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 2014年10月25日(日)、森の学校第10回 知られざる紅葉の名所「八塩山」が開催された。一般参加者、森の案内人等36名が参加。これ以上ない好天に恵まれ、知られざるブナ林の紅葉を満喫した。また八塩山の名の由来や歴史・文化、赤や黄色に色付く理由などを学んだほか、鳥海山遠望、雄大な東由利町の景観を眼下に望み、最後は八塩山の恵み・ボツメキ湧水で乾いた喉を潤した。

●内容/ブナ原生林が広がる八塩山の紅葉と登山
◆主催/秋田県森の案内人協議会
◆協賛/(公社)秋田県緑化推進委員会 
◆協力/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
八塩山登山案内図

 登山口は、由利本荘市東由利町側に鳥居ノ沢登山口、前平登山口、深山林道登山口、矢島町側に坂之下登山口の4ヵ所、登山コースは5本ある。

今回のコース
 鳥居の沢登山口(370m)風ぴらコースう回路・ブナ巨大コブ山頂(713m)八塩山荘・八塩山神社(昼食)前平コース前平登山口ボツメキ湧水
▲八塩ダムから八塩山を望む
▲八塩ダムの紅葉
▲八塩ダム周辺はヤマモミジの紅葉が美しい

 ヤマモミジは、陽の当たり具合によって、同じ木でも赤から黄色など様々な色に染まる。特に紅葉の初期は、その微妙な変化が美しい。
鳥居の沢登山口(370m)・・・八塩山登山案内図や新奥の細道の案内看板が設置されている。 
 全体のリーダーは、森の案内人・米澤房夫さん。登山の前に準備体操を行った後、班ごとに分かれて出発。
 スギ林の中の広々とした登山道を登ると、ほどなく広葉樹の森となる。色付き始めた紅葉は、太陽の光を浴びてキラキラと輝きながら、シャワーのごとく降り注ぎ、登るのがすこぶる楽しくなる。
▲クロモジの黄葉 ▲ヤマモミジの紅葉

木の葉が紅葉するのはなぜ?

 樹木の葉は、カロチノイドと緑の色素クロロフィルを持っているが、通常はクロロフィルの含有量が多いため緑に見える。秋になると、葉を落とす準備として、葉の付け根の所に離層というミゾができる。そしてクロロフィルが分解されてカロチノイドが残るので、黄色く色づく。葉に蓄積した糖類が紫外線を浴び、アントシアンやタンニン系の色素に変化する樹木は、それぞれ赤や茶に紅葉する。

 モミジやナナカマド、ツタウルシなどは赤くなり、イチョウやカエデ、カツラなどは黄色になる。
▲色付き始めたブナの森をゆく・・・標高が高くなるに連れて紅葉は深くなる
▲ブナの巨樹・・・ブナの葉は、緑から黄色に色付く。
第一分岐点・・・左の尾根沿いは鳥居長根コース、右は風ぴらコース。ここは右に進む。
▲コムラサキ ▲クリタケ
▲小沢を渡ると見事なスギ林となる
▲第二分岐点・・・右のう回路コースへ ▲沢沿いのサワグルミ林をゆく
 手で這うような急斜面に数百年ブナの巨大コブが仁王立ちしている。右の手前の巨木は、トチノキ。巨樹は、こうした排水の良好な場所に林立する。
▲う回路コースのシンボル「ブナ巨大コブ

 こういう希少なコブを持つ巨樹は、神木として崇めるに値する。苔生す根元にしめ縄を張れば、立派な神木になるであろう。
▲ブナ巨大コブから九十九折の急斜面が続き、ブナ林の黄葉も深くなる。
▲登るに連れて、森は紅葉真っ盛りとなる。
▲尾根沿いのブナ二次林をゆく  
▲風ぴらコース合流点  ▲ブナの黄葉
▲山頂まで400m地点の標識で大休止

 周囲の紅葉のピークは過ぎつつあったが、ブナは黄色から次第に枯れると真っ赤に燃えるような褐色に変化する。その色彩が雲一つない青空に一際映え、全山燃えているように見える。素晴らしいの一言である。
▲ハウチワカエデの紅葉・・・葉先から色付き、鮮やかな黄色から赤に染まる。
▲ヤマモジジの黄葉 ▲ブナの黄葉・・・黄色から褐色へ
ブナ・ミズナラ林の黄葉

