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四ツ小屋のケヤキ、一里塚、熊野神社のイチョウ、千年ケヤキ、水神社のスギとモミ、金峰神社のスギ並木
 2014年5月10日(土)、森の学校第2回「森林インストラクターと行く゛千年ケヤキ゛のミステリー探しと巨木ツアー」が開催された。一般参加者、講師・スタッフ合わせて23名が参加。「千年ケヤキ」は何故これほど大きくなったのか、などについて現地で詳しく学んだ。また、社寺林や鎮守の森の自然観察会も行われた。

●内容/社寺林、鎮守の森の著名な母樹を訪ねる
◆主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
◆協賛/(一社)秋田県森と水の協会 協力/秋田県森林インストラクター会
四ツ小屋のケヤキと仁井田堰

 白山八幡神社には、仁井田堰400年の歴史を見続けてきたケヤキの大木が林立している。その巨木の真下を岩見川から取水した水がゆったりと流れている。仁井田堰の起源は、佐竹家が久保田に移ってから、わずか14年後の1616年である。佐竹家の家老梅津憲忠は、藩命を受けて、仁井田原野の新田開発に着手。以来難工事が続き、完成したのは80年後のことであった。
▲仁井田堰を見守るように林立するケヤキの巨木 ▲白山八幡神社(四ツ小屋) ▲本日の講師は森林インストラクターの小沼啓作さん
▲幹周608cm、推定樹齢400年

 木の太さ(幹周)は、地上から130cmの高さの幹周囲を測る。上のケヤキは、608cmであった。樹齢は、その真下を流れる仁井田堰の歴史を参考にすれば、400年と推定できる。その遠い昔に思いを馳せると・・・今から400年前は、仁井田、四ツ小屋、牛島一帯は、荒漠たる原野で、わずかに大野、仁井田部落あたりに三々五々農家が点在しているに過ぎなかった。
▲四ツ小屋神明社 ▲高橋武左衛門翁の肖像

 四ツ小屋という地名は、開墾の目的で雄物川の川岸にあった4戸の農家が移住したことからその名が付いた。四ツ小屋の「御野場」は、一面アシが生え、ウズラが住む荒地だった。藩主が時々鷹狩りにきたことから「御野場」という名がついた。一面アシの荒地を美田に変えた偉人が高橋武左衛門翁である。彼は、四ツ小屋神明社に「先農ノ神」として祀られている。
ケヤキMEMO

 特に関東地方に多く、寿命が長い木なので天然記念物に指定されるものも多い。高さ50m、直径5mに達する巨木もある。文学や歌などにもよく登場する。用途は、社寺建築や臼、盆、漆器など。樹皮は灰褐色で、老木になると鱗片状にはがれる。街路樹のほか、防風や防火のための屋敷林としてよく植えられる。
▲白山八幡神社の境内に群生していたニリンソウ
サイカチの一里塚(大仙市かみおか道の駅)

 1604年、徳川幕府は諸藩に命じ、街道の整備と一里塚を築かせた。江戸日本橋を起点に約4kmごとに道路の両サイドに土盛りを築き、木を植えて標点とした。この一里塚は、江戸材木町から数えて133番目に当たる。土盛りの大きさは直径約10m、塚木はサイカチで、両側に残っているのは秋田県内でここだけという。

サイカチMEMO・・・山野や川原に生え、幹や枝には分岐したトゲが多く、高さ15mほどになる。薬用になり、昔は石けんの代用にした。若葉は食用。
▲アイコ
▲ワラビ ▲ホンナ ▲珍しい白花のシラネアオイ 
熊野神社のイチョウ

 大仙市北楢岡の熊野神社境内にあるイチョウの大木は、残念ながら倒れる危険があったことから、先月下旬に伐採されてしまった。真新しい切株を見れば、内部に大きな空洞があることが分かる。巨樹は、老化や落雷などによって内部が空洞になっているものが多く、年輪を数えて樹齢を正確に把握することは難しい。だから100年、200年サバ読むことは珍しくないという。
▲根元周りを計測すると630cm ▲落雷によって内部が燃えた痕跡が明瞭

