2014年6月7日(土)、森の学校2014第4回「元気ムラの旅シリーズ 日本の里百選゛根子集落探訪゛」が、北秋田市阿仁根子で開催された。一般参加者、森の案内人等37名が参加した。新緑と草花に彩られた根子集落内を散策した後、昼食はマタギの里で採れた山菜料理を満喫。午後から国重要無形民俗文化財に指定されている根子番楽のDVD観賞や阿仁マタギの歴史と文化について学んだ。 ●内容/マタギの歴史と文化、古民家にて山菜料理 ◆主催/秋田県森林学習館・プラザクリプトン(018-882-5009) ◆協賛/(公社)秋田県緑化推進委員会 ◆協力/阿仁の森ぶなホテル別館(二又荘)、秋田県森の案内人協議会 |
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国道105号線の笑内(おかしない)集落の向かいに「またぎと番楽の里 根子入口」の看板がある。坂を上り、車一台しか通れない根子トンネルに向かう。トンネルは意外に小さく、中型バスが通れるかどうか・・・降りて確認するとギリギリセーフであった。狭く暗いトンネルを慎重に走ると、一気に視界が開け、まるで隠れ里のような集落が姿を現した。参加者は感動の余り一斉に拍手がわき起こった。 | ||||||||||||||||
源平落人伝説をもつ根子集落は、古くからマタギ発祥の地と言われ、森とともに暮らす美しい山村として「にほんの里百選」にも選ばれている。根子トンネルは延長576m、過疎基幹農道として建設され、昭和50年に完成している。かつては、険しい峠を越えて入らなければならない隔絶された山村であった。 トンネルができる前の記録・・・動物作家・戸川幸夫さん(昭和30年代) ほとんど人と行き会わない峠路をしばらく根子川を見下ろしながら歩いてゆくと、かつ然と山村が展開する。ほんとうに、こんな山懐に村が・・・と思えるほど村は突然に現れてくる。・・・村のつくりは密居形態で、マタギ組の組織が作り出した集落だといわれる。・・・集落の小路は、迷路で・・・「江戸でも迷わなかった乞食が、ここでは迷った」と言われている。(「マタギ・日本の伝統狩人探訪記」戸川幸夫著、クロスロード選書) 秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト「北秋田市根子」 根子地域イラストマップ(PDF) |
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トンネル出口正面には、平成16年2月6日、根子番楽が国重要無形民俗文化財に指定された記念碑が建立されている。また、トンネル出口に向かって左側の小道を上ると、集落を一望できる展望台がある。 | ||||||||||||||||
根子集落探訪のガイドは、根子在住の森の案内人・山田博康さん。彼は、中学卒業まで根子で学び、その後10年間余所で生活した後、再び根子に戻り、半世紀近くマタギの里で暮らしている。だから根子の歴史やマタギ文化に造詣が深く、四季折々マタギの食文化を味わうことができる農家民宿も経営している。 山田ガイドは開口一番・・・かつては集落全部が茅葺民家で、その美しい光景は頭の中に残っている。もし、そのまま残っていたとすれば、白川郷をしのぐ観光文化スポットになっていたであろう・・・確かに「マタギと番楽」そして隠れ里のような村に、茅葺民家ほど似合うものはない。 農家民宿・・・「阿仁の森ぶなホテル」「別館二又荘」 電話 0186-82-2400 農家民宿紹介のページ(美の国秋田・桃源郷をゆく) |
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アイヌ語地名、マタギ言葉とアイヌ語 1805年、漂泊の旅人・菅江真澄は、4年間アイヌの暮らしと民俗文化を記録した後、阿仁を訪れ、アイヌ語地名やマタギ言葉にアイヌ語が多いことを指摘している。 「高い橋を渡ると笑内(おかしない)という部落があった。松前の西の磯伝いにも可笑内(おかしない)というところがあった・・・何ナイ、かにナイという内(ない)は、もと沢という蝦夷の言葉で、昔はこの辺にも蝦夷が住んでいたのであろう」・・・アイヌ語地名が多いことを指摘している。ちなみに 阿仁は、アイヌ語の「アンニ」で、木立の茂る様を表しているという。 「山ひとつ越えると根子という部落があった。この村はみな、マタギという冬狩りをする猟人の家が軒を連ねている。このマタギの頭の家には、古くから伝えられる巻物を秘蔵している・・・かれらの使う山言葉の中には・・・蝦夷言葉もたいそう多かった。」・・・山言葉(マタギ言葉)の中にアイヌ語が多いことも指摘している。 |