 ブナやミズナラなど高木類は、ほとんど黄色から褐色に色付く。だからブナ・ミズナラ林の場合、「紅葉」ではなく「黄葉」と書く場合が多い。また、葉のでかいトチノキやホオノキも黄色から褐色に染まる。
▲ブナ原生林が広がる八塩山
 山頂に近づくに連れてブナの幹は太くなる。黄葉の鮮やかさと相まって、さすがブナの原生林・・・これこそ「知られざる紅葉の名所」そのものであった。
▲鳥海山第一ビューポイント

 やや霞んでいたが、霊峰・鳥海山と矢島町側が一望できた。この地に立って初めて、鳥海山の姿が最も美しく眺められる山と言われている理由が分かった。

信仰の山・鳥海山に向かい雨乞い

 昭和37年、八塩ダムが完成する前は、旧玉米・下郷・石沢・小友の4つの村は、毎年高瀬川の水不足に悩まされていた。高瀬川が干し上がると、村人たちは、「雨乞い」のために、山の神・田の神である八塩山の山頂にある八塩神社に参拝した。また、霊峰・鳥海山に向かって雨乞いをしたのをはじめ、無病息災、五穀豊穣を祈り続けたという。
▲山頂付近のブナ原生林 ▲山頂(713m)の東屋
▲山頂から東由利町側の絶景を望む
▲山頂から矢島町側方向に向かうと、鳥海山第二ビューポイントがある。
▲分厚い落葉を踏みしめながらブナ原生林をゆく
▲数百年ブナの巨樹と黄葉  ▲ムキタケ ▲引き裂かれた奇形ブナ
 ブナ原生林に寝転び、ブナの黄葉と抜けるような青空を撮る。その美の極致に感嘆の声を上げながら、シャッターを押しまくる。

美しい紅葉の条件

 最低気温が8℃以下になると紅葉が始まると言われている。その中でも美しく紅葉するには・・・

① 最低気温が5℃以下
② 十分な日照があり、昼夜の気温差が大きい
③ 適度な雨量が適度な間隔で続く
▲八塩山荘 ▲八塩神社

 千手観音や馬頭観音などを祀る八塩神社は、古くは生駒藩三十三番観音巡りの二十三番札所として、修験者や地元の人々の信仰を篤くしていた。ここから復活した矢島町側の登山道を4.3km下ると、旧矢島町坂之下登山口に至る。その坂之下集落には、鳥海山信仰の修験者が伝えた本海獅子舞番楽の流れをくむ坂之下番楽が伝承されている。八塩山の信仰は、鳥海山に向かって「雨乞い」をするなど、鳥海山信仰と一体であったことが伺える。
▲古くから霊山として信仰が篤い保呂羽山(437m、旧大森町)方向を望む。
▲雄大な景観を眺めながら昼食 ▲森の案内人・遠田塾長率いる「秋田わんぱくClub桜たんけん塾」一行と笑顔の再会。
 帰路は前平コースを下る。急峻な尾根筋は、ブナ、ブナ、ブナ・・・で見事だが、傾斜がきつく、登山靴では滑りやすいので注意が必要。ある人が言った。「ここだば、受験生を連れで来られねなぁ」「すべる、すべる、すべる」。

 危険な個所には、木の階段やロープが整備されていた。整備したのは、登山口にある看板によると、田園空間整備事業(鳥海山麓地区)であった。
▲旧矢島町坂之下登山口に設置された看板

 看板によると、八塩山の登山道は、かつて矢島町城下への山越えルートで、馬の競り売り、飢饉の際の救援米の輸送、矢島町酒の買出し、海と山の幸の流通、雨乞いなどに利用された。登山道の整備は、その「自然・歴史・文化を再発見するルートとして整備するほか、矢島町の各展示施設と東由利町の各展示施設を結ぶ連絡道として整備したとある。
▲坂之下登山口に至る林道途中に鳥海山国際禅堂の体験施設がある。その禅堂前は、鳥海山を望むビューポイントになっている。 
▲坂之下集落の「はさ掛け」 ▲坂之下番楽
 
