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2017森の学校 郷土芸能と歴史が息づく山里探訪

 2017年5月13日(土)、森の学校2017「元気ムラの旅シリーズ4 郷土芸能と歴史が息づく山里探訪」が、由利本荘市赤田地区で開催された。参加者は29名。元気ムラの活動拠点になっている東光館や赤田ふれあい直売所兼スーパー、食品加工所、長谷寺・赤田の大仏を見学した後、楽しいピザづくり体験と昼食、午後からは全国的にも珍しい神仏混淆の赤田大仏祭りをビデオ鑑賞した後、神明社、赤田三十三観音札所(6番)、炭焼き小屋、六ヶ村堤を見学した。一日悪天候に見舞われたが、それを跳ね返して余りある「心温まるおもてなし」を受け、参加者全員、笑顔、笑顔であった。
  • 主催/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
  • 協賛/(一社)秋田県森と水の協会
  • 協力/由利本荘市赤田町内会、ロッカ森保全ボランティア
  • 元気ムラの活動拠点・「東光館・五峰苑」・・・1788年、是山和尚が東光山をはじめとした五つの山・五峰山を開く。以来地元の信仰を集めていることから、その山の名にちなんで命名された。
  • 統括ガイドの遠藤照夫さん(赤田地域協議会会長、前赤田町内会会長)  ・・・地域は、赤田川上流から順に、赤田上・赤田中・赤田下の3つの地域により構成され、世帯数は112。昨年12月に65歳以上の高齢化率が5割を超えた。現在、「元気ムラ」の取り組みは、直売所部会、ピザ・そば部会、人材育成企画部会、特産品部会の4つの部会で構成されている。
  • 田園空間博物館「亀田藩地区」・・・「道の駅おおうち」にある出羽伝承館は、田園空間博物館亀田藩地区の構想に基づいて整備されたものである。亀田藩のエリアは、旧市町村名でいえば、岩城町、大内町、本荘市子吉川右岸の1市2町の範囲である。この亀田藩時代に絶大な功績を挙げたのが、赤田地区出身の是山和尚で、今でも「赤田の閑居様」と親しみを込めて呼ばれている。
  • 赤田ふれあい直売所兼スーパー・・・平成24年3月下旬に山菜や野菜中心の「赤田ふれあい直売所」 をオープンさせ、それに伴い設置。平成28年には「赤田ふれあいスーパー」をオープン。フキやミズ、ウド、ワラビなどの 山菜、古代米大福、漬物など、飛ぶように売れていた。
  • 食品加工所・・・平成26年1月、食品加工所が完成。 山菜の水煮商品を真空パックし、千葉県柏市の京北スーパーへ出荷。地元産の山菜だけでなく、県内の元気ムラと連携して「リレー出荷」を行うことで、販売期間、販売量の充実を図っている。現在は総菜も実施しているという。 
  • 文化遺産ガイドの高橋ゆき子さん・・・長谷寺・赤田の大仏と三十三観音札所について詳細に解説してくれた。長谷寺は曹洞宗の禅寺だが、参道入口右側の石碑には真言密教を象徴する「湯殿山、月山、羽黒山」と刻まれている。参道途中左側の民家は、かつて「宿坊」であったという。
  • 長谷寺(ちょうこくじ)・・・1775年、是山泰覚が開山し、亀田藩主岩城氏の祈願所とされた寺院。明治21年に火災で、本堂、大仏殿、楼門、経蔵等消失する。明治26年、当初の建築様式や規模を忠実に復元している。
  • 赤田の大仏・・・高さ約9mの十一面観世音菩薩立像は、通称「赤田の大仏」と呼ばれている。スギ材の寄木造りで金箔が押されている。奈良県桜井市の長谷寺、神奈川県鎌倉市の長谷寺と並び日本三大長谷観音の一つと言われている。右手に山伏の道具の一つとして有名な錫杖を持っているのが印象的だ。
