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第30回ブナ林と狩人の会:マタギサミットin北秋田

 2019年6月22日(土)~23日(日)、「第30回ブナ林と狩人の会:マタギサミットin北秋田」が北秋田市阿仁・打当温泉マタギの湯を会場に開催された。1990年3月、新潟県三面で第1回が開催されて以来、今回は記念すべき30周年を迎えた。日本の狩猟民を代表する「阿仁マタギ」の文化を「日本遺産」(文化庁)に登録することを目指す北秋田市では、マタギサミット30周年記念にあわせて、前日に「マタギシンポジウム」(北秋田市文化会館)を開催。マタギ関連イベントは、3日間にわたって行われた。
  • 主催:実行委員会(北秋田市猟友会、東北芸術工科大学田口研究室、狩猟文化研究所)
  • 共催:北秋田市
  • 後援:秋田県、大日本猟友会

阿仁マタギの里・・・根子、比立内、打当

  • 北秋田市阿仁の代表的なマタギ集落は、根子、比立内、打当の三つ。そのうち旅マタギの数が最も多かったのは、根子、次いで打当、比立内の順である。(写真:根子集落)
  • 根子の語源は、開発を意味すると言われ、源氏の末裔が開いたものと、平家の落人が開いたものとの2つの伝説が残されている。平家落人説によれば、壇ノ浦合戦に敗れた一族家臣らが離散したが、信州飯田に落着した一団が越後の三面、下野日光、羽後の根子に分かれたと言う。この伝説が正しいとすれば、根子と三面は同じ一族ということになる。
  • 秘巻「山立根本之巻(日光派)」、「山達由来之事(高野派)」のほか、藩政時代からの記録文書も残されている。
  • 薬の行商・・・根子の記録によれば、昭和7年、戸数84戸のうち76名が農閑期に鳥獣の毛皮、熊の胆の行商をしていた。 収入は、「年額8千円~1万円」の高収入で、当時の校長先生の月給の3倍以上稼ぐのは、わけなかったと記録されている。
  • 行商の目玉は熊の胆で、その効能は、慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬として、昔から漢方薬の中では、最高級品であった。
  • 昭和初期、根子には4~5軒の薬問屋があった(最盛期7軒)との記録がある。一人の子供に奥義を伝えた一子相伝の秘薬と言われた家伝薬であった。阿仁の行商先は、宮城、福島、岩手、秋田、北海道がベスト5で、以下山形、新潟、栃木、群馬、岐阜・・・愛知、愛媛、樺太といった遠くまで行商していた。また、旅をする人の話はオモシロイということで、民泊すると大変喜ばれたという。
  • 根子山神社・・・根子のマタギの神様である山の神を祀っている。かつて、山神社の祭りは4月8日に行われ、根子番楽の奉納だけでなく、相撲なども余興で行われた。
  • 大島正隆「マタギ言葉その他」に記された旅マタギ・・・小国金目のヤマサキ斎藤孫右衛門氏の談によると、以前は頻繁に秋田衆(阿仁マタギ)の来訪があったという。そして日本広しといえども、真に古来の狩作法に通じた生粋の猟人はその秋田衆と三面衆、及び彼ら金目部落の者だけというのが、その時の孫右衛門氏の誇りであった。
  • 今回、マタギサミットに参加した小国町金目マタギたちは、本家が阿仁マタギであることを誇りにしていた。金目マタギの木村班長は、マタギサミットが終われば、本家である根子の山神社に参拝してから帰ると言っていたのが強く印象に残った。
  • 比立内マタギの里・・・白子森、金池森などの峰々から流れる比立内川と打当川の合流点が比立内マタギの里である。「大阿仁村発達史」によれば、越後三島郷の住人与助・市兵衛兄弟が故あって郷里を去り、仙北郡西根村に住む。その頃西根村のマタギが狩りに来て、赤井の沢でクマを射獲り、展望するに田畑十万刈を起こすによいと村人に伝え、与助・市兵衛によって開墾が始まったとされる。
