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 2014年5月25日(日)、森の学校第3回「伝説と信仰の山゛房住山゛青葉と花に親しむ」が開催された。一般参加者、森の案内人等37名が参加。あいにくの小雨模様であったが、天然秋田スギとブナなどの広葉樹の森が霧に包まれ、三十三観音を巡礼するコースにふさわしい神秘的な登山を満喫できた。また、この日は三種町恒例の房住山山開きも行われ、終日登山客で賑わった。

●内容/天然杉と古来からの信仰の山を歩く
◆主催/秋田県森の案内人協議会
◆協賛/(公社)秋田県緑化推進委員会 
◆協力/秋田県森林学習交流館・プラザクリプトン(018-882-5009)
房住山登山MAP(「房住山山開き」資料より)

 登山口は、主に滝ノ上登山口、井戸下田(いどげだ)林道登山口、金山林道登山口の3つである。今回は、天然秋田スギと信仰の山を歩くメインコースとして、井戸下田コースを登り、帰路は滝ノ上登山口に下りる予定であった。しかし、雨の中、多くの登山客が歩いたため、登山道がぬかるみ滑りやすく危険なため、井戸下田登山口に戻るコースに変更した。

 なお、寺屋敷跡を通る金山林道登山口は、林道の路面状況が悪く、SUV車以外の一般車では通行が困難なので注意が必要である。
▲房住山山開き

 新緑とヤマツツジが満開に咲き誇る「ぼうじゅ館」を会場に、房住山山開きのセレモニーが行われた。山開きに参加した登山者らと今年一年の山の安全等を祈願した後、房住山神社の山門前で山開きのテープカットが行われた。
▲井戸下田登山口(駐車場とトイレ完備) ▲登山と三十三観音案内図
 登山の前には、準備運動を充分に行なう必要がある。特に中高年の場合、筋・腱、関節が硬くなっているのでストレッチングを入念に行なった。他の山開き参加者のパーティが出発したのを見届け、森の案内人・米澤房夫さんを先導に出発(出発地点の標高は約260m)。
 森の学校で開催する登山の特徴は、森の案内人の方々から森に関する様々な専門知識を現地で学ぶことができる点である。登山道沿いに次々と現れる植物の名前や特徴、森を歩く注意点などの解説を受けながらゆっくり登る。
▲ナナカマドの花 ▲エンレイソウ
▲クルマムグラ ▲ユキザサ
 天然秋田スギの幹に巻き付いたツル植物・・・ツルアジサイとツタウルシの2種が巻き付いている。ツタウルシは、秋にいち早く紅葉して美しいが、ウルシと同じように素手で触るとかぶれるので注意が必要である。
▲房住神社

 昔の寺房を復元し、新たに建立された「房住神社」。今日の登山の安全を祈願した後、自然観察教育林に指定されている樹齢200年を超える天然秋田スギとブナなどの広葉樹の森へ向かう。
▲天然秋田スギ観察林

 森の案内人によると、房住山山頂を中心に半径5kmの円を描くと、その中に天然秋田スギの森で知られる「仁鮒水沢スギ植物群落保護林」と「コブ杉自然観察教育林」がすっぽり入るという。つまり、房住山周辺は、天然秋田スギの美林を観察できる希少な森である。また、稜線に出るとブナなどの広葉樹と混交する天然林も観察できる。昔から、修験道の霊場は、こうした鬱蒼とした巨樹の森や巨岩怪石、滝などの名所が多い。
▲天然秋田スギの森をゆく   ▲ブナの巨樹

 天然秋田スギに混じってブナなどの広葉樹が目立つようになると稜線の天下森分岐も近い。
▲天下森分岐(標高約400m)

 天然秋田スギの森も素晴らしいが、森の空間が広く明るいブナの森がさらに素晴らしい。濃い霧が森の中を流れて信仰の山にふさわしい神秘的な風景を醸し出していた。ここでしばし休憩をとる。
遭難防止と地図の見方

 山は一日晴れという日は稀で、天候が急変する場合が多い。台風や大雨、濃霧でガスってくると、見通しが悪くなり、進むべき方向や現在地すら分からなくなる場合もある。特に秋田では、タケノコ採りに夢中になる余り、方向を見失い遭難するケースが後を絶たない。だから登山や山菜採り、きのこ採り、沢歩きなどで山に入る場合は、地図とコンパス、高度計は必ず持参し、常に現在地を確認しながら歩くことが肝要である。

 地図の見方で注意すべき点は、地図上では上が北、下が南だが、日本では緯度によって西に5~10度ズレていることである。このズレを偏差といい、地形図には「西偏○度○分」という形式で書かれている。米澤さんは、2万5千の地図に偏差の磁北線を印した地図とコンパスを用いて目的地の方向を正確に求める方法を解説してくれた。
▲サンショウ ▲ヒメアオキ
ブナの樹幹流と緑のダム

 ブナの木の根元に立って上を見上げると、新緑の若葉や枝が降った雨を幹に集めるジョウゴのような形をしているのが分かる。ちょうど小雨が降っていたので、ブナの樹幹を雨水が流れる様子が観察できた。その樹幹流は、落葉がうず高く降り積もったスポンジのような林床に吸い込まれ、大量の水分を貯め込む。だから「緑のダム」と呼ばれている。

 また、ブナのスベスベした幹を観察すれば、様々な地衣類やコケ類に覆われているのが分かる。これは樹幹流による水のお蔭で彼らの格好の生活場所になっている。だからブナの森は、湿度が高く生物多様性に富んでいる。
観音信仰