  • 不動明王、蔵王権現・・・大仏の両サイドに修験道が祀る守護神を配置している。修験道の元祖・役の行者は、山中で激しい修行をして感得したのが「蔵王権現」である。修験道では、密教の大日如来や不動明王を祀るが、それとともに蔵王権現を固有の守護神として祀り重視している。ちなみに修験道は、古くからの山岳信仰や密教、神道と結びついた日本独自の山の宗教である。 
  • 赤田の閑居様が自ら造った地蔵様
  • 蝦夷征伐と神仏習合・・・坂上田村麻呂の平定後、東北に次々と寺が建立された。当時は、庶民救済のための仏教ではなく、新たに平定した場所に国家的な政策として寺がつくられた。その寺が庶民信仰にまで広がっていったのは、古くからそこに根付いていた信仰やアニミズムと対立することなく、むしろ神仏が習合していったからであろう。
  • 全国的にも珍しい神仏習合(混淆)の祭り「赤田大仏祭り」・・・8月21日、赤田神明社(上の写真)の祭りで、例祭が終わると、正法山長谷寺から住職を先導に御輿が出る。この中には大仏と同じ形の小さな観音様が安置され、神明社に着くと、観音様を拝殿右側の不動尊前に安置して、僧侶が大般若経を唱え祈祷する。ここで、不動尊は観音菩薩の化身になるといわれる。この晩は、神明社に一泊し、氏子の代表は一夜酒宴を催して、この御輿をまつり守るが、僧侶や行列に随伴した人々は直会が終わると帰る。
  • 翌8月22日、100人近くの氏子たちが神明社に集まる。長谷寺から住職が朱衣でお迎えに来る。行列は、赤田獅子舞、柴野獅子舞、平岡獅子踊、山田獅子舞、萱ケ沢番楽、岩谷獅子舞、北福田シャギリ、赤田シャギリの奉納芸能集団も加わり、総勢100名を超える。
  • 赤田獅子舞・・・是山和尚との関連で伝承されたとされ、舞の基調は湯殿山系修験・真言密教に近い。是山和尚は、盛んに加持祈祷を行い、修験との関わりのあった獅子舞に熟知していたことから、芸能を通して信仰を広く推し進めたと言われている。
  • 北福田集落のシャギリ・・・約230年前、赤田村と北福田村が入会林野の草盗みの争いが絶えなかった。是山和尚は、両村を仲良くさせるために、京都祇園ばやしから取り入れた一種の念仏踊りを伝授したのが始まりとされる。ひょっとこ、おたふくの面を付けた男衆が、赤田大仏祭りに参加し滑稽な舞を披露する。
  • 赤田の閑居様、「是山泰覚大和尚」(1732~1811年)・・・1732年2月15日、赤田村百姓、長三郎の長男として生まれる。幼名を大助という。是山は、禅僧でありながら、まるで修験者のように山岳に籠り、修行をした姿が伝えられている。彼は、荒廃した松ヶ崎光善寺を再興し、病人には薬を与え、竜を使って慈雨を降らせるなど、数々の奇跡を現し、藩主の深い帰依を受けた。また、度重なる凶作と貧困にあえぐ農民たちの精神的な支えとなった大和尚でもある。
  • 折渡地蔵尊(由利本荘市大内)・・・是山和尚が延命地蔵として建立されたもので、現在は通行人の安全と子守地蔵として知られている。別名イボトリ地蔵としても有名。平成元年から中国福建省で作られた千体地蔵が、全国の寄進者により全山に建てられ、地蔵霊山となる。折渡峠一帯は、かつて是山和尚が山岳信仰の大修行場を夢見た地であるが、その志は、現代に引き継がれ、民間のボランテア活動によって千体の地蔵が建立され、多くの人が祈願に訪れる。是山和尚の夢は、現代にも脈々と継承されている。
  • ピザづくり体験・・・赤田町内会 ピザ・ソバ部会の皆さんが講師となって体験を実施。
