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鳥海山Part1 鳥海山Part2 森と水あきたTOP

  • 鳥海山は、標高2,236mの活火山。富士山と似ていることから出羽富士、秋田富士とも呼ばれ、「日本百名山」に加えて、東北を代表する花の名山として名高い。
     登山口は、秋田県側が象潟口、矢島口、猿倉口、百宅口の4つ、山形県側は吹浦口、長坂口、万助口、二ノ滝口、湯ノ台口の5つ、合計9登山口がある。象潟口は、山頂までのアプローチが長いものの、鳥海山を代表する花々のほとんどを見ることができる。 
  • 特に鳥海湖周辺のお花畑は別天地のように美しく、標高2,000m以上の新山や外輪山周辺の荒涼とした岩礫周辺には、鳥海山の特産種「チョウカイフスマ」が群生している。何度も大噴火を繰り返す過酷な環境の中で、一際美しく咲き誇る生命力は感動に値する。
  • 象潟口・鉾立コース(取材日:2012年7月21日)
    象潟口・鉾立(1,160m)賽の河原(1,530m)御浜小屋(1,700m)扇子森(1,759m)八丁坂(1,692m)七五三掛(1,820m)千蛇谷コース大物忌神社(2,150m)新山(2,236m)七高山(2,229m)外輪山コース経由七五三掛以下象潟口・鉾立へ
  • 鉾立〜千蛇谷コース新山まで約7km、新山〜七高山〜外輪山コース鉾立まで約8km、合計15km
▲鉾立山荘
▲鳥海山鉾立登山口 ▲石の階段が続く ▲奈曽渓谷
  • 灌木帯の中をよく整備された石の階段が続く。左手には、深く切れ落ちた奈曽渓谷(なそけいこく)の断崖に白糸の滝が懸り、その遥か奥に鳥海山の山頂が聳え立っている。後ろを振り返ると、にかほ市と日本海が一望できる。
▲サンカヨウ ▲イワイチョウ ▲イワカガミ
  • (さい)の河原の手前には大きな雪渓があった。その雪解け水が流れる湿地の草原には、チングルマやイワイチョウ、イワカガミなどが咲いていた。首に下げていたカメラを草花に向け、撮影を楽しみながら登る。
▲カラマツソウ
  • 賽の河原(sainokawara、1,530m)・・・鉾立から1時間余、雪渓を越えると、雪解け水が流れる賽の河原に出た。ここは雪解けが遅く、分厚い雪渓が横たわっていた。その雪消え際にチングルマやイワカガミが咲き乱れていた。
     この沢筋は、早朝、渇水状態であったが、午後になると雪解け水で流水は豊富だった。雪解け水は、鳥海山ならではの冷たさで、汗まみれの体を癒すには最高の冷水である 。
▲チングルマ
  • 草原から御浜小屋(ohamagoya、1,700m)へ
     眩しすぎるほどの朝陽を浴びながら、ニッコウキスゲが咲き乱れる草原を登り切ると、逆光に輝く七合目御浜小屋(1,700m)に着く。距離3.4km、標高差540m・・・距離、標高とも山頂まで約半分だが、タイムは2時間ほどであった。
     この御浜小屋に泊まって、鳥海湖周辺のお花畑をじっくり堪能し、翌朝頂上を目指す登山者も多いという。山小屋に泊まり、のんびり歩けば、山からもらうパワーも何倍にも膨らむことだろう。
  • 扇子森(sensumori、1,759m)付近から鍋森と鳥海湖を望む・・・深いブルーに染まった鳥海湖、右側に白い残雪と鍋を逆さまにしたような鍋倉、左奥に見える山は、同じく信仰の山・月山である。周囲には、ニッコウキスゲ、ミヤマトウキ、クルマユリ、トウゲブキなどのお花畑が広がる別天地である。ここは山上のオアシス、下界では決して見ることができない極楽浄土のような世界である。
  • 鳥海湖(chokaiko)
     山上の湖には水の神・竜神様がすむと言われる。鳥海山が「農業の神」として信仰されるのは、稲作に欠かせない水源信仰に由来している。東北第二の高峰・鳥海山は、海からわずか16kmで標高2,236mへ一気に盛り上がっている。
     この山に日本海から湿った空気がぶつかり、たくさんの雨や雪を降らせる。年間降水量(高度1000m以上)は、多い年で1万2千ミリ以上。世界自然遺産「屋久島」の山岳地帯8000ミリの1.5倍に及ぶ。この世界最大級の多雨多雪の山が、豊かな田園地帯の水源になっている。
  • 鳥海湖周辺のニッコウキスゲ群落から象潟を望む
     鳥海山麓では、人が亡くなると、その霊魂は賽の河原をこえて山上の花園へ上る。そこである年月、供養を受けることによって霊魂は清まり、祖霊、山の神になるとも考えられた。先祖の神は、この雲上の花園から子孫を暖かく見守ってくれているのであろう。
