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2015森の学校⑩ 「森の達人」のうんちくを聞く

 2015年10月9日(金)、森の学校第10回「森の達人(武田英文氏)のうんちくを聞く」が、能代市二ツ井町の加護山スギ人工林やきみまち阪、藤里町丸上木材製材工場などで開催された。一般参加者、インストラクター等27名が参加した。加護山精錬所の歴史や多雪地帯における複層林施業、NPO法人あきた白神の森倶楽部の活動、丸太から建築材の加工工程、木材加工技術などについて学んだほか、地産地消のランチ、スギ人工林内の自然観察を行った。

●内容/加護山の歴史と森林づくり、NPO法人あきた白神の森倶楽部の活動、製材工場見学
◆主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
◆協賛/(一社)秋田県森と水の協会 協力/NPO法人あきた白神の森倶楽部
▲講師:武田英文氏・・・山林経営、丸上木材(株)代表取締役、秋田県林業育成協会代表理事。 ▲NPO法人 あきた白神の森倶楽部理事長 大高一成氏
 きみまち阪から藤琴川沿いに300mほど行くと、1774年に開設された加護山精錬所跡がある。現在は、武田英文氏が所有する森林で、秋田スギが鬱蒼と茂っている。林内を歩くと、鋳銭場跡や廃鉱物、貯水池跡、住宅があった石垣、加護山神社などが残っている。
▲加護山精錬所跡地見取り図
▲加護山精錬所誕生の歴史について説明する武田英文氏
秋田藩に多大な影響を与えた人物・平賀源内(1728~1780)(写真:能代市二ツ井町歴史資料館))

 讃岐高松藩(香川県)の足軽の子として生まれる。江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、エレキテルなどの発明家、コピーライターなど、万能の天才と言われた「レオナルド・ダ・ビンチ」も真っ青になるほど多彩な才能を発揮した人物。「奇人変人」の元祖とも呼ばれている。

 秋田には、1773年、鉱山コンサルタントとして来県。銅から銀を採り出す「南蛮吹法」を伝授したほか、「秋田蘭画」や熱気球の原理を応用した遊びとして「紙風船(仙北市上桧木内)」を伝えた偉人で、秋田藩にとっても巨人であった。「源内の来訪が秋田領内にまきおこした知的衝撃、センセーショナルな異文化への開眼のうながしを評価し損ねてはなるまい」(「朝日選書379 平賀源内」芳賀徹)
▲阿仁鉱山で使われていたローダーと鉄鉱車
▲1785年、菅江真澄絵図「阿仁銅山」 ▲旧阿仁鉱山外国人官舎

日本最大の銅山「阿仁鉱山」

 阿仁は、佐竹氏が水戸から転封されて来る前から、既に銀山として開かれていた歴史の古い鉱山であった。佐竹氏の初期の頃に開かれた銀山は、後に金山を主とするようになった。さらに1660年代、小沢地区を中心とする銅山の開発が始まって、たちまち日本最大の銅山にまで成長した。

 18世紀初めの最盛期には、年間の出銅額は、コメに換算すると約70万石、石高約20万石の秋田藩にとって目もくらむような額であった。しかし、そのまま藩に入る収入ではなかった。阿仁鉱山で産出した銅は、阿仁川、米代川を下って能代湊から北前船で大阪まで運ばれ、幕府指定の吹屋で再び製錬されたのち、幕府貿易の決済にあてられた。つまり、美味い汁はほとんど幕府と大阪の商人、吹屋に吸い上げられていたのである。
平賀源内と加護山精錬所誕生の歴史

 秋田藩直営の阿仁鉱山は、他人の儲けの下請け的存在であったから、銅の産出量が減るに従い、幕府への運上額をも割るようになり、鉱山経営は赤字へと転落、最大の危機に陥った。その原因が、精錬技術の未熟さにあることにやっと気付いた。

 そこで藩は、1773年、当時鉱山開発のコンサルタントとして活躍していた平賀源内と鉱山師・吉田利兵衛を秋田に招いた。彼らは、院内銀山で改善策を助言した後、北上して角館の造り酒屋に宿泊。そこで小田野直武と出会い、西洋画法を伝授。これが後に「秋田蘭画」として大きな花を咲かせることに。角館から大覚野峠を越えて一番の目的地・阿仁鉱山へと向かった。阿仁には、一ヶ月近く滞在したと言われている。

 その間、二人は、阿仁の粗銅から、鉛を使って銀を採り出す「南蛮吹法」を伝授。秋田藩は、その成果をいかそうと、翌年の1774年、二ツ井町荷上場に加護山精錬所を誕生させた。1862年の収支によると、2万8800両という莫大な利益をあげている。
▲加護山精錬所の沿革等の看板 ▲米代川と七座山

なぜ精錬所が加護山に設けられたのか
  1. 加護山上流の阿仁銅山や藤里町・太良鉱山から原料を調達できること。
  2. 藤琴川沿いの藩の直山は森林資源が豊富で、精錬に必要な燃料に心配がないこと。
  3. 原料の鉱石や生産された銀・銅・鉛などを米代川を下ってすぐ能代湊に運べること。
▲加護山神社とスギの巨木

 加護山神社の周りだけ、天高く真っ直ぐに伸びた太いスギが仁王立ちしている。神の依代として切らずに残しているからであろう。参加者から「この大きなスギは、樹齢何年ぐらいか」との質問に対して、武田さんは、「だいたい120年ほど」だという。そのスギの太さから、成長がいかに速いかが伺える。
▲ミョウガ ▲シソの葉