  • マタギ集団は、比立内山子衆が中心で、長畑、幸屋、幸屋渡からも参加していた。残雪期には、シカリを中心に巻き狩りが盛んに行われ、ひと冬に3~40頭の熊狩りがあったという。
  • 比立内山神社・・・集落自治会で山の神溝中を組織し、12月12日を山の神祭礼日として巡回当番で拝礼する。早朝若勢たちは、水垢離をとり、無病息災と山の恵み享受を祈願した。 
  • 参拝する前に水垢離をとる時の唱え言葉・・・小川の水を堰止めて、我が身に三度、アビセタマエ、キヨメタマエ、ハライタマエ、ナム、アブランケ、ソーワーカ。
  • 打当マタギの里・・・山深い奥阿仁地域の中でも、最も奥に位置する山里で、旧大阿仁村のの比立内、根子とともにマタギの里として知られている。狩猟を生業としたマタギは姿を消したけれども、山の恵みを受けて暮らしてきた人々のしきたりや信仰は失われることなく受け継がれている。
  • 森吉山(1454m)からヒバクラ岳(1326m)、割沢森(1001m)、高場森(900m)の山々から源を発する打当内川、岩井ノ又沢、中ノ又沢と立又沢の源流部一帯が打当マタギの猟場である。
  • 鹿角、八幡平、津軽、南部、会津など旅マタギを主業とする人も少なからずいた。
  • 豊臣一族の残党落人説の言い伝えがあり、石田、柴田、鈴木、泉、斉藤などの姓が多い。 
  • 打当の山神神社・・・かつてマタギの一員になるには、神社にお籠もりをして修行し、実体験による訓練まであったという。打当マタギは、柴木を集めてマタギ小屋を造り、数週間山に泊まって狩猟を生業とする人たちがいた。 
  • かつて猟場が最も広かったのは比立内で、次いで打当、根子の順であり、猟場の狭い所ほど外へ出る傾向が強かったと言われている。
  • 阿仁マタギの里を象徴する戸鳥内棚田・・・戸鳥内棚田は、戸鳥内の集落から急坂の過疎基幹農道を登り切った高台にある。山の神が宿る森吉山から打当の猟場・黒様森などの山々をバックに、天空の高台に広がる棚田は、庭園のように美しい。私のお気に入りの風景である。
  • マタギ資料館・・・マタギサミットの会場となった「打当温泉マタギの湯」に併設されている。日本の狩猟民を代表する阿仁マタギの装束や狩猟道具の展示、マタギの由来・山の神信仰・マタギの秘伝書・熊狩り・山ことば・万事万三郎伝説・熊料理・第83回直木賞受賞作品「黄色い牙」(志茂田 景樹)特別展示など、学術的にもマタギ文化を知るためにも必見の資料館である。

第30回ブナ林と狩人の会:マタギサミットin北秋田

  • 実行委員会代表 田口洋美先生あいさつ 
  • 歓迎のあいさつ・・・津谷永光北秋田市長
  • パネルディスカッション・・・テーマ1 移住者がマタギを継ぐとき Vol2
  • パネラー・・・蛯原紘子(山形県)、原 薫(長野県)、鈴木奈津子(東京都)、木村望(北秋田市)
  • コーディネーター・・・田口洋美(東北芸術工科大学教授)、小松武志(北秋田市)  
  • 狩猟の世界は女人禁制であった。しかし人口減で男の狩猟者が極端に少なくなった。女性の活躍に期待するしかない。
  • 最初は、女性は入ってはいけない世界だった。たまたま親方が、守るべきものと変えていくべきものがあっていい、と柔軟な考えを持っていた。私が山に同行すると決まってクマが獲れたので、3年後に入れてもOKになった。
  • 女性だから伝えられるものがある。
  • 休学して阿仁へ。その後復学して卒業した後、阿仁に戻ってきたら、意外に簡単に受け入れてもらった。マタギの数が減っているから、若者を受け入れやすい背景があったのだろう。