  • 石窯への火入れ・・・薪を燃やし、徐々に温度を高くする。十分煉瓦が熱せられたら横に火を移動し、ピザを焼くスペースを確保する。内部の温度400℃くらいを保ち、低下するようだったら薪を追加する。
  • 生地の作り方実演・・・生地13枚分の材料は、水500cc、砂糖6g、ドライイースト2g、強力小麦粉1kg、ラード55g、塩30g。生地からつくるとなれば時間がかかるので、今回の体験は、事前に用意した生地を使用して体験を行った。 
  • 左の丸いのが生地 
  • トッピング材料 
  • 調理台のシーツに小麦粉を敷き、ピザ生地にもまぶす。生地の中央を小高にするように親指と小指で周りを丸くしていく。周囲ができたら生地の中央を押して平らにする。麺棒を使って、20cm程度の円形状に仕上げる。 
  • 形のできた生地に、裏ごしトマトを縁から 1cmぐらい残して薄くのばす。
  • 自由にトッピング・・・スライスした玉ねぎ、ピーマン、ベーコン、サラミ、ミニトマト、炒めたキノコ、チーズ、粉チーズなど。 
  • 自分好みのピザをトッピング・・・皆さん、出来上がりが楽しみらしく笑いが絶えない。 
  • 参加者の手づくりピザを、400℃のビザ窯へ入れて焼く。
  • ピザ焼き・・・トッピングの量と厚さによって多少時間はかかるが、通常1~2分程度で焼ける。回転させながら均等に焼くのがコツのようだ。 
  • 昼食は、ピザづくり体験でつくったピザをメインに、手づくりのおにぎり2個とアイコの味噌汁で美味しくいただく。ごちそうさまでした。 
  • 六地蔵・・・村はずれに六体並んで立つお地蔵さん。六という数字には意味がある。人は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道という六つの迷いの世界に住むといわれる。お地蔵さんは、この六道の人々を救済してくれる。さらに親より先に死んだ子どもは三途の川を渡れないといわれるが、お地蔵さんはそんな子どもも救ってくれる。病気を治したり、子どもを授けたり、子どもを守ったりと、大変ありがたい六地蔵像である。 
  • 赤田神明社の案内をしてくれた鳥前宮司さん
  • 鳥居をくぐる際は一礼を・・・鳥居は神聖な神の領域と人間が住む俗界の境界線。だから鳥居をくぐる際は、行きも帰りも一礼するのが礼儀。 
  • 普段は入れない赤田神明社の中に入って案内してもらう。
  • 神仏分離令の概要・・・明治元年に神仏分離令が発令された。
    1. 神社では仏像を神体としてはいけない。神社内にある梵鐘、鰐口、仏具等、仏教関係のものは除去する。仏教的建造物も撤廃する。
    2. 寺院が神社の祭祀に関与してはならない。神社での仏事は行わない。
    3. 従来、神社の管理・祭祀は別当とか社僧と呼ばれる下級僧侶が行っていたが、それらは退職するか、またはその名称を神主、社人等と改める。つまり、僧侶を廃業するか、廃業したのち神主・社人として再就職する。
    4. 神社では権現、菩薩、牛頭天王などの仏教後の名称を廃止する。
  • 神仏分離令と廃仏毀釈・・・神仏分離令は、神社から仏教的な色彩を一掃し、神と仏をはっきりと区別するというもの。もともと「仏教排斥」を意図したものではなかったが、これをきっかけに全国各地で「廃仏毀釈」運動がおこり、各地の寺院や仏具の破壊が行なわれた。地方の神官や国学者が扇動し、寺請制度のもとで寺院に反感を持った民衆がこれに加わった。 これにより、歴史的・文化的に価値のある多くの文物が失われた。
  • 赤田地区では、地元出身の「赤田の閑居様」の信仰が篤かったために、表面的には従いつつも根っこでは反逆し続け、今でも神仏習合の祭りが継承されている。これは、全国的に極めて珍しいことである。