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戊辰戦争と根子マタギ・佐藤松五郎 共同墓地に「官軍秋藩 佐藤松五郎墓」と彫られた墓石が建っている。江戸末期、会津や伊達、南部、庄内など東北の雄藩は「奥羽列藩同盟」を結成して幕府側についた。しかし、秋田藩は弘前藩と並んで官軍側につき、四方を敵に囲まれる結果となった。その際、秋田藩は、射撃の名手が多く団体行動を得意とする阿仁や仙北地方のマタギを士分格として召し抱え、特殊部隊を組織して戦った。根子の佐藤松五郎は、その戊辰戦争で戦死したマタギである。 |
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貸し切り古民家「二又荘」(阿仁の森ぶなホテル」別館 電話0186-82-2400) 根子集落にある築120年の「二又荘」は、茅葺きだった家を改装した古民家。名前の由来は、家の前で根子川に備前ノ又川が合流し、二又になっていることから名付けられた。現在は、グリーン・ツーリズムの交流拠点施設として活用されている。自炊、賄いとも可能で、長期滞在の田舎暮らしや合宿にも最適である。 |
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「第29回国民文化祭」は、平成26年10月4日から一ヶ月間秋田で開催される。その際、誰もが気軽に集落内を散策できるよう案内標識が充実している点が素晴らしい。 | ||||||||||||||||
根子番楽伝承館 旧根子小学校は、明治10年荒瀬小学校根子分教場として開設。平成10年3月、創立120年で閉校となった。現在、その旧体育館は、根子番楽の練習場として使用されているほか、毎年8月14日には、定期公演を開催し、一般公開している。 |
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旧根子小学校と校歌 全国広しと言えども、校歌の中に「又鬼(マタギ)」の歌詞が入っているのはここだけである。この校歌を見れば誰しも、「さすがマタギ発祥の地だ」と思うに違いない。 「めぐる山河は うるわしく/やすらかな里 わが根子/ つたえゆかしき 番楽に/又鬼の面影を しのびつつ/学びいこうよ この窓に」 |
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マタギの語源(写真:マタギ資料館) ① 又鬼説・・・阿仁のマタギはこの説をとる。マタギは山の悪い鬼や猛獣を仕留めるから、「鬼のまた鬼」だという説である。漢字では、菅江真澄も弘前藩国日記でも「又鬼」と書かれている。ただし、当て字かも知れない。 ② マタハギ説・・・1802年、菅江真澄は遊覧記の中で、マダ(シナノキ)の樹皮をはぐ「マタハギ」が狩人を意味し、それがマタギに転化したと書いている。 ③ サンスクリット語説・・・秋田の民俗学者・武藤鉄城氏の説。マタギの唱え言葉の最後に「アブラウンケンソワカ」(真言密教の呪文)がインドのサンスクリット語からきている。最下級階層の賎民を「マータンガ(男)」、「マータンギ(女)」からの転用。 ④ 山達(やまだち)説・・・山達とは、木こり、炭焼き、狩猟など山仕事をする人をいう。巻物「山達根本之巻」もこれによる。ヤマダチ→マタジ→マタギと変音したとする説。 ⑤ アイヌ語説・・・元阿仁公民館長・マタギ研究家の松田氏の説。アイヌ語のマタウンパ(雪山で狩りをするの意)からきたとする説。柳田国男は、アイヌ語の「猟」を意味する「マタンキ」に由来するという説を唱えた。カラフトアイヌや狩猟民族のオロッコも狩人をマタギという。阿仁地域にアイヌ語地名が多いこと、マタギ言葉にアイヌ語が多く含まれていることを考えると、この説が有力では? |