  • 不安なことは・・・どこまでついていけるか不安。数が減っているので巻き狩りが困難になっている。一方、イノシシ、シカが増えるなど環境が大きく変わってきているので不安が多い。
  • 不安はない。女性であっても、それなりの役割がある。林業も同じ。自然との向き合い方は、狩猟も林業も同じ。一番大事な所を学んでほしい。
  • 男でも能力の限界付近でやっているから、体力、技術でついていけない部分があり、それを克服するには時間がかかる。本来なら地元の若い人にやってほしい。
  • 命を大切に扱う、山の神信仰を継承していきたい。
  • 誰にでも役に立つ能力がある。クマは集団猟だが、自分が居心地が良いかどうか、長い目で判断する必要がある。
  • 山の恵みは多様。山をトータルで生かし伝える。猟はその中の一つ。
  • シカ肉が余ると、ジビエが好きなのでシカ肉の引き取り手になっている。動物を見る力、撃つ技術は負けたくない。
  • 田口先生も、もともとは余所者。マタギ文化を次の世代に届けたいと思ってやっている。胸を張って伝えてほしい。
  • 都会を敵ではなく、味方につけていく。消費者として、新しい仲間として。
  • テーマ2 犬の放し飼い特区を考える
  • コーディネーター・・・田口洋美、高橋満彦(富山大学教授・環境法)
  • クマを追い払いもせず、ワナで獲ると、際限なく獲ってしまう。そういうやり方は、狩猟で言えば、誘い込み猟になるので、ついには滅ぼすことになる。
  • 野生動物が死に続けていいと考えるのは、マタギとして許されない。
  • ノンリアクションのまま駆除を続けるだけで良いのか。クマは通っても許されると思うから、出続ける。クマに対して入ってきてはいけないラインを学習させないとダメだ。そのために犬の力を借りたい、それが放し飼い特区。
  • 今年の6月7日、福島県会津若松市東山町の遊歩道でアメリカ国籍の15歳の少女が父親と遊歩道を散策していたところ突然クマに襲われた。朝のジョギング、散歩など集住空間でクマ被害が多発している。
  • ロシアでは、犬の放し飼いは常識。
  • 小型中型犬でも数頭集まれば防衛できる。
  • 今の社会は、ちょっとしたミスでも許さない。
  • 日常の社会で最も危険なものは車だが、許される危険。猟銃も、犬も同じ。
  • モンキードックの導入で平成19年に動物愛護法が改正され、都道府県の条例で運用している。
  • 秋田は、例外規定として「その他の使役犬」となっているので、放し飼いは可能ではないか。
  • 参考: 秋田県動物の愛護及び管理に関する条例(抜粋)
    第九条 飼い犬の飼い主は、当該飼い犬を常時係留しておかなければならない
     ただし、次の各号のいずれかに該当する場合は、この限りでない。
     一 警察犬、狩猟犬、盲導犬その他の使役犬をその目的のために使用するとき。
  • 秋田犬・・・犬の祖先はオオカミと言われている。その遺伝子をもつ秋田犬(あきたいぬ)は、かつてマタギの猟犬であった。ただし、かつてのマタギ犬は小型の猟犬系の秋田犬である。猟犬系秋田犬は、県内のマタギ集落に数多く見られたが、今はほとんど姿を消した。天然記念物に指定されている秋田犬は、戦後改良された大型犬で猟には向かないという(ただし、猟犬としての遺伝子は残っているはず)。秋田犬は、渋谷の忠犬ハチ公のエピソードで有名になり、主人に忠実な犬として知られている。
