本文へスキップ

人形道祖神 ジンジョ祭り

  • 人形道祖神の聖地「山田のジンジョ様」
     道祖神とは、村に疫病や悪霊などの災いが入ってこないように村の境や道端に祀られている日本古来の神様で、一般的に「石」でできている。秋田では、その多くが「ワラ」や「木」で作られた人形であることから、「人形道祖神」と呼ばれている。現代風に言えば、新型コロナウイルスあるいは鳥インフルエンザのような怖ろしい災いが村に侵入するのを防ぐ神様である。だから今最も注目されている伝統文化でもある。
     県南地方はワラで作られた男の一体だが、大館市周辺は新沢地区の「ドンジン様」や山田地区の「ジンジョ様」のように男女二体が置かれている。中でも山田のジンジョサマは、男女一対の道祖神が村に8カ所、合計16体も祀られているというからスゴイ!・・・今では「人形道祖神の聖地」と呼ばれている。 (写真:2023年12月11日に撮影。以下同じ)
  • 立派な性器をもつジンジョ様
     地元で「ジンジョ様」と呼ぶのは、地蔵様、人形様の意味があるという。「山田地蔵祭由来記」によれば、ジンジョ様のことを地蔵様と表記している。男神と女神は、いずれも立派な性器を持ち、それを隠すようにフンドシを履いている。男神のフンドシには大根、女神のフンドシにはカブの絵が描かれている。祭りの際、隣のジンジョサマと鉢合わせになると、互いの男女のジンジョ様をまるで交合させるようにぶつけ合うという。これは疫病や悪霊が入り込まないために加えて、夫婦和合、子孫繁栄、五穀豊穣を祈る神でもあることが分かる。
  • 参考:性器をかたどった道祖神、別名サエの神
     上左の写真は、にかほ市横岡地域の境界4ヵ所に「男性のシンボル・サエの神(道祖神)」が祀られている。上右の写真は、岩手県遠野の男根石と女陰石である。道祖神は、男女が仲睦まじく並ぶ姿や、男性と女性の性器をかたどったものも少なくない。これは古来の土俗的な信仰と道祖神が結びついて、夫婦和合、多産、縁結びなど「性の神」としても信仰を集めてきたと考えられている。だから男女のジンジョ様に立派な性器がついていても何ら不思議はない。
  • ジンジョ祭り・・・昔は春と秋の二回行われたが、現在は秋祭りのみ行われている。元気ムラの旅の一環で取材したのは、2023年12月11日、大館市山田赤坂で行われたジンジョ祭りである。
  • ジンジョ様に供える三種・・・煮しめ、デンブ、ナマス
  • 粢(シトギ)・・・お米を粉にして水でこねて丸めた食べ物で、ハレの日に山の神や田の神、人形道祖神などへお供えする。
  • 能の代表的な祝言曲「高砂」を詠唱
     定刻になると、一同がジンジョ様に「ところは高砂の おのえの松も としふりて・・・」と第一課、第二課を詠唱する。この謡曲に出てくる松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから「千歳=長寿」の縁起物である。能では、長寿や老夫婦の睦まじさを称えていることから、ジンジョ祭りでも、男神と女神の寿と夫婦和合のお祝いを込めて、「高砂」を詠唱するのであろう。
  • 粢(シトギ)とお神酒の儀
     男の参拝者は、前日ジンジョ様と山神様に備えたシトギを食べ、お神酒をいただく。ただし女性の参拝者は、山神様に備えたシトギとお神酒は遠慮するのが習わし。その理由は、山神様は女の神様だから、女性がかかわると山神様がやきもちをやき、不幸をもたらすからだという。シトギは、風邪をひかないために食べる。昔は、凶作で飢饉に陥ると免疫力が低下し、疫病が蔓延した。疫病に対して抵抗力をつける意味もあるのであろう。
  • 八皿(やさら)の儀
      「山田地蔵祭由来記」によれば、ジンジョ祭りの祭神は、スサノオノミコト(疫病を鎮める神)となっている。だから祭神スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した神話になぞらえ、八皿の儀を行う。真ん中に大の盃1個、周りに小さな盃7個を配し、7個の盃に最初に注ぎ、一端真ん中の大盃に集めた後、さらに酒を注ぎ、合計八皿の酒を参拝客がいただく。万杯飲むと干害負けしないとか、八皿の酒を飲むとその家は作負けしない、稲の収穫量が落ちないとされている。この祭りは、農耕と深いかかわりがあることも示している。
  • 戸渡しの儀式
     来年の当番へ引き継ぐ儀式で、各夫婦が着座し、高砂を詠唱する。これで室内での神事は一旦終了する。
  • 町内巡回
     太鼓と笛を鳴らしながら、男神、女神一対を担ぎ、町内を一巡する。その際、隣のジンジョサマと鉢合わせになると、お互いのジンジョ様をまるで交合させるようにぶつけ合うという。大変ユニークな儀式だが、少子高齢化に悩む秋田にとっては、最も重要な儀式のように思う。
