタヤやオオメシダモドキ、エゾエノキ、フジカンゾウなど分布上注目すべき植物のほか、樹齢200年のフジ、樹齢300年以上のオンコ(イチイ)、樹齢500年を超えるケヤキなど古木が多い。
  • 神社を覆い尽くすクロビイタヤ・・・神社に向かって左側に希少種のクロビイタヤが神社の正面を覆い尽くし、夏でも木陰となって涼しい。まるで神社の神木のように鎮座している。
  • 日本一のクロビイタヤ・・・2016年9月20日、東北巨木調査研究会の調査で、能代市二ツ井町小繋の七座神社境内に生息するクロビイタヤの幹回りが263cmで、日本一であることが分かった。ムクロジ科カエデ属の希少種クロビイタヤは、七座神社社叢に11本、対岸に4本で、計15本が確認された。
  • 希少種・クロビイタヤ(黒皮板屋、ムクロジ科)・・・クロビイタヤは日本固有種で、好む生育地は、低標高の河川に沿った湿った土地である。人為的な土地利用を受けている地域では、生育地が断片化していることから、環境省レッドリストランク絶滅危惧Ⅱ類(VU)、秋田県では絶滅危惧種1B類に指定されている希少種。北海道南部(十勝・日高・胆振・石狩・渡島支庁)、東北北部(青森・秋田・岩手県)、中部山岳(福島・群馬・長野県)とに隔離分布している。
  • クロビイタヤの見分け方・・・カエデの仲間の翼果はU字形に開くが、クロビイタヤは水平に開き、まるでブーメランのような形をしている。また葉の形も独特。直径7~15cmで掌状に5中裂し、裂片の先はやや尾状に尖り、中央部に大きな鈍歯牙がある。
  • 七座神社周辺に希少種・クロビイタヤがまとまって生育している理由
    1. 河川改修、伐採など人為的攪乱を受けていないこと
    2. 湿潤であること(水の補給が常に確保されうること)
    3. 寒冷であること
    4. 側に河川などがある緩やかな傾斜地であること
  • 日本一のクロビイタヤの太さを計測・・・地上から1.3mの高さの主幹の外周を計測すれば約2.7m(公認2.63m)
  • 神が宿る「日本一のクロビイタヤ」から生きるパワーをもらおうと、幹を触る参加者。
  • ケヤキ
  • カツラ
  • ミツバウツギ
  • サワグルミ
  • ウリノキ
  • 未熟なイチョウの実の大量落下
  • 七座山自然観察教育林 面積99ha・・・七座山は、藩政時代に御直山(おじきやま)として保護された原生的な天然林で、天然秋田スギを主体にブナ、イタヤカエデ、ミズナラ、トチノキ、カツラなどの老木が鬱蒼と生い茂り、潅木の種類も多い。コブシ、エゴノキ、ウリノキ、ミツバウツギ、ヤマツツジ、ハナイカダ、ムシカリなどの花が咲く。シダの仲間も多く、特にシケチシダは分布の北限とされている。
  • 参考:菅江真澄が記録した「八郎太郎伝説」、七座山編の要約・・・十和田湖を追われた八郎太郎は、米代川を下り、両岸切り立つ七座山を堰き止めて湖水をつくり、そこを安住の地とした。この地の天神さまは、八郎太郎を追い出すために語り掛ける。ウナギの寝床みたいで窮屈だろう。男鹿半島の方に行けば際限なく広々とした所がある。そこを住家にすれば龍王の宮殿になると勧めた。湖水をつくっている山に穴をあけるよう白ネズミに命じた。ネズミが岩山に穴をあけ、ついに水を通した。すると大洪水となって一座の山を押し流し、八郎太郎はその濁流に乗って米代川を下り八郎潟へ。 
  • 参考:加護山精錬所の誕生・・・秋田藩は、阿仁の銅に多量の銀が含まれていることを知らず、鉱山経営は赤字に転落していた。その原因が精錬技術の未熟さにあることに気付いた藩は、1773年、当時鉱山開発のコンサルタントとして活躍していた平賀源内と鉱山師・吉田利兵衛を秋田に招いた。彼らは、阿仁に一ヶ月近く滞在した。その間、阿仁の粗銅から、鉛を使って銀を採り出す「南蛮吹法」を伝授。秋田藩は、その成果をいかそうと、翌年の1774年、二ツ井町荷上場に加護山精錬所を誕生させた。1862年の収支によると、2万8800両という莫大な利益をあげている。
  • 加護山に精錬所を設けた理由・・・①.加護山上流の阿仁銅山から銅を、藤里町・太良鉱山から鉛を調達できる地の利があること。②.藤琴川沿いの藩の直山は森林資源が豊富で、精錬に必要な燃料に心配がないこと。③.原料の鉱石や生産された銀・銅・鉛などを米代川を下ってすぐ能代湊に運べること。