参考・・・田園空間整備事業(エコミュージアム)とは

  農山村には、山や森林、溜池、川、田園、せせらぎ水路、並木道、道祖神、茅葺き民家、棚田、鎮守の森、獅子舞・番楽・祭りなど、多様な地域資源がある。エコミュージアムとは、従来の博物館のように、ただ単に建物をつくり学術的な資料の収集や展示、教育活動をするのではなく、地域に暮らす人々が自らの生活とその地域の自然・文化や社会環境の発達過程を史的に研究し、自然、文化、歴史、産業遺産などを現地において保存、展示、育成することを通して、地域社会の発展に寄与することを目的とする新しい理念をもった総合博物館を指す。

 そのエコミュージアムの理念を導入し、「地域全体を屋根のない博物館」とみなした新たな地域づくり構想・「田園空間博物館構想」に基づいて、現地に保存・復元整備する事業が田園空間整備事業である。鳥海山麓地区は、旧町で記せば、矢島町、由利町、東由利町、鳥海町、仁賀保町、象潟町の6町で実施された。山村の活性化の一つとして、この理念を導入すれば「自然と人間と文化の総合博物館」といったイメージになるであろう。
▲鳥海山麓地区総合案内所(電話0184-55-3003)・・・玄関は直売所「やさい王国」の隣にある。
▲冬の花蕨 ▲平野庄司切り絵原画展「冬の花蕨」(藤里町)
八塩山の恵み「ボツメキ湧水」

 標高約300mの山腹から清冽な清水が湧き出している。ボツボツと豊富に水が湧き出す様子からその名が付いたといわれる。湧水量は、1日当たり900トンで、旧東由利町の大半に及ぶ約3,800人の上水道の水源になっているほか、古くから農業用水に利用されている。
▲ボツメキため池 ▲田園空間整備事業で設置されたトイレ(上)と看板

 看板によれば、昔から泡ノ渕地区の水田約20haのかんがい用水として利用していた。しかし、9℃(稲作障害温度15℃以下)の冷水であったため、3年に1度は冷害に見舞われていた。昭和19年、温水ため池の整備事業が着工。温水ため池によって水温は5℃以上上昇し、5割の増収を得たという。
八塩山の名の由来と「塩の道」

 由利本荘市東由利町の森の案内人・阿部重助さんによると、「八」は縁起の良い数で、「塩」は内陸部では希少で手に入り難かった「宝」であったから、宝の山という趣旨で「八塩山」と命名したと推測している。

 八塩山の登山ルートは、かつて海と山の幸などの流通に利用された古道である。特に、どんな山奥に住んでいたとしても塩だけは確保しなければならない。だから矢島町から東由利町、羽後町田代を結ぶ古道は、「塩の道」であったと推測できる。八方から塩が来る山という意味で「八塩山」になったのではないだろうか。

 海水から塩を作るには大量の薪が必要であった。山中から塩を焚く薪を送り、塩とかえる。また昔は、良い灰は高値で売れた。良い灰は、染色の色留めに使ったり、麻の皮のアク抜きに使われた。だから山間の村々では若い雑木を焼いて良質の灰を作った。五斗俵一俵の灰で、二斗俵一俵の塩が買えたという。

「軽井沢」の地名・・・旧矢島町と羽後町を結ぶ道

 八塩山の麓に羽後町軽井沢がある。その山の反対側にも矢島町軽井沢の地名がある。昔は、荷物の輸送に馬背を利用したが、険しい山道になると、荷物を人の背に積み替え運搬した。その運搬夫を「軽子(かるこ)」と呼んだ。軽井沢の地名は、「かるう沢で荷物を積み替える場所」を意味している。両軽井沢で馬から人の背に積み替え、八塩山の険しい尾根筋の杣道を歩いて双方から物資の輸送が行われていたことが推察できる。こうした古道を辿り、歴史・文化を再発見することも「エコミュージアム」の一つである。
参 考 文 献
「山に生きる人びと」(宮本常一、未来社)
秋田県森の案内人協議会作成の資料