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森の学校 森の素材でつくる「ミニ門松」

 2019年12月21日(土)、「クリプトンの森の素材でつくるミニ門松」が秋田県森林学習交流館・プラザクリプトンで開催された。参加者は24名。門松は、新年を迎えるにあたり、今年一年の幸福をもたらす「歳神様」を迎える目印(依代)として玄関前や門に立てる。ミニ門松は、業務用の大きな缶を使い、松竹梅の三点セットと、ナンテン、ユズリハを使った本格的なものである。門松の由来からミニ門松に使われる縁起物、竹の切り口は二種類、いつ立てるの、しめ飾りの由来などについて記した資料も配布し、簡単な説明も行われた。
  • 主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン
  • 協力/秋田県森の案内人協議会
  • ミニ門松づくりの講師は、門松づくりの名人・黒崎良雄氏
  • 「秋田風俗絵巻」に描かれた門松(秋田県立図書館デジタルアーカイブ)・・・1700年代後半、秋田藩武家屋敷の正月の様子を描いた「正月年礼」の絵巻。この絵には、門の両サイドに門松が描かれている。松だけで竹や梅は使われていない。当時、久保田には竹が自生せず、正月に梅の花も咲かないからであろう。左の門松には、ユズリハらしきものが添えられている。秋田の山には背の低いエゾユズリハが多く自生しているので、昔から庭木として植えられていたからであろう。
  • 門松の由来・・・新年を迎える際、今年一年の幸福をもたらす「歳神様」が降りてくる時の目印として木を立てたのが始まりと言われている。
    1. 最初は常緑樹のスギやサカキが用いられていた。
    2. 平安時代(794~1192年)、小松を根っこごと引き抜きいた「松」を玄関に飾ったのが門松の由来と言われている。上の絵巻をみれば、武家屋敷にしては以外にシンプルに見えるが、門松の由来をよく示しているように思う。
    3. 松に限られるようになった理由・・・松は「百木の長」ともいわれ、古くから神が宿る木と考えられていたからである。
    4. 室町時代(1336~1573年)に「竹」、江戸時代に「梅」が取り入れられ、「松竹梅」の三点セットが出来上がった。
  • ミニ門松に使われる縁起物
  • アカマツ・・・松は常緑樹で、冬でも枯れないことから、永遠の生命=「長寿」を象徴する縁起物。歳神様が天から降りてくるのを「待つ」という意味もある。だから門松の主役は、竹ではなく松である。 
  • ・・・竹は地下茎を広げで増えるので強風・暴風・地震に強く、さらに真っすぐに伸び成長も速い。「繁栄」を意味する縁起物として松に添える。
  • 竹を3本にする理由・・・「3」は二人の男女の仲を取り持つ意味の縁起物で、高さが違うのはそのためである。決して高さをそろえてはいけない。
  • (中国原産)・・・早春、他の花に先駆けて美しい花を咲かせる。大陸文化の「風雅」を象徴する縁起物。梅は、まだ咲いていないので、梅の枝に花の代用としてポップコーンを使った。 
  • 松竹梅・・・長寿、繁栄、風雅と三拍子そろった最強の縁起物で、門松には欠かせない材料である。 
  • ユズリハ(右上写真はエゾユズリハ)・・・・・・春に古い葉と新しい葉が入れ替わるので、親が成長した子に後を譲るのにたとえて、古くから「子孫繁栄」を象徴する縁起物。 
  • ナンテン・・・「難を転じて福となす」縁起物。また火災避け、悪魔除けの効果があるとされている。
  • 竹の切り口は二種類
    1. 元々は真横に切った寸胴・・・節があるので「お金がたまる=商売繁盛」の意味がある。金融機関、料亭、飲食店、歌舞伎などは、寸胴タイプが多い。
    2. 斜めに切った「そぎ」・・・徳川家康が「三方ヶ原の戦い」(1572年)で敗れた武田信玄に対して、「次は斬るぞ」という念を込めたのが始まりといわれている。その切り口が「笑っている口」に似ていることから、「笑う門には福来る」のとおり、「福を招く」とされている。
  • 縄でミルク缶の外側をきっちり巻く。
  • 縄の結び目がある側が隠れるように裏側にして3本の竹を立て、缶に5cmほど砂を入れて安定させた後、缶の7~8割まで入れる。   
  • アカマツは、枝を一つ一つ剪定バサミで切って、運が右肩上がりになるように、右側が高く、左側が低くなるように挿し込む。 
  • 次にユズリハ、まだツボミの梅を挿しポップコーンを白い梅の花に見立てて飾りつける。
  • 作業風景
参加者の作品
  • 門松はいつ立てるの
    • 12月13日は、山から松を取ってくる「松迎え」をおこなう日=お正月の準備を始める「正月事始め」の日。12月13日以降ならOK。
    • ただし、12月29日は「苦立て」、31日のギリギリに立てるのは「一夜飾り」といって嫌われる。
    • 故に飾るのは、12月13日~28日までの間が良い。
    • 門松を飾ってから取り外すまでの期間を「松の内」と言い、その期間は、1月7日(関東)~15日(関西)までが一般的である。  
  • 参考:「秋田風俗絵巻」に描かれた小正月行事「カマクラ」(秋田県立図書館デジタルアーカイブ)・・・比較的身分の高い武士が住む侍町(秋田市中通~南通亀の町)の「カマクラ」を描いたもの。これは、角館の火振りカマクラや秋田市仁井田地区の火振りカマクラに近い。「秋田風俗問状答(といじょうこたえ)」には、「この日は左義長をする。これを鎌倉という」。
  • つまり、「カマクラ」の原型は、小正月1月15日に行われる火祭り「左義長」のことで、別名「ドント焼き」とも呼ばれている。いわば正月飾りの後始末の行事で、正月に飾った門松やしめ飾り、書初めの作品などを持ち寄って燃やした。その燃やす時の煙に乗って、歳神様が天上に帰っていくと言われている。また、その火で餅を焼いて食べると、一年間病気にならないと言われている。
参 考 文 献
  • 「日本人のしきたり」(飯倉晴武編著、青春出版社)
  • 「秋田風俗絵巻」を読む(金森正也、無明舎出版)