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マタギ言葉(写真:森吉山と戸鳥内棚田) 山では日常の「里言葉」は禁止され、マタギにだけ通用するマタギ言葉を使った。山神様は女神だが気性が荒い。夏の間は里に降りて田畑の神様になるが、冬になると神聖な山に入る。するとケガレた里の言葉が嫌いになるからだと言われている。 マタギ言葉とアイヌ語MEMO(金田一京助) 犬(マタギ言葉「セッタ」/アイヌ語「セタ」) 頭(ハッケ/パケ) 水(ワッカ/ワッカ) 心臓(サンベ/サンベ) 大(ホロ/ポロ) 大水(ワッカホロ/ワカポロ) 古代蝦夷の言葉はアイヌ語系統というのが定説。蝦夷征伐でヤマト軍は通訳を連れていた。だからかつては蝦夷アイヌ説が有力であった。しかし、古代史研究が進むにつれて、蝦夷は、辺境の日本人とアイヌが混住していたと考えるのが妥当と言われている。 |
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国重要無形民俗文化財「根子番楽」 「マタギ発祥の地」根子集落に伝わる番楽の特徴は、山伏神楽の流れをくみ、勇壮活発で荒っぽい武士舞いが多いこと。歌詞や口上が上級武家らしい雅さと文学的に優れていること。舞いの形式が能楽の先駆をなす幸若舞以前のものであること。舞には、鎧をつけ鉄製の刀を打ち交わす武士舞いと静かな古典舞いとの二つに大別できることである。かつては番楽をやる人は、同時にマタギもやっていたという。 |
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魚形文刻石(秋田県指定有形文化財) 魚形文刻石は、別名「さけ石」とも呼ばれ、縄文時代中期、約4千年前のものと言われている。現在は風化が進んでいるが、表に6尾、裏に2尾の魚が彫られている。類例は、子吉川流域や雄物川上流域にもあるが、マス類の成仏と豊漁を祈ったものであろう。マタギは、縄文・蝦夷の末裔と言われる証の一つと言えるであろう。 ちなみに北海道・北東北縄文遺跡群として世界遺産暫定リストに記載されている伊勢堂岱遺跡は、マタギのふるさと北秋田市にある。また、鹿角市の大湯環状列石の近くには、かつて大湯マタギの集落があった。 |
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▲観音様として親しまれている根子神社 | ||||||||||||||||
▲根子集落第二ビューポイント | ||||||||||||||||
山の神信仰と根子山神社 マタギが信仰している山の神は、山の全てを支配している。だからその怒りを受けないように細心の注意を払う。山の神は、マタギに獲物を授けるだけでなく、遭難を未然に防ぎ、難儀している時は救ってくれる。だからマタギは、山の神に守られていると信じ、山の神を心の拠り所としている。 根子のマタギの神様である山の神を祀っているのが根子山神社である。かつて、山神社の祭りは4月8日に行われ、根子番楽の奉納だけでなく、相撲なども余興で行われた。 |
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山の神様は大のやきもちやき 山神様は、とても醜い女の神様で、大のやきもちやき。山に女性を入れると山神様がやきもちをやき、猟の失敗と不幸をもたらす。オコゼを見せると「自分より醜いものがある」と、たいそう喜ぶという。だから昔のシカリは、巻物とオコゼを持って山に入った。 こうした信仰は、山伏修験道の影響を強く受けてはいるものの、古来からの山岳信仰と山に生きるマタギたちのユーモラスな創作が加わって、独特のマタギ文化を形成している点が素晴らしい。 |
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▲オコゼ(マタギ資料館) | ||||||||||||||||
ケボカイ(ケボケ)の儀式(写真:マタギサミットより) 獲物は山の神様からの授かり物だから、決して感謝を忘れない。撃ち取ったクマに対する大切な神事がケボカイの儀式である。シカリがはぎ取った皮を持ち、クマの霊を慰め、山の神様に感謝と豊猟を祈る。その時の唱え言葉は、「大物千匹、小物千匹、あと千匹たたかせ給うや南無(なむ)、アブランケ、ソーワーカ」・・・この唱え言葉には、クマの祟りがないように願い、魂を山神様のもとへ帰すためでもあるという。その精神文化は、アイヌのイヨマンテ(熊送り)の儀式に似ているように思う。 このマタギ文化の神髄である「畏敬」と「感謝」の念=アニミズム(自然崇拝)の思想が共生の文化、あるいは縄文・蝦夷の末裔と言われる理由であろう。 |