 林内には、住宅跡があった証しとして石垣が残されているが、その周辺には、食用にしていたであろうミョウガやシソの葉がたくさん生えていた。植物観察からも、かつてそこに人が住んでいたことが分かる。
▲ノコンギク ▲ハナタデ
▲ミズのコブコ ▲ヌスビトハギ
▲ミゾソバ(ウシノヒタイ) ▲ミズヒキ
複層林施業とは

 スギなどの単一樹種を同時に植栽した人工林は、単層林であるが、天然林のように複数の樹冠層を有する林を複層林と呼ぶ。単層林において、部分的に伐採し、人工更新により、林冠層が2個以上である複層林型の森林を造成して管理する手法を複層林施業と呼ぶ。

何のために複層林施業を行うのか

 先行植栽しておくことで、皆伐時の裸地化を回避できる。時々の需要に応じた様々な大きさの木材の供給を期待できる。その他、公益的機能の確保、良質材の生産、林間空間の有効活用など。
▲鬱蒼とした加護山スギの美林

質問:広葉樹だと森を歩いても楽しいが、なぜスギを植えるのか

 広葉樹は、幹が曲がったり、成長が遅く、100年以上経過しないと伐期にならない。経営上、100年以上も先になると、将来予測が不可能で×。スギは、秋田の気候風土に適しているから、あまり手をかけなくても育つ。さらに成長が早く、真っ直ぐに伸びるので加工しやすい。「スギ」の名前は、真っ直ぐに伸びることから名付けられた。経営コスト面で考えると、数多い樹種の中でもスギが最も優れているからである。
森林大国なのに世界有数の木材輸入国という矛盾

 地球規模でみれば森林資源は減っているのに、日本の森林は逆に太っている。今、TPPが話題になっているが、低迷が続く日本の林業・・・その大きな要因は、戦後の木材不足を背景とした輸入自由化。昭和26年、丸太の関税撤廃に続き、昭和39年には輸入量の制限がなくなり、完全自由化。国産材は、北米やロシアなど価格競争や生産力に勝る外材に押され、昭和30年に95%だった木材自給率は、平成12年には18%まで低下、現在やや持ち直しているものの30%弱(目標自給率50%)と低迷している。

儲からない林業だが、必要とされていることは確か

 輸入自由化50年で価格は下落し、伐採しても経費を差し引くと利益はほとんど残らないのが現状。林業は儲からないけれども、世の中で必要とされていることは確かである。製材も儲からないが、地域で伐採した木を近くに製材する所がなければ、運搬費が高くなり、それだけ生産者の手元に残らない。地域で必要とされている以上、続けたいと思う。
きみまち阪・・・桜、ツツジ、紅葉の名所として名高い

 「きみまち阪」は、明治15年、明治天皇より命名され、漢字で「徯后阪」と書く。江戸時代の紀行家・菅江真澄や明治維新の指導者・吉田松陰、イギリスの探検家・イザベラ・バードなど、歴史的な著名人が多く訪れている。明治15年、イザベラ・バードは、増水する米代川を小舟で無理に渡ろうとして、遭難しかけたことを「日本奥地紀行」に詳しく記している。
「Cafe岳」で昼食
 武田英文氏の奥さんが経営する「Cafe岳」で地産地消ランチを美味しくいただいた後、コーヒーを飲みながら「NPO法人あきた白神の森倶楽部」の活動内容について学んだ。
 「NPO法人あきた白神の森倶楽部」では、藤里町での植樹活動や中国甘粛省での緑化活動、白神山地周辺の自然ガイド・渓流釣りガイド、地域の自然を見つめなおす講演会などを行っている。
 お問い合わせ・入会のお申込みは、電話0185-79-2808、FAX0185-79-1047へ
藤里町での植樹活動・・・二ツ井高校生や一般参加者とともに、藤里町内の山林でブナやスギの植樹活動を行っている。 
▲植栽現場の眼下に広がる広大な乾燥地 ▲記念石碑の前で

中国甘粛省での緑化活動

 2004年から(社)秋田県林業育成協会が取り組んできた中国甘粛省での植林事業を、2011年から当倶楽部で引き継いで実施。植栽地は、雨量が少なく荒涼とした大地が続く黄土高原だけに、植樹しても黄河から水をポンプアップして散水しないと育たないという。日本では、散水などしなくても勝手に育つ。いかに水と緑に恵まれているか、この話を聞いただけでよくわかる。

質問:植樹は、どこで育てた苗か、どんな樹種を使っているか。

 中国で育てた苗を使っている。他国で育てたものは、遺伝子の多様性に反するので×。樹種は、中国北部に天然分布する常緑針葉高木で、ヒノキ科の植物「コノデガシワ」。左の写真は、コノテガシワの球果で、雌の球果は見事な青色をしている。
製材工場見学
▲皮付きの原木のままでは製材しにくいので、皮を剥く。
▲丸太から建築材の加工工程について学ぶ。
 製材所の向かい側にある森林を散策。林内の歩道には、原木の皮を剥き破砕したものが大量に敷かれていた。フカフカして歩きやすいし、雑草も生えてこないので管理も楽そう。
▲ハナイカダ ▲コメナモミ
 林内の倒木に生えていたナラタケ。地元では、サワモダシという。秋田では、雑キノコの中で一番人気の高いキノコである。よく管理されている森林は、植物の多様性も高く、恵みも豊かである。だから森林は、私たちが生きていくうえでなくてはならないもの。それを守り育て活かす林業が、儲からない産業になっているというのも厳しい現実。けれども、武田さん曰く、「必要とされていることは確か」・・・みんなで力を合わせて応援しましょう。
参 考 文 献
「朝日選書379 平賀源内」(芳賀徹、朝日新聞社)
「秋田県の歴史散歩」(山川出版社)
「秋田スギと非皆伐施業」(武田英文、秋田県林業改良普及協会)
「緑の大地再生 No.5」((社)秋田県林業育成協会)