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2015森の学校④ 釣りキチ三平の里探訪

 2015年6月6日(土)、森の学校第4回「元気ムラの旅シリーズ 釣りキチ三平の里探訪」が、横手市増田町狙半内で開催された。一般参加者、森の案内人等37名が参加した。炭焼き作業見学やワラビ採り、昼食は三平そばと山菜料理を堪能、午後から釣りキチ三平体験学習館と天下森ふれあい農園で清流の恵み・イワナの炭火焼を食べながら、漫画家・矢口高雄さんが「ボクの学校」と称した「ふるさと狙半内の山と川」について学んだ後、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「増田の蔵」を見学した。

●内容/「釣りキチ三平の里」の山と川に学ぶ・・・炭焼き、ワラビ採り、食文化、マンガは文化など
◆主催/秋田県森林学習館・プラザクリプトン(018-882-5009)
◆協賛/(一社)秋田県森と水の協会
◆協力/「森の王国サルパ」代表 奥山勝栄氏、秋田県森の案内人協議会
 炭焼き小屋の前で開校式。一日、「釣りキチ三平の里」を案内してくれたのは、「森の王国サルパ」代表 奥山勝栄氏。開口一番、「ここには山と川しかありません」・・・積雪2mを超える豪雪地帯だが、漫画家・矢口高雄さんは、子ども時代、この山と川で学び育ったことが漫画創作のベースになっている。
▲「森の王国サルパ」代表 奥山勝栄氏 ▲雪室(ゆきむろ)

 増田町では、古くから豪雪を利用した天然の冷蔵施設を作っていた。その伝統的な雪室を上畑温泉の一角「ふるさと公園」に再現し、日の丸醸造株式会社と連携して、雪中貯蔵酒を作っている。
炭焼き

 白炭は、硬く、着火しずらいが、安定した温度を長時間保ち、新しい炭を途中補填しても、温度が下がらず焼きムラもできないため、蒲焼きや焼き鳥に適している。 ただし値段は高い。ここで作った白炭は、焼き鳥屋に販売しているという。

  一方、黒炭は、軟らかく、着火しやすいが、火力が弱く、長持ちしない。その分値段が安く、一般にキャンプのバーベキューなどに使われている。
外畑牧場でワラビ採り体験

 外畑牧場には、放牧した牛が逃げないように有刺鉄線が張られている。奥山氏は、「今日は、ベゴ(牛)ではなく人を放します。」と笑わせた後、ここでは、山菜採りに夢中になる余り、つい最近も遭難騒動が発生している。有刺鉄線の外に出ないように注意すること。

 傾斜している牧草畑では、造成時にワラビの種子がある表土を剥ぎ取って牧草を植えている。だから、ワラビがどこでも生えているわけではない。ワラビが生えている場所を教えてもらった後、森の案内人をリーダーとする各班に分かれてワラビ採り体験がスタートした。
▲太くて粘り気のあるヤブワラビ

 牧場に生えている「雑草」が「食べ物」に変わる瞬間、「人間は自然に生かされている」ことに気付かされる。だから、自然を大切にする心と身体を育むには、自然の恵みをとって食べる体験が欠かせない。
 1万年以上も続いた縄文時代・・・男性は狩猟、漁労に従事し、女性は山菜採りなどの採集活動に従事していた。だから、女性は、ワラビ畑に来ると、眠っていた採集の遺伝子が騒ぐらしく、男性より夢中になる傾向が顕著に現れる。ワラビ採りの終了を告げる笛が鳴ると、「ちょっと短い。もっとワラビ採りの時間がほしい。」と呟いたのも女性であった。
 料理・・・ワラビ本来のヌメリと風味を味わうには、おひたしが一番。また、独特の粘りを生かすには「たたき」が絶品である。おひたし、たたき、しょうが和え、マヨネーズ和え、味噌汁・納豆汁の実、煮物など・・・ワラビは昔から万人に愛されている山菜の筆頭である。
手打ちそば三平

 昼食は、地域ふれあい施設 たかね「手打ちそば三平」で、釣りキチ三平の里の食文化を味わう。地元産のそば粉を使った「三平そば」と、地元で採れたワラビ、ゼンマイ、ミズ、ウルイと地元産の野菜を使った料理を堪能。あちこちから「美味しい、美味しい」との声が聞こえた。
▲「三平そば」 ▲矢口さんのサイン入り麦わら帽子 