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▲シカリ(マタギのリーダー)の家に代々伝えられてきた巻物「山達根本之巻」(マタギ資料館) マタギに伝わる巻物MEMO
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▲草花に彩られた集落をのんびり歩き、二又荘へ | ||||||||||||||||
▲古民家「二又荘」内部 古民家の内部には、昭和30年代、全戸が茅葺民家であった頃の古いマタギ集落の写真が展示されている。動物作家・戸川幸夫氏は、昭和30年代前半に何度も根子を訪れ、当時の貴重な写真で綴った「根子スケッチ」や動物作家の名文で伝統的な根子のマタギ文化を分かりやすく記録している。山田ガイドによると、戸川幸夫先生のマタギ本で根子が注目されるようになったという。 戸川幸夫氏の孫、都内で根子のマタギ、番楽を紹介する写真展開催 偶然とはいえ、不思議な縁を感じる・・・戸川幸夫氏の孫・戸川覚さんは、北海道上川地方のアイヌに、冬の仕事を意味する「マタアンキ」という言葉があることを知り、これが「マタギ」の語源の一つと分かり根子集落にたどり着いたという。当初は、祖父が昭和30年代に根子を訪れていたことを知らなかった。根子を訪れて、それを知った覚さんは、2年半で十数回、根子に足を運び、住民に寄り添うように撮影を繰り返した。 その成果は、東京新宿区のヒルトピアアートスクエアで「東京写真月間2014 阿仁根子」写真展で披露されている。 |
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▲地元産「ワラビ」 | ||||||||||||||||
▲根子番楽DVD鑑賞 マタギ発祥の地に伝わる根子番楽は、国民文化祭のオープニングとフィナーレの両方で演じられるという。まさに秋田を代表する伝統文化の一つである。その後、「国境を越えた阿仁マタギ」について学んだ。 |
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なぜ、阿仁は狩猟先進地域になったのか? 1716年、阿仁鉱山は日本一の銅生産を誇るまでに栄え、全国から鉱夫が集まってきた。鉱山労働者は、鉱物片が肺に刺さる「よろけ病」や塵肺など鉱山特有の病気にかかる人も多かった。だから馬肉や獣肉、万病に効く熊の胆、防寒用の毛皮などの需要が急増したと考えられる。 阿仁地区は、次第に狩猟先進地域へと発展。狭い猟場にマタギが増えると、獲物が少なくなる。だから国境を越えて猟をする旅マタギへと発展したのであろう。藩の国境を越えて旅マタギへと発展するのは、1800年前後であるから年代的にも符号する。 |
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薬の行商 根子の記録によると、 昭和7年当時、戸数84戸のうち76名が全国を股にかけて鳥獣の毛皮、熊の胆の行商をしていたという。昔は一人の子供に奥義を伝えた一子相伝の秘薬であった。昭和初期、根子には4~5軒の薬問屋があった(最盛期7軒)。 行商期間に出るのは、6月~8月の盆と10月下旬~正月までの二回出るのが一般的であった。富山の薬売りは薬草が主体だが、根子の薬は動物の臓器が主体であった。「肉食乏しかった病人には、タンパク質系の薬が効いた」と言われる通り、根子の薬はよく売れたという。 |
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▲山田さん所有のクマの胆 クマの胆は、漢方薬の中では、最高級品。効能は慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬として取り引きされ、昔からマタギの貴重な収入源であった。 胆とは、胆汁を貯えておく袋状のもので、中は液体である。クマの胆は、囲炉裏の火棚に吊るして乾燥させる。半乾きになったら板にはさんで形を整え、ひもできつく結わえ、さらに室内で乾燥させて仕上げる。完成品の重量は乾燥前の約1/4、完成まで一ヶ月余りを要する。その他の部位の効能は・・・