  • ニッコウキスゲの大群落・・・見渡す限り広がるニッコウキスゲの大群落を目にすれば、疲れが吹っ飛び、至上の感動を覚える。
  • チョウカイアザミ・・・チョウカイアザミは、鳥海山を代表する植物。草丈が1m以上になる大きなアザミで、花は頭花を下向きに下げて咲くのが特徴である。八丁坂〜七五三掛、外輪山コースに多く見られた。
▲扇子森から月山(1,984m)を望む・・・草原に咲く白花はミヤマトウキ群落
  • 御浜・鳥海湖から扇子森、御田ガ原、七五三掛(shimekake)と続く登山道は高山植物の宝庫。ニッコウキスゲ、ハクサンイチゲ、トウゲブキ、ヒナウスユキソウ、クルマユリ、ウサギギク、ヨツバシオガマ、ミヤマトウキ、チョウカイアザミ、シロバナトウウチソウ、ハクサンシャジン、ヤマハハコ・・・。
  • 花好きの高齢登山者に話を聞くと・・・もはや頂上を目指すほどの体力がないから、御浜から御田ガ原の高山植物を満喫して帰るとのこと。最初は心臓が高鳴りどうなるかと思ったが、花を観たら元気になったと笑った。
▲登山道の要所には、信仰に由来する地名や石祠が多数残っている
  • 修験道と修験の山
     「山は神が宿る神域」であるとする信仰は、日本人の自然観のベースになっている。平安時代、その山の神域で修行し、祈祷などにおいて効験を現す行者、すなわち「修験道」へと発展していく。修験道では、山は神と仏がすむところと位置づけている。
     東北では、出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)、鳥海山、蔵王山、太平山、早池峰山などが修験の山の代表格であった。
▲「ふくらヨリ七里」の石標識
▲御田ガ原(ondagahara)、八丁坂(hacchozaka)、鳥海山を望む ▲ミヤマキンポウゲ
  • 御田ガ原は、最も低い鞍部で二ノ滝口、万助口との分岐点になっている。そこから緩やかな石畳の上り坂が八丁坂である。
  • 八丁坂(hacchozaka、1,692m)のニッコウキスゲ群落
  • 午後になると、外国の山ガールも登ってきた。国際教養大学の学生だろうか。信仰の山・鳥海山は、日本の自然観、民俗文化を知る上で格好の場所である。
  • 七五三掛(shimekake、1,820m)からにかほ市を望む・・・七高山〜稲倉岳に至る山々のへこんだ特殊な地形は、馬蹄形カルデラと呼ぶ。
  • 鳥海山の山体崩壊
     今から約2,500年前、現在の山頂付近が大きく崩れた。この大きなへこんだ形は東鳥海馬蹄形カルデラと呼ばれている。崩れた岩石や土砂は、仁賀保、金浦、象潟に高速で流れ、現在のにかほ市一帯に広く堆積した。当時自生していた杉の大木をなぎ倒した。
     その「埋もれ木」が昭和40年代から50年代にかけて各所で発掘されている。その埋もれ木の年輪調査によって、「年輪年代測定法」が確立された。その結果、鳥海山の山体崩壊は紀元前466年であることが分かった。象潟の九十九島も、噴火ではなく山体崩壊による岩屑の塊で形成された。
▲手前の白い花の群れは、モミジカラマツの群落
▲千蛇谷(せんじゃだに)コースに向かう ▲千蛇谷の雪渓
  • 七五三掛分岐点の左・千蛇谷コースに向かう。外輪山内壁を巻くように急な梯子を降りながら雪渓の谷へ降り立つ。千蛇谷は、鳥海山が山体崩壊した際、岩屑が高速で滑り落ちていった場所であろう。今は、岩屑ではなく分厚い雪渓が残っていた。
▲千蛇谷全景
  • 左奥のピークが新山、右の尾根筋が外輪山コース。道は右から左に雪渓を横断し、雪渓左側に登山道が続いている。荒々しい火口壁・外輪山を右手に望みながら、雪渓を登った。ところが、夏の陽射しが強い上に、雪渓に反射し顔がヒリヒリするほど真っ黒に焼けてしまった。
▲マルバシモツケ ▲ミヤマキンポウゲ ▲千蛇谷の雪渓をゆく
▲ヨツバシオガマ ▲千蛇谷の雪渓を下る登山者
  • 5月のGW、春山の千蛇谷は、テレマークスキーの人気コースらしい。かつて山体崩壊の岩屑がにかほ市の海岸まで滑り落ちたコースだから、天然のスキー場とも言えそうだ。
  • 千蛇谷最後の急登の石段を登り切ると、鳥海山大物忌神社に辿り着く
  • 鳥海山は、古くから火を噴く荒ぶる神「大物忌の神」として崇められ、山そのものがご神体であった。山への畏怖と畏敬が信仰の対象となり、鳥海山に登拝して修業する「鳥海修験道」が発達した。その鳥海修験衆徒の各登拝口や登拝道は、鳥海山の文化遺産を代表するものであり、平成21年7月23日、「鳥海山」は国の史跡に指定された。