山村のそば

 そばは、今でこそ田んぼの転作作物として盛んに栽培されるようになり、狙半内地域でも、そばの栽培が際立っていた。昔はどうであったか・・・そばは、どんな荒地にも育ち、成長が早く、夏と秋の二度収穫できる(秋そばが美味い)。そばは肥えた畑で作るといつまでも花が咲き続け、美味しい実ができない。つまり、焼畑や山間高冷地の畑が適地であった。

 さらに実のまま保存できるので、飢饉の時の食料として保存された。焼畑でも、ヒエ、アワに次いでよく作られた。昔の切りそばは、手間暇がかかるから、盆や正月などの特別な日のごちそうの一つであった。普段は、殻をとった粒のままヒエなどと混ぜて炊いたり、そばかき、焼きもちにして食べた。
▲ワラビのおひたし ▲ゼンマイの煮物
▲ミズと野菜の浅漬け ▲ウルイと野菜の浅漬け
▲タケノコ料理 ▲ナスの花ずしなど、自慢のガッコ
「釣りキチ三平の里」体験学習館

 矢口高雄さんは、自分が生まれ育ったふるさと狙半内を次のように記している。
 「見上げれば山 見渡せば山 喫茶店もデパートも映画館もない 山ン中のボクの村
  あるのは山々と一本の細い流れ
  好むと好まざるとにかかわらず その山と川がホクの遊び場であり 勉強部屋であった」
漫画家・矢口高雄

 昭和14(1939)年10月28日 横手市増田町狙半内生まれ。幼少時代は手塚マンガに狂い、羽後銀行時代は白土三平に狂い、漫画家としては遅い30歳でデビュー。昭和49年「釣りキチ三平」、「バチヘビ(ツチノコ)」で第4回講談社出版文化賞 児童まんが部門受賞。昭和51年 「マタギ」で、第5回日本漫画家協会賞大賞受賞。
 昭和52年、鷹匠の里・羽後町上仙道桧山の名鷹匠・土田力三さんが事故で亡くなる。残るは武田宇一郎さんただ一人となった。鷹匠の文化を後世に残そうと「鷹匠を育てる会」が結成されたが、矢口さんも会に名を連ねた。故土田力三さんに捧げられた漫画「はばたけ!太郎丸」や「最後の鷹匠」、「マタギ」を描くなど、秋田の山村文化をこよなく愛し、漫画という手法でアピールし続けた。
 昭和58年~平成2年 「おらが村」「新おらが村」「ふるさと」を連載。若者からダサイ、カッコ悪いと敬遠される百姓のドラマをあえて描いた。その心境は・・・「ボクの心の内とは、ボク自身が゛百姓゛だからである。奥羽山脈の、山襞の寒村の、小作人百姓として生まれたからである。」と記している。
 昭和62年 エッセイ集「ボクの学校は山と川」を発表。NHKラジオ第一の朗読番組「私の本棚」で朗読された。さらに、全国学校図書館協議会主催の青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選定された。
 「釣りキチ三平の里」体験学習館では、屋外体験として、「ブナの森」観察体験、源流域の生き物探索体験、炭焼き体験、イワナ・ニジマス釣り体験、イワナのつかみ取り体験、ワラビ採り体験、農作業体験、スキー・雪遊び体験など、屋内体験では、木工クラフト体験、そば打ち体験などができる。さらに、宿泊もできるという。簡単に言えば、漫画家・矢口高雄さんが学んだ「山と川」での体験を通して、「釣りキチ三平」になろう!、ということ。
▲ハクウンボク ▲サラサドウダン
天下森ふれあい農園

 天下森ふれあい農園は、イワナやニジマス釣りが楽しめる釣り堀りがあり、釣った魚はその場で塩焼きにして食べることができる。森を散策する遊歩道やキャンプ場、バーベキュー広場も整備され、釣りキチ三平になった気分で楽しめる。
 「釣りキチ三平の里」と言えば、清流の恵み「イワナ」である。天下森ふれあい農園を散策した後、イワナの炭火焼を味わう。
 「釣りキチ三平の里」の景色を眺めながら食べると、一層美味しい。
 デザートは、進藤農園で朝採りされたイチゴが参加者全員にふるまわれた。
▲増田町ふれあいプラザ「まんが美術館

