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元気ムラの旅シリーズ9 千年の村 大竹探訪

 2023年6月8日(木)、森の学校2023「元気ムラの旅シリーズ9 千年の村 大竹探訪」が、にかほ市金浦大竹地区で開催された。参加者は40名。「秋田のターシャ」と呼ばれるガーデンカフェTimeの庭づくりやフラワーアレンジ、隠れた花園を借景にティータイムを楽しんだ後、ふくじゅ館で昼食。午後は、大竹村を散策しながら、葉衣観音立像や須賀神社、白山神社、樹齢100年以上のシダレザクラ、句碑など、千年に及ぶ村の歴史と文化について学んだ。別途撮影した大竹村の福寿草や桜が満開の季節に撮影した画像も含めて詳述する。
  • 主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン
  • 協賛/(一社)秋田県森と水の協会
  • 協力/ガーデンカフェTime、秋田県森の案内人協議会
  • 千年の村・大竹探訪コース・・・ガーデンカフェTime→ふくじゅ館・昼食→葉衣観音立像→鳥海小瀧道→須賀神社→白山神社→いちじく栽培→樹齢100年以上のシダレザクラ→句碑・石碑→ふくじゅ館 
  • ガーデンカフェTimeガイド①・・・佐々木利子さん
  • 千年の村大竹散策ガイド②・・・佐藤金矢さん
千年の村の庭づくり「ガーデンカフェTime」
  • 2004年、ガーデンカフェTimeをオープンするまでの経緯
     2002年、父が闘病の末亡くなり、その後突然の病で妹と母が入院。父が亡くなった1年後に妹が、その2週間後に母が相次いで亡くなった。半分鬱になるほどの苦難に見舞われた佐々木さんを突き動かしたのは、生前の妹との約束・・・いつか実家の裏庭に小さなガーデンカフェを開き、自分たちの花を見てもらい、つくった料理を食べてもらいたい・・・その夢の実現に向けて、たった一人で竹藪を開墾し、鳥海山の噴石を積み、2004年、手づくりのガーデンカフェをオープンさせた。
  • この庭には、約500種もの花が咲き誇る。特に6月は、一年で最も華やかな季節。 
  • 秋田のターシャ・・・ガーデナー憧れの庭として、「秋田のターシャ」と称賛されるようになった。さらに佐々木さんの美しい庭の四季を1年かけて撮り下ろし写真で紹介した1冊の本『「秋田のターシャ」と呼ばれて』(主婦と生活社)を出版している。 
  • 参考:ターシャとは・・・アメリカの絵本作家で、56歳のときに長年の夢だったバーモント州の山中に18世紀風の農家を建てて移り住み、92歳で亡くなるまで、一日の大半を庭の草花の手入れに費やし、憧れのスローライフを実践した、世界的にも有名なガーデナーである。つまり「ターシャの庭」は、ガーデナー憧れの庭を意味している。だから佐々木利子さんが、「秋田のターシャ」と呼ばれることは、ガーデナーにとって最高の栄誉であることが分かる。 
  • 「ガーデンカフェTime」の名前の由来とターシャの哲学
     佐々木さんは、「花も人の命も永遠ではない。人生には必ず終わりがあり、すぐか先のことか誰にもわからない。だからこそ、今という時間が大切」との思いを込めて、「Time」と命名したという。ナチュラルガーデンづくりを通して、「今を楽しむ」生き方が素晴らしい。一方、孫が語る祖母ターシャの哲学とは、「人生は短い。やりたいことをやって楽しめ。今、この瞬間を大切にということ」、さらに「平凡な毎日を、自分の手で魔法の時間に変えること」だという。こうしたターシャの生き方は、不思議なほど佐々木さんの生き方と共通している。だからこそ、「秋田のターシャ」と呼ばれているのであろう。 
  • NHK「ターシャからの贈りもの 魔法の時間のつくり方」では、「庭は一夜にしてならず、最低12年、時間をかけてこそ美しい庭に育つ」という。佐々木さんの庭は、来年で庭づくり20周年を迎える。究極のナチュラルガーデン・・・だから、カメラでどこを切り撮っても絵になる。
  • フラワーアレンジ・・・ガーデニングコーディネーター・ハーブコーディネーター・フラワーアーティストの資格を持つ佐々木さんには、庭に咲いているお花を器に飾りつけたり、ブーケにしたりして美しい形に作り上げるフラワーアレンジを実演してもらった。 
  • 隠れた花園を借景にティータイム 
  • 庭の植物・・・バラ 
  • コンボルブルス/オルレア 
  • ジギタリス/リシマキア・プンクタータ 
  • アスチルベ/エリゲロン(ゲンペイコギク、ペラペラヨメナ) 
  • エゾグンナイフウロ/ワイヤプランツ 
  • ロリエ/ユキノシタ 
  • ヤマボウシ/エゴノキ 
  • ニセアカシア/スモークツリー 
  • 黄金葉フウチソウ/ドクダミ 
  • ナチュラルガーデンにやってくる昆虫①・・・クマバチ、コマルハナバチ 
  • 昆虫②・・・オオマルハナバチ、、ヒメヒラタアブ 
  • 昆虫③・・・アオハナムグリ 、コアオハナムグリ 
  • 昆虫④・・・モンシロチョウ、キタテハ 
  • 「秋田のターシャ」・佐々木利子さんを囲んで記念撮影・・・今を楽しみ、長生きしましょう!  