  • 縄文犬・・・猟犬のルーツを辿れば、縄文時代に行き着く。縄文人が狩猟を共にしていたことは、犬を人間と同様に丁重に埋葬していたことでも分かる。縄文人の狩猟は、弓矢だけでなく、罠を巧みに仕掛け、猟犬を使って追い込むなど、組織的で高度な狩猟法を駆使していたのである。さらに村を野生動物たちから守っていたのである。(写真:伊勢堂岱縄文館)
  • かつては、どこの山村でも犬の放し飼いが普通に行われていた。クマが出てくると、啼いて教える。その声を聞いて、村の犬たちが応援にかけつけるといった風景が、至る所にあったはずである。それは恐らく、縄文犬と同じ役割を担っていたはずである。
  • 秋田のクマ問題は、連続して死亡者が出るほど深刻である。さらにニホンジカ、イノシシの目撃が年々増加している。それに対して秋田県は日本一少子高齢化のスピードが速く、狩猟者が激減している現実を考えると、犬の放し飼い特区は、検討に値する提案だと思う。
  • 交流会・歓迎のあいさつ・・・北秋田市阿仁地区猟友会木村謙一会長 
  • 根子番楽(国重要無形民俗文化財)・・・牛若丸と弁慶の対決を演じる「鞍馬」と、仇討ちの修行を題材にした「曽我兄弟」の2演目が披露され、大きな拍手喝采を受けた。
  • 根子番楽とマタギ・・・根子番楽は、山伏神楽の流れをくみ、勇壮活発で荒っぽい武士舞いが多いのが特徴である。番楽をやる人は、同時にマタギもやっていた。つまり、マタギと番楽は切っても切れない関係にあった。従って、根子番楽は、マタギの山神様のお祭りの時にやっていたのである。今回、番楽を演じた若者4人(左上写真)は、現役のマタギである。
  • 民俗学者の折口信夫は、根子番楽を次のように評している。「村人は源平落人の子孫と称し、古来弓矢に長じ狩猟を生活としてきただけに、ここの番楽は他のそれに比して勇壮である」。昭和10 年、折口信夫の推薦で、根子番楽が日比谷公会堂で行われた日本民俗芸能大会に参加、翌年は秩父宮夫妻に番楽を公開している。根子集落はマタギの習俗だけでなく、芸能面でも注目されるようになった。
  • 毎年8月14日夜に定期公演を行っているほか、6月と10月に特別講演を開催している。
  • 次回の開催地・・・代表者会議の結果、猟師の開祖・盤司盤三郎伝説のある日光で開催することが決まった。開催日は、6月の最終土日に開催するとのこと。 
  • 現場視察①くまくま園・・・ 1990年に阿仁熊牧場として開園。2014年に「くまくま園」としてリニューアルオープンした。東北で唯一のツキノワグマとヒグマの動物園。
  • 写真奥が成獣メス、手前が成獣オス・・・エサは園内で販売している。大きなクマが、かわいい仕草でエサをねだったり、オス同士でじゃれ合う様子は迫力満点だ。
  • 1~3才の子グマ・・・好奇心旺盛で元気一杯遊び回るので、見ていてオモシロイ 
  • ヒグマ・・・数頭ずつ入り替わりながら運動場で遊んでいる。手が届きそうな場所で水遊びするヒグマをガラス越しに観察できる。
  • クマを知ろう展・・・クマを取り巻く環境、クマの習性・行動、山での被害防除、集落周辺の対策などを学ぶことができる。
  • 今年生まれた5ヶ月の仔グマ・・・小松武志園長とじゃれ合う仔グマ。やっぱり可愛い。クマに生かされたマタギたちは、我が子、我が孫のように、ニコニコしながら優しい眼差しで観察していた。 
  • 現場視察②阿仁スキー場・ゴンドラ山歩・・・国の天然記念物「秋田犬」がお出迎え。オス、名前は北斗。がっしりとした骨格と肉付きの良い体格、体高より体長がやや長い体形は、雪の中で大型の獲物を仕留める猟犬として活躍していたことを彷彿とさせる。
  • 阿仁ゴンドラ山麓駅(535m)からゴンドラ山頂駅(15分、1170m)へ 。ゴンドラを利用すれば、山頂駅から森吉山山頂までの高度差は、わずか280m程度。これなら老若男女誰もが高山植物の撮影、観察を心ゆくまで堪能できるので人気が高い。