 孤立している巨樹は、落雷の被害を受けやすく、被雷すると火災を併発することも多いので致命傷となることがある。このイチョウは、その典型的な事例と言える。
▲新たに注連縄が張られていたイチョウ・・・注連縄は、神が降りてきて宿る神木として祀られている証

イチョウMEMO

 古い時代に渡来し、社寺の境内や街路樹として広く植えられている。高さ45m、直径5mぐらいになる。樹皮は灰色で厚く、縦に割れ目ができる。秋には美しく黄葉し、果実は、外果皮が悪臭を発し、アレルギー皮膚炎を起こす化学物質が含まれているので、素手で触るのは禁物。白くてかたいギンナンは食用になるが、一度に大量のギンナンを食べると、嘔吐、下痢、呼吸困難などを起こすことがあるので注意。
▲ケヤキの巨木 ▲修験の山・出羽三山の名前が刻まれた石碑  ▲「田の神」の石碑

 熊野は、神々の信仰の非常に卓越した修験道の霊所。熊野神社は、その熊野三山の祭神を勧請された神社のことで、全国に3000社ほどあるといわれている。境内にはたくさんの石碑があったが、この石碑群は、村内の道端にあった民間信仰の石碑で、明治初年の神仏分離令でここへ移されたものだという。
千年ケヤキ(大仙市神宮寺宝蔵寺)

 俗に「千年ケヤキ」と呼ばれる巨樹は、見る者を圧倒するほどの迫力、存在感があった。だから、撮影用にポーズをお願いしたわけでもないのに、誰彼となく巨樹の周りを取り囲むように手をつなぎ始めた。これだけ大きな巨樹でも、実に若々しい。だから、近付けば誰もが元気になり、長生きするような気がするから不思議である。
▲幹周りは、何と11m50cm、樹高35m、推定樹齢400年

 幹周りが1,150cm・・・1年に1cm伸びるとすれば、ゆうに千年はかかる。だから「千年ケヤキ」と呼ばれているのであろう。
千年ケヤキのミステリー・・・なぜこんなに大きく成長できたのか

 巨樹にもかかわらず、いまだ樹が成長している勢いがある点が凄い。その圧倒的な存在感は、どこからくるのだろうか。千年ケヤキのそばには「天保飢饉の供養碑」が設置されている。秋田領内でも5万2千人の餓死者が出たという。その屍がこのケヤキの周りに累々と積み重ねられた。

 小沼講師の推理によれば・・・人間には窒素、リン酸、カリが多く含まれている。飢饉で亡くなった屍がケヤキの栄養分となり、たぐい稀な巨樹に成長したという。無念の死を遂げた人々の生まれ変わり・・・それが千年ケヤキの奇跡を生んだと言えるかもしれない。
 昭和18年、戦争のためこのケヤキの伐採を求められたが、時の住職は「この木を伐って戦争に勝てるのなら伐るがよい」と言って守ったという。積雪寒冷地に位置する北東北の歴史を振り返れば、つい最近まで凶作飢饉を繰り返してきた。千年ケヤキは、そんな歴史をつぶさに見てきただけに、「飢饉の悲劇を繰り返すな!」と、一喝するような威圧感がある。ぜひ千年も生き続けてほしいと願う。
▲淡い黄緑色のサクラ「ウコン」 ▲生垣のヤマブキが黄色の花を咲かせ美しい
▲千年ケヤキに至る道沿いの八重咲き大輪のサクラは満開 

水神社のスギとモミ

 大仙市豊川の水神社には、珍しく植えられた年がはっきり分かるスギが入口に2本、境内に2本、計4本の巨樹がある。この水神社には、1677年、用水路工事で出土した秋田県唯一の国宝「線刻千手観音等鏡像」が祀られている。スギが植栽されたのは、鏡奉納の翌年、1678年に植えられたと記されている。だから、今年で樹齢336年ということになる。
▲入口左のスギ幹周り4m、右2本の合体スギ幹周り6.5m  
▲境内内のスギの巨樹2本 ▲境内の周囲に植えられたスギ