  • ガーデンカフェTime (代表 佐々木利子)・・・営業時間10:00~15:00/定休日 火曜日・水曜日・木曜日/ランチは予約制、3日前までご予約を/電話(FAX)0184-38-3537/入園料(庭の維持管理費)500円 
  • 村の各家の庭、塀、道端の至る所に花がある。 
  • 花の里・大竹」を象徴するニホンミツバチ・・・在来種のニホンミツバチは、一年中安定した蜜源がなければ、そこでコロニーを構えることができない。大竹は、一年中花が咲き続く「花の里」ゆえに、ガーデンカフェTimeのすぐ近くにある葉衣観音立像の土台に大きなコロニーを構えていた。 
千年の村 大竹の歴史
  • 大竹地区の歴史は後三年の合戦(1083~87年)まで遡る
     合戦の終盤・1086年、源義家(通称八幡太郎)・清衡軍は、仙北街道を通り、横手盆地・沼館の沼柵に向かう。そこで防備を固めていた清原氏の直系・家衡軍の沼柵は、四方を水で囲まれた天然の要害で、義家・清衡軍は苦戦する。やがて冬・・・飢えと寒さで大敗してしまう。翌年8月、京から義家の弟・義光(佐竹氏の始祖)が官職を投げうって加勢に駆け付けている。この一行に、大竹村の開祖・加賀国(石川県)生まれの三人兄弟の武士も同行してきたと言われている。(写真:「沼柵の攻防」戎谷南山筆・後三年合戦絵詞) 
  • 義光・三人兄弟北上ルート(推測)・・・平安時代は、京から陸奥に向かうには東海道・東山道ルートだったが、出羽に向かうには北陸・日本海ルートであった。だから義光は、京都~琵琶湖~敦賀(福井県)に出て、船で日本海を北上、加賀国で三人兄弟を乗せて山形あるいは由利海岸まで辿り着き、陸路で雄物川町沼柵に向かったのではないか。 
  • 1087年8月、義家軍は、義光とともに、前回敗北した沼柵を陥落させてから、同年9月、家衡・武衡軍が籠城する金沢柵を包囲・兵糧攻めで陥落させている。(写真:「金沢柵陥落」戎谷南山筆・後三年合戦絵詞)  
  • 後三年の合戦は、源義家・清衡軍が勝利。しかし、義家は、さらに蝦夷系豪族の清原氏一掃を画策したことに対し、朝廷から「不当な内政干渉である」として国府を解任、京への帰還を命ぜられた。 
  • 一方、三兄弟は戦に勝ったが、領地をもらう目論見が外れてしまった。京に帰って官職に復帰する源氏兄弟とは身分が異なる。三兄弟は、故郷に帰ることを断念。現在の金浦周辺で一行と別れ、落人同然の身となった安住の地を、未開の地・大竹に定め、村の開祖となったものであろう。(写真:大竹村の真ん中を流れる赤石川と鳥海山を望む)  
  • 兄と弟は、田んぼを開墾し、農民となったが、末の弟は病身のため、加賀国から白山大権現を勧請して別当となり、鷲ノ木沢の山陰の箕輪に居住した。その周辺は、昔から唐竹の多く生えていた所なので、大竹村と名付けられた。以来、千年の歴史をもつ。地元の方言では「オダギ(大竹)」という。(写真:白山神社)  
  • 千年の歴史を今に伝える祭り・・・毎年6月第1週の土曜日、村人総出で「宵宮(前夜祭)」が行われ、翌日曜日、村を挙げてのお祭りが行われる。古式ゆかしき白装束にワラジを履いた若者が神輿を担ぎ、家主たちが裃姿で行列する祭りは、千年の歴史を物語る。 
千年の村 大竹散策
  • 病気が治る葉衣観音立像(ようえかんのんりつぞう)・・・1769年建立。地元の旧家・今野家と十八夜講中によって建立された葉衣観音立像は、1本の鳥海石で作られ、高さが5mもある。この立派な観音様は、石職人の多い村だからこそできたものである。言い伝えによると「今野与右衛門の娘が病弱のため、身体堅固の願いを込めて建立したもの」だという。そのため女性の優しい姿をしている。病気が治る観音様として崇められている。 
  • 観音様のそばには、右に向かって鳥海山小瀧へ通じる旧道がある。高低差のある傾斜と道の狭さが、歴史の古さを物語る。 
  • 須賀神社・・・この神社は、山梨から来た落人が、一時象潟町小滝に逃げ延び、その後大竹に移り住み、京都から勧請した神社だという。一度焼失したが、再建は宮大工ではなく、村の大工職人が行ったという。村に点在する石碑から観音様、神社に至るまで、全て村の職人たちの手で行われていることに驚かされる。
  • 元々白山神社の祭りは7月17日、須賀神社の祭りは5月15日と二回開催してきたが、近年の祭りは、6月第1日曜日の1回に統合された。 
  • ニワフジ/グミの実 
