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2015森の学校⑭ 炭焼き体験

 2016年2月6日(土)、森の学校第14回森と健康を考える「炭焼き体験」が由利本荘市赤田地内で開催された。参加者は、一般参加者・スタッフ合わせて44名が参加。

 白炭窯の窯出し体験や、炭焼きはなぜ美味いか・・・まずは理屈よりも試食をしたり、里山の再生を行っている森を散策しながら自然観察したり、白炭、黒炭の違いや炭の多様な効能などについて学んだほか、地元料理名人手づくりの食文化を味わいながら各団体の里山再生等に関する情報交換を行った。

●内容/炭の窯出し体験、森林ボランティア団体等との交流  ▲対象/一般、親子
◆主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
◆協賛/(一社)秋田県森と水の協会 
◆協力/ロッカ森保全ボランティア、秋田県森の案内人協議会
▲炭焼き体験が行われた炭焼き小屋 ▲吉田式白炭窯

昔の炭焼き・・・「山に生きる人びと」(宮本常一)要約

 炭窯は、谷間につくる。その窯近くに粗末な小屋をつくる。山中の木を伐り、枝をはらってから、炭窯の所に集めて来る。炭焼きは、主に冬に行うが、一年中焼く専業の人もいた。

 窯の中へ炭木を縦に並べ、焚口で火を焚く。すると、その火が中の炭木へと移っていく。窯の背後の穴から白煙がモクモクと出る。三日ほどたつと、それが薄れて来る。これは、火がすっかり上まで回ったことを示すもので、そうなると背後の穴を小さくし、焚口も塞いで空気の通る穴だけ開けておく。二日も置くと青い煙が出るようになる。すると、焚口をすっかり塞いで消火するのを待つ。次に、窯口を開けて炭を出す。一窯だいだい一週間を要する。

 焼いたものは俵に入れて里に運ぶ。牛馬さえ通らない山奥だから、道に出るまで人の背に頼るほかなかった。原木がなくなると、原木が豊富な別の場所に移動して、新たに炭窯と炭焼き小屋を建てた。そして転々と移動しながら山中で生涯を終える者も少なくなかった。
吉田式白炭窯

 炭焼き体験が行われる小屋の前には、「秋田白炭窯吉田式 伝承 鈴木勝男」と書かれた看板が掲げられている。その意味は・・・

 秋田では、江戸時代から鉱山の精錬用に大量の木炭が使われていた。しかし、品質は粗悪なものであった。その品質の改良に大きく貢献したのが、吉田式白炭窯の考案者である吉田頼秋氏である。彼は、福島県箕輪村の出身だが、昭和2年、秋田県の要請を受けて技師として就任。彼の熱心な指導の結果、吉田窯が著しい勢いで普及し、秋田のナラ白炭は県外にも評価を高めた。後に岸本定吉博士によって「秋・備(秋田備長炭)」と称されるように、全国的評価を得るに至った。

 この炭窯の伝承者が、「炭博士」と呼ばれた故鈴木勝男氏である。彼は、1955年、初めて焼いた木炭が秋田県の品評会で1位を獲得。さらに、全国品評会で2位。1位は和歌山の備長炭であった。
黒炭(写真:竹炭をつくっていた黒炭窯)

 木炭には、黒炭と白炭がある。焼き上がる頃、窯を密閉したまま(上の写真)火が消えて冷えるのを待つのが黒炭である。黒炭は、軟らかく、着火しやすいが、火力が弱く、長持ちしない。その分値段が安く、一般にキャンプのバーベキューなどに使われている。
白炭

 白炭は、焼き上がる頃、口を開けて再び火を入れて高熱で焼き、窯から出して素灰を掛けて消化させる(上の写真)。その消し粉をかけた時に白い粉が付くので白炭と言う。非常に硬く、叩くと高い金属音がする。

 白炭は、着火しにくいが、安定した温度を長時間保ち、新しい炭を途中補填しても、温度が下がらず焼きムラもできない。だから、蒲焼きや焼き鳥など炭火焼にこだわる飲食店で使われている。また、ガスがほとんど出ないので、室内のホリゴタツや火鉢に最適である。ただし値段は高い。
白炭・・・前日までの工程

 まず地元の山から原木のナラを伐り出す。次いで「窯詰め」・・・原木の長さを整えて奥の方から縦に詰めていく。「口焚き」は、原木の水分を抜く工程で、柴などを燃やして温度をあげ、煙が白色から空色に変わるまで焚いて、口を塞ぐ。「焼火」は、220℃ほどの温度を保ち、しっかりと炭化させる。
一番難しいネラシ(精錬)とは