  • 山頂駅近くのブナ・・・枝先が折れているのは、昨年、クマが枝を折ってブナの実を食べた痕跡だという。まだクマ棚らしきものも残っていた。
  • 山頂駅から若干登った見晴らし台から山麓方向を望む。
  • ノウゴウイチゴ
  • ハナニガナ
  • アカモノ
  • ミヤマツボスミレ
  • 森吉神社(1270m)
  • 森吉神社のご神体は、冠岩
  • マタギの森吉山登山・・・かつて、6月15 日には、マタギも含めて山仕事をしている人々は皆森吉山に登り、モロビ(アオモリトドマツ)を持って帰った。モロビの香りは穢れを払い、魔除けの効力があると信じられていた。旅立ちの際は、モロビを燻して全身を浄め、旅の安全を祈願した。また阿仁マタギは、結婚式に出た後は、モロビを焚きお祓いしてから猟に出た。
  • 森吉山登山は、根子だけでなく、打当、比立内などでも行われていた。また、根子の分村である八木沢、萩形の人々もマタギを行っているため、この日は森吉山に登ったという。
  • 阿仁スキー場春祭り・・・たまたま春祭りが行われていたお陰で、無料でタケノコ汁をご馳走になった。スキー場の指定管理者NPO法人森吉山の主催。ゴンドラ利用者に感謝を込めて、森吉山周辺で収穫したばかりのタケノコとミズに豚肉を加えたタケノコ汁が300食限定で振舞われた。一口食べると、美味い、美味いの大合唱とともに、「これぞ幸せだ」の声も聞こえた。ごちそうさまでした。
  • 参考:花の百名山「森吉山」・・・6月下旬、 山頂直下の稚児平と山人平のお花畑は、チングルマとイワカガミの大群落が見られる。その頃に見られる主な花は以下のとおり
  • シラネアオイ
  • ミツバオウレン 
  • ツマトリソウ 
  • タニウツギ
  • ウラジロヨウラク
  • ヒナザクラ
  • ミズバショウ 
  • ショウジョウバカマ
  • イワイチョウ
  • ベニバナイチゴ
  • チングルマ
  • イワカガミ
参考:秘境と言われるマタギの里の名瀑
  • 阿仁マタギの里には、秘境にふさわしい名瀑が多い。夏、天国の散歩道を歩いて桃洞の滝兎滝を見たり、さらに奥地に懸かる秘境の名瀑・安の滝、九階の滝巡りは超おススメ
  • 桃洞の滝、落差25m・・・森吉山系・ノロ川上流桃洞渓谷に懸かる滝。誰しもこの滝を見れば、自然の造形美に圧倒される。女性のシンボルに似ていることから、別名「女滝」とも呼ばれ、地元では「子宝の滝」、「安産の滝」として慕われている。
  • 兎滝、落差20m・・・「天国の散歩道」と形容される一枚岩の赤水渓谷を3キロほど辿った地点に懸かる滝。滝をよく見ると、白兎、白犬、白馬のようにも見える不思議な滝である。
  • 日本の滝100選「安の滝」(中ノ又沢)・・・二段に落ちる滝を合わせて高さ約90mで、日本の滝百選で第二位に選ばれている。昭和57年公開の映画「マタギ」、昭和62年公開の映画「イタズ 熊」のロケ地にもなっている。
  • 様ノ沢源流に懸かる幻の滝・九階の滝・・・全体が九段からなり、全体の落差は135mにも及び、森吉山系で落差ナンバーワンの滝である。その落差も凄いが、むしろ目の前全てが蟻地獄のように連なるスラブ群に圧倒される。だからこの一帯には獣も近付けない。かつて阿仁マタギは、この一帯を猟場にしていたが、様ノ沢だけは例外だった。マタギは、クマも寄り付かない険谷を「神様の沢」として畏怖していたという。だからこそ「(山神)様ノ沢」と命名したに違いない。

参考:江戸時代の秋田マタギの記録・・・菅江真澄遊覧記

  • 1785年、「小野のふるさと」(湯沢市)・・・「マタギというのは狩人(熊、イノシシなどをうち歩くのをマタギという)」