  • 鎌沢の大仏・・・仏像の高さが約5mあることから「丈六延命地蔵尊」と呼ばれている。この地蔵尊には、二つの言い伝えがある。「弾丸よけ地蔵」の伝説は、兵士たちがお参りをすると不思議なことに弾丸があたらなかったという。「汗かき地蔵」の伝説は、この地方に疫病が発生した時、住民の身を案じて、地蔵尊がびっしょりと汗をかいていたという。市指定有形文化財。
  • 道の駅かみこあにで昼食・買物。 
  • 上大内沢自然観察教育林のスタート地点・・・いきになり「クマ異常出没」の看板があった。出発に当たって爆竹を鳴らす。くれぐれも単独ではなく、複数で行動し、爆竹やクマ避け鈴など音で自分たちの存在をアピールすることを忘れずに。 
  • コブ杉のある上大内沢自然観察教育林の講師・・・このフィールドで20年間調査をしてきた秋田県森林整備課澤田智志主幹兼班長
  • 天然スギの森林にトチノキが多い理由・・・林内には上層を天然スギが占め、亜高木から低木層には広葉樹が多く見られる。中でもトチノキが圧倒的に多い。その理由は、昔、飢饉の際の食糧として植えたのではないかと推測されている。 
  • 林内最大の樹高56m(胸高直径222cm、幹材積65.1m3)・・・林内でもっとも高い杉は、日本一の高さを誇る「きみまち杉」の58mに匹敵する56m。自然観察教育林の面積は3.85ha。その中に樹齢250年を超える天然秋田杉が約700本もそびえ立っている。その神々しい巨木たちは、訪問者を圧倒するような存在感がある。
  • 案内看板や東屋、ベンチのある地点から奥に斜面を下ると、屋根で保護された巨大な抜根がある。
  • 国立科学博物館に展示されている天然秋田スギの抜根・・・これは、平成16年、国立科学博物館新館の常設展示物として秋田スギを展示するため、伐採された抜根である。樹齢は255年、樹高48.6m、胸高直径136cm、材積24m3。
  • 右上の写真・・・国立科学博物館には、根元から先端までの輪切りの円板や、4mの丸太を幹の中心で縦割りにした板や伐採の様子などが展示されている。この写真は、今回メイン講師を務めた小沼森林インストラクターが撮影したもの。 
  • 樹齢255年の年輪調査結果・・・50年くらいは成長が遅い。それ以降急激に成長している。これは、今から200年前、伐採などの何らかの攪乱があったことが分かった。
  • 秋田スギ天然林は、250年を過ぎた現在でも旺盛な成長を続けていることも分かった。つまり、200年前後の天然林でも、間伐によりその後の材積成長量が増加に転じることが分かった。
  • 森の巨人たち百選「コブ杉」・・・「コブ杉」は、平成12年、「森の巨人たち百選」に選定されている。コブ杉は、高さや太さではなく、コブの周囲が6.6mもある「巨大なコブ」が最大の特徴である。
  • 「コブ杉」基本データ・・・直径:1.20m、コブ最大幅2.2m、幹周り:3.8m、コブ最大周り6.6m、樹高:40m、樹齢:200~300年(推定)。
  • なぜ巨大なコブができたのか・・・がんしゅ病ではないか。がんしゅ病は、カビの一種で多くの樹木に病原性を示す多犯性の菌。春から秋にかけて分生子は雨の飛沫とともに飛散したり、昆虫の体に付着して伝播し、子のう胞子は降雨後に放出・飛散して風媒伝播を行う。これらの胞子は葉柄痕や傷口から侵入して発病に至るとされている。
その他の植物
  • ハナイカダ・・・和名は、葉を川を下るイカダに、その上に乗る花や実をイカダを操る船頭に見立てて、「花筏」と書く。何ともユニークで優雅な和名の植物である。 
  • ガマズミ 
  • ヒメアオキ
  • トチバニンジン
  • エゴノキ 
  • オオカメノキ 
  • フタリシズカ 
  • エゾアジサイ 
  • コウゾ・・・赤く熟すと甘い。
参 考 文 献 
  • 「希少樹種の現状と保全 13.クロビイタヤ」(独立行政法人森林総合研究所)
  • 「秋田県の歴史散歩」(山川出版社)
  • 「森吉山麓 菅江真澄の旅」(建設省森吉山ダム工事事務所)
  • 「菅江真澄遊覧記」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社)
  • 「日本奥地紀行」(イザベラ・バード、平凡社)
  • 「秋田スギ天然林における2001年から10年間の成長特性」(澤田智志ほか)
  • 「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
  • 「七座神社 由緒等」、日本一のクロビイタヤ発見の新聞記事コピー配布資料