  • 鳥前宮司宅の庭を拝見
  • 三十三観音・・・平安時代以降、全国的に観音信仰が隆盛したのに伴い、観世音菩薩の像を安置する三十三の霊場を巡礼することが流行した。全国的に有名な西国、坂東、秩父に加え、各地に地方名をつけた三十三ヵ所の霊場が登場する。
  • 赤田三十三観音・・・赤田地区に三十三観音霊場が定められたのは、是山泰覚の功績であると伝えられる。「是山和尚一代記」には、天明年間に西国三十三所霊場の土を納めて札所が定められたと記されている。ちなみに写真は6番札所。
  • 1番札所 熊野神社 
  • 熊野神社から大滝方向を望む 
  • 炭焼き小屋見学・・・毎年2月に炭焼き体験が行われている炭焼き小屋を見学。案内は、ロッカ森保全ボランティア代表 高野修さん。
  • 秋田白炭窯吉田式・・・秋田県では、県内の鉱山が盛んな時代は、木炭の需要が大きかったが、品質は粗悪な木炭であった。その品質の改良に大きく貢献したのが、吉田式白炭窯の考案者である吉田頼秋氏である。彼は、福島県箕輪村の出身だが、昭和2年、秋田県の要請を受けて技師として就任し、県内木炭改良技術講習を重ねた結果、吉田窯が著しい勢いで普及し、秋田のナラ白炭は県外にも評価を高めた。この秋田白炭窯吉田式の伝承者は、木炭の検査員で「炭博士」と呼ばれた故鈴木勝男さんである。
  • 参考:今年の2月に行われた白炭の窯出し体験
  • 会員総出で歓迎していただいた上に、コーヒーをごちそうになり、さらにトイレタイムまでお世話になりました。恐縮至極、ありがとうございました。
  • ヤマツツジが満開の農道を歩き、六ヶ村堤へ
  • 芝桜
  • ヤエヤマブキ
  • ヤブツバキ
  • カキドオシ
  • ヒメオドリコソウ
  • シャク
  • アセビ
  • ブルーベリーの花
  • 六ヶ村堤・・・堤の案内は田口紘一さん。江戸時代中期は、享保の飢饉(1732年)、宝暦の飢饉(1753~1757年)など、度重なる凶作・飢饉に苦しめられていた。また、雨が降れば洪水、晴れれば干ばつの被害も受けていた。特に宝暦の大飢饉で疲弊した領民を救済するために 亀田藩主が藩営事業として着手し、200haの田んぼにかんがいするため池として築造した。受益地は、平岡、漆畑、中の目、女岡、畑谷、山田の6集落であったことから、六ヶ村堤と名付けられた。今では、堤防のかさ上げなどの改修を重ね、貯水量180万m3、約600haにかんがいしている。
  • 高僧というものは、ふるさとを一番大事にする(写真:五峰山を望む)・・・是山和尚は、1775年、44歳の時、光禅寺住職を弟子に譲り、ふるさと赤田の滝ノ沢に不動庵を建立し、庵主になる。古くから地元の人たちが信仰していた祖霊信仰や村々の神様を尊重し、五峰山を開くとともに、神仏習合の大仏を建立。度重なる天変地異(鳥海山噴火、象潟地震など)や凶作・飢饉、疫病から領民を救うために加持祈祷を行い、時には雨乞いをし、獅子舞などの芸能を各村々に伝えるなど、スーパーマンのごとく活躍している。
  • この是山和尚を抜きにして赤田地区の歴史、文化は語れないほどの存在感がある。その証拠に、明治に行われた神仏分離令に逆らい、是山和尚の教えを忠実に守り抜き、今でも神仏習合の祭り「赤田大仏祭り」が地域総出で行われている。だから、赤田の人々は、郷土の偉人・是山和尚を「赤田の閑居様」と親しみを込めて呼んでいるのである。
参 考 文 献
  • 「岩城町史」、「大内町史」、「本荘市史」
  • 「仏教民俗学」(山折哲雄、講談社学術文庫)
  • 「日本の神々と仏」(青春出版社)