  • 1785年「けふのせば布」・・・鹿角市湯瀬、「湯治の人たちに混じって、山刀を腰にさした老人は、マタギといって狩人の呼び名である」
  • 秋田藩(湯沢市)、南部藩(鹿角市)では、狩人を「マタギ」と呼んでいたことが分かる。
  • 1803年「すすきの出湯」(大館市):マタギ言葉(山言葉)・・・容貌姿態の美しい女が混じって語らいながら行くのを、皮の衣服を着た荒くれ男たちが犬をひきつれて来かかり、立ち止まって見て、「よい女だなあ、サッタテをホロにして、ネネツフをケアワセタイ」と言って、「あはは」と笑って去って行った。それらは又鬼(マタギ)といって、狩人であった。そのマタギ言葉で言ったのである・・・
     マタギの生業は、雪が降ると深い山に分け入ってカモシカを追い、春のカタ雪をカンジキで踏んで熊を探し出してタテ(槍)というもので突き殺す。クラガイという長い布袋の中にカネ餅というものをいれて、常にそれを腹巻として身につけ、雪の大岳小岳をかけまわる。大雪にふりこめられ、仲間にも会えないときは、命をつなぐためと持っているクラガイのカネ餅を食うのである。熊をイタチ、猿をサネ、鹿をカゴ、カモシカをケラ、などと呼び、山に入ると、普段は使わないそれぞれの忌み言葉が多いものだと彼らが語った。
  • 1805年「みかべのよろい」:アイヌ語地名・・・「戸鳥内の村にきた。このあたりはもと蝦夷が住んでいたのであろう。山かげに笑内(おかしない)というところがあるので、それと知られる」
  • 「高い橋を渡ると笑内(おかしない)という部落があった。松前の西の磯伝いにも可笑内(おかしない)というところがあったが、それは江差の港に近かった。このように同じ地名が陸奥に多い。何ナイ、かにナイという内(ない)は、もと沢という蝦夷の言葉で、昔はこの辺にも蝦夷が住んでいたのであろう」
  • 1805年「みかべのよろい」:根子マタギ・・・「山ひとつ越えると根子という部落があった。この村はみな、マタギという冬狩りをする猟人の家が軒を連ねている。このマタギの頭の家には、古くから伝えられる巻物を秘蔵している。祖先をヒコホホデミノミコトとする系図をもち、かれらのつかう山言葉の中に獲物の肉をサチノミ、米をクサノミといい、その中には蝦夷言葉もたいそう多かった
  • 菅江真澄は、1788年~1792年までの4年間道南を歩き、アイヌの文化を克明に記録している。その後、再び津軽、秋田を旅しながら、北東北にアイヌ語地名が多いこと、マタギ言葉にアイヌ語が多いことを指摘している。
  • 1807年「十曲湖」:マタギの語源・・・「鹿角市大湯草木の郷に、八郎太郎というマタギがあった」とし、マタギの語源について次のように註釈している。「昔禁猟の山にしのんで、こっそり狩りをしていた木こりが、問われてマダの皮剥ぎをしていると応えた。それ以来、狩人を一般にマタハギという。マタハギを略した言葉が、マタギである。陸奥・出羽の人は、シナノキをマダと言い、狩人をもっぱらマタギと言い慣わしている
  • 注:マタギの語源については諸説あるが、マタギ研究者の間では「山立説」が有力。阿仁では、一般の狩人をマタギ、熟練したマタギを、「山立」あるいは「山立様」と呼んでいた。一般には、山に伏して修行をする修験者を「山伏」と呼んだのに対して、狩人のことを「山立」と呼んでいた。巻物「山立根本之巻」「山立由来之事」もこれによる。ヤマダチ→マタジ→マタギと変音したとする説である。ただし、今だ定説はない。
参 考 文 献
  • 「阿仁マタギ習俗の概要」(調査委員 湊正俊、丸谷仁美)
  • 「マタギ-森と狩人の記録-」(田口洋美、慶友社)
  • 「菅江真澄遊覧記」(内田武志、宮本常一編訳、平凡社)