  • お堂に鎮座
     お堂に男神、女神を鎮座させ、粢(シトギ)とお神酒、三種を供える。高砂を詠唱し、悪疫退散、無病息災、五穀豊穣を祈念して終了する。
  • 参考:菅江真澄図絵「避疫神」(大館市雪沢、おがらの滝/秋田県立博物館蔵写本)
     1807年5月27日、真澄は大館市雪沢の道端で、小屋の中に置かれた人形道祖神二体を描いている。「おがらの滝」には、「小雪沢の関屋を越えると、道の傍らに大木でもって人形を二つ作り、赤色に塗って、剣をもたせ武人になぞらえたものが立っていた。これを小屋に入れている。クサヒトガタと同じく、民の疫病を避けるまじないとしていて、春秋に作りかえたり、あるいは赤色を塗りかえたりしている」と記している。
  • 参考:菅江真澄「村境に立つ草人形」(月の出羽路仙北郡/秋田県立博物館蔵写本)
     真澄が大仙市土川で描いた図絵の説明文・・・村里の入口ごとに立てられている疫神祭(えがみさい)草人形である。その里により形は異なるが、おおよそその高さは五、六尺、あるいは七、八尺で、それを超えることはない。杉の葉で乱れ髪をつくり、板に目鼻を描き、藁で覆う。胸には牛頭天王の木札をさし、剣を持たせる。あるいは木刀をささせ、又は剣をささせる場合もある。毎年春と秋、この草人形は作りかえる。 
  • 牛頭天王(こずてんのう)とは・・・京都祇園の八坂神社の祭神で、疫病を防ぐ神であり、神道におけるスサノオ神(スサノオノミコト)と同体であるとされている。明治政府の神仏分離令によって、京都の祇園社は八坂神社と改め、祭神をスサノオ神に変更している。
  • 参考:疫病退散のルーツは京都の祇園祭
     平安時代の869年、都を中心に全国的に疫病が流行。これは牛頭天王(釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神)の祟りだということで、疫病退散の神事を行ったのが祇園祭の始まりとされている。牛頭天王は、スサノオノミコトと習合し、八坂神社の祭神として祀られ、古くから疫病除けの神として崇敬されている。 
  • 参考:東湖八坂神社(潟上市天王)
     京都の八坂神社と同じく、神仏習合時代は「スサノオノミコト」と「牛頭天王」を合祀していた。その「牛頭天王」から地名の「天王」になったと言われている。この神社には、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する神話を劇のように再現した「統人行事」が、潟上市天王と男鹿市船越の両地区住民によって継承されている。歴史は古く、約千年前から現在の形で行われているという。
  • スサノオノミコトと八皿(やさら)の儀
     山田のジンジョ祭りの祭神は、八坂神社の祭神・スサノオノミコトで、八皿の儀は、ヤマタノオロチを退治する神話に由来しているという。すなわち、ヤマタノオロチは、ひとつの身体に頭が8つある。スサノオは強い酒を造り、8つの門ごとに8つの酒を置いておく。スサノオはヤマタノオロチに、この8つの酒で酔わせて退治する。確かに八皿の儀は、この神話に見事に符合している。
  • 参考:菅江真澄「八皿酒」
     1803年、真澄はこの八皿酒の習わしについて「合川町川井では、田打ちが終わった日、あるいは種まきの終わった日に、八皿酒といって、皿または椀を八つ用意し、それを折敷にのせて濁酒をつぎ、主人が飲む。こういう習わしは、この大館周辺にはなかった。三河の国(愛知県東部)の人は大麦をまき終わる日に、その夕方は皿つるしといって、神に酒を供える行事がある。時期の違いはあるが、これはヤマタノオロチに八つの酒を飲ませたいわれとして人に語り伝えている」と記している。
  • ジンジョ様、東京・品川に出張・展示
     2024年1月20~3月4日、東京・品川で開催された企画展「奇想民俗博物館゛まつりと゛」で、疫病や災いから地域を守る人形道祖神・大館市山田のジンジョ様が展示された。また写真パネルで、ジンジョ祭りの様子も紹介されたという。ローカルな祭りが、一気に全国区に躍り出る快挙に拍手を送りたい。
参 考 文 献
  • 「菅江真澄遊覧記」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社)
  • 「菅江真澄、旅のまなざし」(秋田県立博物館)
  • 「菅江真澄図絵の旅」(石井正巳、角川ソフィア文庫)
  • 「田代町史」(田代町)
  • 「田代町史 別巻」(田代町)
  • 「京都・観光文化検定試験公式テキストブック」(京都商工会議所編、淡交社)
  • 「日本の神々と仏」(岩井宏實、青春出版社)
  • 「手にとるように民俗学がわかる本」