  • 穴掘りが特異なケラ・・・土の中に穴を掘り、ミミズや植物の根を食べて暮らすコオロギの仲間。体には微細な毛が密生してビロード状になり、水をはじき、汚れにくくなっている。前脚は、平たく頑丈で数本の突起があり、平泳ぎのように動かして脇に土を押しのけて進むことができる。この前脚は、モグラの前脚にそっくりで、シャベルやスコップに似た働きをする。湿った草地や田畑などの土中に棲む。ほぼ周年成虫。
  • 白山神社の麓にある五輪塔・石仏・・・元々は、神仏習合のお寺であった証左。明治の廃仏毀釈によって白山神社となり、お寺にまつわる五輪塔や石仏は、下の石碑群に移動された。大抵は捨てられ散逸しているのが普通だが、こうして大切に守り伝えているところに千年の村の神髄があるように思う。
  • 大竹の開祖が勧請した白山神社
  • 大竹地区の二つの神社は、その土地以外は参拝しないローカルな神社ではなく、全国的に有名な本社から分霊する勧請型神社という点でも、他の一般的な農山村とは異なる村であることが分かる。
  • 参考:白山信仰・・・養老元(717)年、加賀国の白山を開山したのは修験道の僧・泰澄(たいちょう)である。「霊峰白山には神仏が坐す」・・・山頂へ登る登拝という伝統的なスタイルは、「霊峰鳥海山」と同じである。
  • 石川県の「白山比咩(しらやまひめ)神社」を総本山とする白山神社は、白山修験によって広まった神仏習合の女神。神仏習合時代は、白山妙利権現と呼ばれ、その縁起には、水の霊力をつかさどる龍神と、当時、霊験仏として脚光を浴びていた十一面観音によって広く信仰された。その神霊は全国の神社に勧請され、その数2,700以上もある。白山の恵みを受けた北陸三県や岐阜県に多いのは当然だが、白山と直接関係のない秋田を含む東北地方にも数多く点在している。
  • サイハイラン/ウリノキ/オオバナルコユリ
  • ヤマトシリアゲ/ミノムシ
  • 北限のいちじく栽培・・・ 栽培が始まったのは昭和30年代。今では、40戸ほどが専業・兼業のいちじく農家で、流通する県内産いちじくの約9割を栽培している。 
  • いちじくは西南アジア原産で、日本では、温暖な西日本が主な産地。北限に位置する大竹のいちじくは、フランス原産の「ホワイトゼノア」。寒さに強く、ジャムやコンポートなどの加熱加工に向いている。特に秋田の伝統保存食「いちじく甘露煮」が有名である。(写真:「勘六商店」で販売されている「いちじく加工品」) 
  • 句碑・・・大竹村では江戸中期頃から、俳句などの文化活動が盛んであった。句碑には、「霞めく老の力と成るばかり/夜は月夜虫を栞に寝る心」 と、二つの句が並べて刻まれている。芭蕉を慕った大竹村の俳人宗匠淇水と門人である妻の句で、昔から文化程度が高かったことを物語る。
  • 芭蕉塚句碑・・・1824年、大竹村の俳人徐水はじめ、その仲間の手で建立された。1691年、芭蕉が京都の落柿舎で詠んだ句が刻まれている。「ほととぎす大竹やぶをもる月夜」と、この句の「大竹」を村ゆかりの地に見立てて、芭蕉を偲び、この地の俳道の発展を願って建立された。 
  • 夜啼松碑・・・参拝をすると赤子が夜啼きをしなくなるという言い伝えがある 
  • 福寿草の名所・・・春3月、大竹一円の雑木林の下に一番早く咲く福寿草の名所として広く知られている。この花は、にかほ市の天然記念物に指定され、遠くから福寿草を見に訪れる人も多い。だから、村の公民館を「ふくじゅ館」と呼んでいる。(2023年3月14日撮影)
  • 今野家の樹齢100年を超える枝垂桜(2023年4月10日撮影) 
  • 桜の季節は「桃源郷」・・・枝垂桜が満開になると、村中の花木が一斉に咲き、まるで「桃源郷」のように美しい。桜の季節に観察した花は、ソメイヨシノ、シダレザクラ、ベニシダレザクラ、ユキヤナギ、ハナカイドウ、ジンチョウゲ、レンギョウ、ツバキ、梅、アオキ、シャクナゲ、ボケ、モクレンなどの花木やヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、コハコベ、タチツボスミレ、スイセン、チューリップなどの草花が村中に咲き乱れていた。
  • 大竹を形容すれば・・・千年の村、福寿草の里、北限のいちじく産地、職人の里、花の里、桃源郷など幾つもの顔があることに改めて驚かされた。四季折々、訪れてみたくなる魅力的な村である。
参 考 文 献
  • 『「秋田のターシャ」と呼ばれて』(佐々木利子、主婦と生活社)
  • 「金浦町史」(金浦町)
  • 「別冊宝島 神社と日本人」(島田裕巳、宝島社)
  • 参考番組 NHK「ターシャからの贈りもの 魔法の時間のつくり方」