 塞いでいた窯の口を開けるタイミングは、煙の色と臭いだけで判断する。炭になるにつれて、青白い色が無色透明に近くなり、木の焦げた匂いがしなくなる。次第にガスのような刺激臭が強烈になるにつれ、煙が無色透明になったら、炭化が終わり、口を開けるサインである。

 窯の口を少しずつ開け、空気を入れる。すると、中のガスに火が点き、燃え始める。中の炭の全てが真っ赤になり、表面の皮が燃え落ちるまで温度を上げていく。この作業をネラシ(精錬)という。このネラシは、炭焼き職人の勘と経験が全てだけに一番難しい技術である。
窯出し体験

 ガスが燃え、炭が赤く黄金色になったら、窯出しをするタイミングである。その際、燃焼中の木炭は、1,200度前後の高温・・・だから、窯出しの作業は極めて熱く、大変な作業である。窯出し体験をする場合、ナイロン製の衣類や樹脂製のメガネなどは解けてしまうので特に注意が必要である。
 窯出しの道具は、先がL字型のカギのついた出し棒で引き出す。引き出した炭は、速やかに素灰(土に窯の灰を混ぜたもの)をかぶせ、消す粉で空気を遮断して火を消す。
阿仁銅山と炭焼き・・・「山に生きる人びと」(宮本常一)要約

 阿仁は、近世初期以来銅を産出したところで、上小阿仁村の谷奥の村々は、その阿仁銅山に木炭を供給するところであった。冬は、陸の孤島と化す豪雪地帯の奥地に村が点在していたのは、周囲に木が豊富で炭を焼くのに便利だったからである。そしてその炭を馬の背につけて阿仁銅山に運んだ。

 山深い山中だから水田はなく、焼畑でヒエや大豆などを作って食べ物を自給しつつ炭を焼いた。それは、明治に入って銅の精錬に石炭が使われるようになるまで続いた。秋田県北部は、銅山の炭焼きをした村が少なからず存在した。
農閑期の炭焼き・・・「山に生きる人びと」(宮本常一)要約

 木炭の需要が増えるにつれて鉱業用とは別に家庭用の炭が多く焼かれるようになった。しかし、炭を焼くには技術を要した。だから一般農家の者が行うことは少なく、その初めは、鉱業用の炭を焼いていた者が、家庭用の炭も専業に近い形で行われていた。
 一般農家が炭を焼き始めるのは、比較的新しいことである。昭和9年、凶作の時の救済事業の一つとして製炭が奨励され、一時異常なまでに発展する。そして、農閑期の副業として大きく取り上げられてくる。こうして鉱山の少なかった地方へも炭焼きが徐々に広がっていった。
炭火焼きはなせ゛美味いか・・・理屈よりもまずは試食

 炭焼き小屋は、増築されていたので炭火焼も小屋の中で行うことができた。さらにできたてホヤホヤの真っ赤な炭をU字溝に入れるにも大変便利。
 炭火焼が美味い理由は・・・炭火で焼くと、遠赤外線が表面のタンパク質を高温で焼き固めるので、肉汁は中に閉じ込められる。さらに、その熱がほどよく中に伝わるので、外側はパリッと焼き目がついて香ばしく、中はジューシ―に焼き上がり、うまみもキープされるからである。
よく手入れされた里山の自然観察

 今年は暖冬で雪が少なく、カンジキを履く必要がなかった。雪解けの斜面から春一番を告げるバッケが顔を出していた。また、ヤブツバキの花は早くも咲き始めていたが、中には既に花が散ったものも見受けられた。残雪には、オコジョの足跡がはっきりついていたという。
▲春を告げるバッケ ▲ヤブツバキの花
地元料理名人手づくりの食文化を味わう

 タケノコは、里山に自生しているものを使用。竹が繁茂し過ぎると、森林から竹林へと変貌してしまう。ロッカ森保全ボランティアが主体となって組織した「赤田竹伐隊」では、そうしたモウソウチクの伐採などを行い、荒れた里山を様々な樹木が生い茂る豊かな森に再生することを目的に活動が続けられている。その伐採した竹を二つに割り、器代わりにして自慢のガッコ(漬物)が盛りつけられている。さらに木の葉で彩りを添えるなど、由利地域の食文化の高さをアピールしている。素晴らしい。
▲由利本荘市の料理名人・・・ご馳走様でした。
炭焼きや里山再生等に関する情報交換会

 2015森の学校は、炭焼き体験を最後に閉校となります。今年は、県内だけでなく隣県からの参加もあり、森と水を愛する輪が確実に広がっていることを実感しています。また、HP「モリエールあきた」がオープンしてからまだ2年半しかたっていませんが、早くもアクセス数が100万アクセスを達成しました。それを励みに、ホームページ及び2016森の学校については、さらに充実したものにしていきたいと思いますので、引き続きご理解とご協力をお願いします。