 昭和18年、戦争で大部分が造船用に伐採されたが、この4本だけが奇跡的に残ったという。この4本は、市の天然記念物に指定されている。
▲モミ・・・スギと同じか、そう違わない時期に植えられたもので樹齢300年余り、幹周り370cm
▲ムササビの巣 ▲マムシグサ ▲カスミザクラ

ムササビMEMO

 リス科の夜行性動物で、四肢の間に膜があり、翼のように広げて木の上から数十mも滑空する。夜飛ぶので「バンドリ」と呼ばれる。リスと同じで木の穴に住み、木の実や芽、樹皮などを食べる。大正から昭和初期には、毛皮一枚が三日分の日当で売れたという。現在は狩猟鳥獣からはずされ捕獲できない。
金峰神社のスギ並木(仙北市田沢湖梅沢、県天然記念物)

 仁王門のある四の鳥居から拝殿に至る参道沿い約150mにわたり、樹齢400年に及ぶ老杉が、石畳の両サイドに並ぶスギ並木・・・そのスギの巨木一本、一本が見事で、眺めているだけで神が宿っているように見える。スギの巨木は、右に40本、左に41本並んでいる。
▲蓮池農村公園のトイレ
▲四の鳥居とその奥に仁王門 ▲仁王像・・・スギの巨木一本で彫刻されている
▲四の鳥居入口の湧水池 ▲トウホクサンショウウオの卵
 スギの巨木が天に向かって真っ直ぐに伸び、枝がない。だから用材として大きな価値があるという。かつては2つ目の鳥居から拝殿まで約650mにわたって、同様のスギ並木が続いていた。これもまた、水神社と同様、戦争の軍用材として伐採されてしまった。

 秋田の社寺林、鎮守の森は、ことごとく太平洋戦争の犠牲になっていたことが分かる。もしこれが残っていれば、立派な観光文化資源になっていたことだろう。それだけに残念でならない。
▲参道のスギ並木 ▲スギの稚樹

 このスギ並木は、並びの規則性に欠けること、生長に差が見られることから、植栽されたものではなく、自生のものではないかと見られている。唐松神社のスギ並木と並び、秋田県を代表するスギ並木である。
▲ムササビの巣穴  
▲幹周り615cm

 金峰神社拝殿右側のスギの巨木が最も大きい。広く根を張った根元は苔に覆われ、見上げると幹にコブが多くみられる。スギ並木の幹周りが3m前後に対し、6m余りもあった。まさに神の依代となる神木である。
▲蓮池農村公園(ミズバショウ群落) ▲エゾノリュウキンカ 
▲ヤマドリゼンマイ ▲オオバキボウシ  ▲ツボスミレ
▲ニリンソウ ▲オオタチツボスミレ

 四の鳥居入口に広い駐車場があり、その傍らにトイレが整備されている。その後ろには、蓮の池とミズバショウ群落があり、一帯は「蓮池農村公園」として整備されている。その周辺には、様々な草花が自生していたので俄か自然観察会が行われた。
参考:巨木・巨岩信仰

 石を敷き詰めて神を祀る場をつくった鹿角市大湯環状列石は、縄文時代における磐境(いわさか)といわれている。こうした巨木や巨岩を神の降りる依代として崇拝する信仰は、日本人の自然観のベースになっている。今でも巨木の代わりに榊などの樹木に神を降ろしたものを神籬(ヒモロギ)、神を祀るための岩でできた祭場を磐境(いわさか)と呼んでいる。

 「宗教というものはきわめて原始的な精神の働きなので、決してその起源を忘れることはない。何事もない平常時は理論や観念に安んじているが、一旦非常事態や困難に遭えば、自然崇拝が再熱してきて、自然石や樹木や路傍の石像にまで、真剣に祈りを捧げるようになる。」(「石の宗教」五来重、講談社学術文庫)
参 考 文 献
「秋田の巨樹・巨木」(社団法人秋田県緑化推進委員会編、秋田文化出版)
「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
「神社と日本人」(別冊宝島2163)
「石の宗教」(五来重、講談社学術文庫)