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根子マタギと三面マタギ(写真:2000年7月、第11回マタギサミットin三面現地視察) 根子の平家落人伝説によれば、壇ノ浦合戦に敗れた平家一族は、越後の三面、下野日光、羽後の根子に分かれたという。だから根子と三面は同じ一族と信じられている。一方、新潟県村山市松山三面は、根子と同じく平家落人の伝説をもつマタギ集落で、共通点が非常に多い。 三面の伝承によれば、狩りの始祖は秋田からきた狩人だという。三面のマタギは、阿仁マタギについて次のように語っている。「やっぱり秋田っていうと本家っていうがな、本場だっていう気持ちがあるな。・・・やっぱり秋田に対しては尊敬してる気持ちが大きいでねぇかな。」(「マタギ-森と狩人の記録」田口洋美著、慶友社) |
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阿仁マタギが「本家」と敬われる理由 1800年代前半以降、阿仁のマタギたちが新しい村を開拓したり、旅先で婿養子などで定着し、中部東北の村々に分家のような形で猟師組が形成されていったからである。東北芸工大田口洋美教授の旅マタギを追った著作などを参考にまとめると、以下のとおりである。
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ブナ林と狩人の会・マタギサミット マタギサミット発案者である田口洋美先生は、三面と秋山郷の猟師から、本家の阿仁も含めて皆が会う機会を・・・という意見を受けて、1990(平成2)年3月、新潟県三面集落の公民館で開催された。マタギサミット開催時に配布された資料には、開催の経緯を次のように記している。 「本会は、中部東北地方の豪雪山岳地帯に点在する伝統的狩猟集落(マタギ集落)を中心に狩猟文化を研究している田口洋美(幹事・現東北芸工大教授)の提案によって、新潟県村山市松山三面、秋田県北秋田郡阿仁町、長野県下水内郡栄村秋山郷の猟友会員、青年会、婦人会などの有志によってはじめられた広域山村交流会議です」 今年の開催は、東日本大震災の支援を兼ねて、岩手、福島に続き、宮城県遠刈田温泉で開催される。この近くには、昔、阿仁根子の旅マタギ・十五郎と文右衛門両人が婿に入り、猟を伝えたとの記録が残る七ヶ宿町がある。 |
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又鬼山刀(マタギナガサ、道の駅あに、西根打刃物製作所) 山刀のことをナガサと呼び、マタギが山に入る時は必ず腰に下げる。特に柄の部分が袋状になっているものをフクロサガサという。その穴に棒を差し込めばヤリとして使える。又鬼山刀の唯一の製作者だった西根稔さんは、残念ながら平成13年に亡くなった。現在は、故西根稔さんの弟弟子である北秋田市小又の西根登さんが製作している。 |
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ブナの森に生かされたマタギ文化 伝説のシカリ・故鈴木松治さん(阿仁打当、右の写真)は、「クマがたくさんいる森は・・・」との質問に「一番棲みやすい森は、ブナの森の中だスな」と答えている。マタギサミットの正式名称は「ブナ林と狩人の会」といい、ブナ林と狩人がワンセットで表現されている。マタギの里・北秋田市の木も、もちろん「ブナ」である。 つまり、ブナの森なくしてマタギ文化もあり得ない。言い換えれば、「ブナの森に生かされた文化」、あるいは、「ブナ帯文化の代表がマタギ文化」なのである。 |
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参 考 文 献 | ||||||||||||||||
「マタギ-森と狩人の記録-」(田口洋美、慶友社) 「マタギを追う旅-ブナ林の狩りと生活」(田口洋美、慶友社) 「秋山記行 現代口語訳 信濃古典読み物叢書8」(鈴木牧師之) 「菅江真澄遊覧記4」(内田武志、宮本常一編訳、平凡社) 「最後の狩人たち」(長田雅彦著、無明舎出版) 「マタギ、日本の伝統狩人探訪記」(戸川幸夫著、クロスロード選書) |