大物忌神社(おおものいみじんじゃ、2,150m)。奥は新山。 ▲神社入口右の岩に咲いていたチョウカイフスマ
  • 大物忌神・・・かつて、北東北は大和朝廷に従わない蝦夷の住む国であった。度重なる鳥海山の噴火は、その蝦夷の反乱の前兆と考え、大物忌に供え物をして「鎮祭」を行った。北方を征服する国の守護神として大物忌神を祀ったとされている。大物忌神は、噴火の度に鎮祭が行われ、神階が上がった。それは、鳥海山の霊験を借りて他を支配し、勢力を拡大するための象徴として利用された。
  • 中世には修験道の霊場としてその地位を確立し、近世には独自の鳥海山信仰を推し進めた。山麓の登拝口がある集落では、修験集落として多くの宿坊が栄えた。その中でも勢力が強かったのは、秋田県の矢島・小滝・滝沢・院内、山形県の遊佐町蕨岡・吹浦の6集落である。
  • 山頂には、本殿が鎮座し、麓の吹浦と蕨岡に二つの口ノ宮がある。史跡の範囲は、五合目付近から山頂を含む約900ha弱。夏の間、山頂本殿には神社職員が常駐し奉仕している。神社が運営する御室小屋では参拝者、多くの登山者を迎えている。
  • 鳥海山の特産種「チョウカイフスマ」・・・背丈は低いが、花の形が実に美しい・・・学校の校章に多く採用されているのも頷ける。星形の白花・・・鳥海山の「夏の妖精」とも呼ばれている。
▲イワギキョウ ▲ホソバイワベンケイ ▲チョウカイフスマ
新山(2,236m)山頂
▲鳥海山最高峰の新山(shinzan、2,236m)
  • ばった巨岩が累積したガレ場・・・噴火の荒々しさを感じさせる荒涼とした風景に一変する。岩上のペンキ印を頼りにガレ場を登る。途中、岩の割れ目のような場所を通過し頂上に立つ。頂上は狭く、満足度は七高山より劣る。この岩屑の山を見ていると、約2,500年前の山体崩壊も何となく理解できる。
▲外輪山(gairinzan)から新山を望む
  • 新山へのルートは、御室(omuro)小屋から外輪山コースの道の途中から雪渓方向に登るコースもある。新山頂上から雪渓を滑り降りてきた若者もいたが、その途中に「胎内潜り」の岩があるという。民間信仰の一つ「胎内潜り」をすれば、生まれ変わることができると信じられていた。
  • 1801年の大噴火と象潟地震
     1801年7月、最も激しい噴火が発生。荒瀬郷の若者11名が神社への参拝と噴火見物を兼ねて登山に向かった。ところが、行者岳から七高山へ向かう尾根筋で大爆発に遭遇、噴石に当たって8人が死亡したという。
     それ以降、噴火は激しさを増し、行者岳の仮殿も焼失、七高山と荒神ガ岳の間に新山ができた1804年には荒神ガ岳の東側山腹で噴火、新しい噴石丘が生じた。同年7月10日、象潟大地震が発生、景勝地・九十九島が2mほど隆起し陸地と化した
  • 新しい溶岩ドーム・新山周辺は、植物が乏しく角ばった岩が剥き出しになっている。それでも良く観察すれば、新天地にミヤマキンバイ、チョウカイフスマ、ホソバイワベンケイ、イワブクロ、イワギキョウなどが育ちはじめている・・・その生命力に、パワーを一杯もらった気分になる。
  • 御室小屋裏手にチョウカイフスマの大コロニーがあった。花は三分咲き程度。これが満開に咲けばさぞ美しいことだろう。
▲イワブクロ
  • 御室小屋に泊まる方は、御来光なら七高山(shichikouzan)、日本海に映る影鳥海なら新山がベストだという。
▲ミヤマキンバイとチョウカイフスマ
  • 新山や七高山周辺は、このミヤマキンバイの黄花とチョウカイフスマの白花が一際目立つ 。新山〜七高山〜行者岳周辺の花・・・チョウカイフスマ、イワブクロ、ミヤマキンバイ、イワギキョウ、イワウメ、ホソバイワベンケイ、アオノツガザクラ・・・。
 参 考 文 献
  • 「日本百名山」(深田久弥、新潮社文庫)
  • 「鳥海山花図鑑」(斎藤政広、無明舎出版)
  • 「日本の山と渓谷5 鳥海・月山」(加藤久一、山と渓谷社)
  • 「花の百名山 登山ガイド上」(山と渓谷社)
  • 「仁賀保町史 普及版」(仁賀保町教育委員会)
  • 「山伏入門」(宮城泰年、淡交社)
  • 「山の宗教 修験道案内」(五来重著、角川ソフィア文庫)
  • 「アルペンガイド2 東北の山」(山と渓谷社)

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