 平成7年、増田まんが美術館がオープン。矢口高雄さんは名誉館長に就任している。現在、企画展以外の展示は無料で公開されている。矢口高雄さんの作品はもちろんのこと、100人の漫画家の原画が300点ほど展示されている。
増田の蔵見学(写真:観光物産センター「蔵の駅」)

 増田町は、宮城県と岩手県の旧仙台藩領を結ぶ千年の古道「仙北街道(手倉越え)」と「小安街道」という二つの街道が合流する地点に位置し、人と物資が往来する流通拠点として発展。明治期には、生糸や繭、葉タバコ、酒造などで栄え、増田銀行(現北都銀行)の設立を契機に増田水力電気会社をはじめ、吉野鉱山の好況で最盛期を迎えた。商人地主の町と言われた増田の繁栄を今に伝える街並みや内蔵が多く残っている。
▲豪華な鞘飾(さやかざり)の意匠や細工が施され、重さ800kgもある4段扉(明治中期頃の建築) ▲内蔵二階の巨大な梁など、人目につかない部分に贅を凝らしている点に驚かされる。
 敷地は、間口が7.2mと狭く、奥行きが100mと非常に細長い・・・京都のウナギの寝床と言われる町家に似ている。表と裏を結ぶ通りは、積雪の多い冬場でも行きかうことができるように、南側に設けられている。それにしても、なぜ内蔵なのだろうか。

 もともとは城下町で京都と同じ町家風であったが、江戸末期から大正にかけて商業規模を拡大した商人たちは、町家を改築し、大きな店舗を持つようになった。と同時に、店舗から続く主屋の奥に蔵を建造するようになる。それが「内蔵」で、増田商人の成功の証だという。
▲「旬菜みそ茶屋 くらを」の内蔵(旧勇駒酒造、国登録有形文化財)

 内部の旧仕込み蔵は「宝暦蔵」と呼ばれ、江戸時代後期の建築。宝暦蔵の内部は、酒の仕込み蔵であったことから装飾等は行われず、柱と貫によって丈夫な躯体を造りだしている。上の梁は25mと長い1本の木が使われているという。恐らくスギが使われているのであろう。間口に対し細長い蔵は、小屋組の形状や土台の違いなどから二度の大規模な増築が行われたらしい。
▲橋と同じく荷重を分散するトラス形式の梁 ▲酒を仕込んだ仕込み水
▲日の丸醸造株式会社(国登録有形文化財)
 造り酒屋の文庫蔵(内蔵)は、明治41年(1908年)の建築。扉は蛇腹が5段だから重さ1トンと巨大である。クリの板敷の奥に座敷がある。蔵全体に1尺間隔で整然と5寸5分のヒバの通し柱が並んでいる。圧巻は2階の、最大2尺5寸のケヤキの小屋梁だというが、2階は入室禁止になっていた。残念。 
 平成20年、滝田洋二郎監督の実写版映画「釣りキチ三平」の撮影が、五城目町(北ノ又・三平の家、ネコバリ岩周辺・釣り、遡行)、東成瀬村(すずこやの森・マタギ小屋、天正の滝・魚止めの滝)、横手市(墓参り)、由利本荘市(法体の滝)などで行われた。(写真:法体の滝で行われたラストシーンの撮影)
 平成21年3月20日、実写版映画「釣りキチ三平」が全国公開された。同年11月6日、矢口高雄さんは、文部科学省から地域文化功労者表彰を受けた。その際、受賞者を代表してあいさつ・・・

 「かつて漫画はくだらないものと冷遇され、百害あって一利なしと考えられていた。時代を経る中で成長を遂げ、日本が最も世界に誇れるパワフルな文化に発展した。僕の受賞は、漫画が文化として認められた以上の意義を感じています」と語り、「張り裂けんばかりの胸の内は『漫画万歳』です」と喜びを表現したという。

 矢口高雄さんの漫画やエッセイ集を概観すると、秋田の「自然と人間と文化」を漫画という手法で記録発信した唯一無二の漫画家であると思う。 同じ秋田の自然を体験、観察しているはずなのだが・・・矢口さんの感性の鋭さは、素晴らしいの一言に尽きる。今年は、釣りキチ三平誕生40周年を迎えるだけに、今回の「釣りキチ三平の里探訪」は実に意義深いものであった。