 観音霊場の基本数である三十三は、観音菩薩が生命あるもの全てを救うために三十三の身体に変身するという「観音経」の説による。千手観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪観音など。観音霊場の原型とされるのは西国の三十三所。その観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。やがてこの観音巡礼のミニチュア版が、日本列島の津々浦々にまで同心円的に広がっていった。

 観音信仰は、現世利益を授ける万能の本尊という特色と、女性神的な性格がある。観音信仰は母の慈愛、不動信仰は父の厳しさ、地蔵信仰は子供の純真を現す守り本尊。この三つが日本のファミリー宗教の母胎をなすと言われている。
▲天下森分岐~山頂までは、十番~二十一番までの観音様と番外1~3まで巡礼することができる。

 房住山は、天台宗・山岳仏教の開山に始まり、後に修験道寺院の山として栄えたという。金山林道登山口コースの途中にある寺屋敷跡は、房住山信仰の中心になった場所で僧房の数も多かったといわれている。現在、登山道沿いにある石仏は、江戸時代末期の1861年頃、地元の人々により参道沿いに建立されたものである。

 苔生した石仏たちを拝みながら歩いていると、昔から山は、神仏が宿る庶民信仰の中心にあったことがよく分かる。
▲ラショウモンカズラ ▲新緑に映えるヤマツツジ
▲スダヤクシュ  ▲タチカメバソウとラショウモンカズラ ▲ヒメシャガ
台倉の坂(ババ落し)

 説明板によると・・・登山道一番の難所で、ここから眺める鬱蒼とした原生林は春の新緑から秋の紅葉まで四季を通してまさに絶景である。また、ババ落しといわれる断崖絶壁は「うばすて山」の悲しい伝説が、民話として残されている。最近、地元では「ジジ落し」と言われているとか?
▲鬱蒼とした原生林の中をゆく

 地図で見ると、天下森分岐から山頂までなだらかな稜線が続き、楽勝のように思う、しかし、実際に歩いてみると意外にアップダウンが大きく、さすが修験道の山だと痛感させられる。特に登山道は、雨と多くの登山者でぬかるみ、急な坂道は大変滑りやすく難渋した。山開きに参加した登山者の中には、転んでザックが泥だらけになっている人もいた。
▲天然秋田スギとブナの巨樹・・・神々しい森を仰ぎ見ながら歩く  
▲真っ直ぐ伸びた天然秋田スギと広葉樹の混交林
▲ホウチャクソウ ▲チゴユリ
▲サンカヨウの大群落
 山頂近くになると西風が強くなり、濃いガスが流れ先の見通しも悪くなる。昨年の秋田駒ヶ岳のような悪天候を思い出す。どうもおかしい・・・雨男、雨女は誰だろうかと考える。思うに、山の神様は女神で大のやきもちやき、自分より美しい人を見ると怒るらしい。
▲房住山山頂(409m)

 展望台からは東方に森吉山と奥羽山脈、西方には寒風山と日本海を一望することができるはずだったが・・・一寸先は闇のような状態であった。けれども休んでいるうちに天候は徐々に回復してくれた。山頂には、石仏が3つもあった。
▲二十一番聖観音 ▲番外二 阿弥陀如来(修験道の本尊) ▲番外三 大山祇命(山の神)

 江戸時代末に建立された三十三番観音と8つの番外の石仏が全て現存している山は極めて珍しい。加えて登山道沿いの天然秋田スギとブナなどの広葉樹林も素晴らしい。昨今は人智を超えた災いや困りごとも多い時代だけに、神仏にすがりたい方は、ぜひ房住山の巡礼登山をオススメしたい。昔から庶民の信仰が篤い「房住山」だけに、楽して拝む神社のパワースポットより遥かにご利益があるに違いない。  
▲サルトリイバラ ▲タニウツギ
長面三兄弟伝説・・・「房住山昔物語」

 1823年、菅江真澄は、房住山(三種町)に興味を抱き、田村麻呂伝説など「房住山昔物語」を記録している。平成23年に自費出版された「マンガで読む房住山昔物語」には、房住山(409・2メートル)周辺を舞台に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷の強者「長面三兄弟」を退治する伝説や町名の由来となった三種川にまつわるエピソード、房住山の寺院の歩みなどを収録している。

 史実では、坂上田村麻呂は秋田に来ていない。さらに、自分たちの祖先・蝦夷が賊・鬼で、それを滅ぼした敵が英雄という歴史観は受け入れがたい・・・なのになぜ、東北各地に田村麻呂伝説が多いのだろうか。これについては、いずれ「東北の基層文化を探る」で考えてみたいテーマである。
山の宗教

 「日本人にとって山登りはスポーツよりも宗教であった・・・山に登ることは苦行であって、この苦行によって罪やケガレを消滅させるのである。口先だけの懺悔でなくて、身をもって懺悔し贖罪(しょくざい)するのが山の宗教であった・・・

 山の宗教家である山伏は野性的な苦行によって、社会全体の代受苦を実践している。ここに修験道のバイタリティがあり、原始宗教の強靭な精神があるといえよう。それは・・・粗野ではあるが踏まれても蹴られても、くじけぬ庶民の強靭さをそのままあらわしている。日本の山はそのような精神を鍛錬する道場として、その宗教的機能を果たしてきたのである。

 ・・・日本人の庶民信仰は山の宗教を離れては成り立たない・・・行き詰った現代文化の原始への回帰が叫ばれている今日、もう一度山の宗教を想いおこすべき時に来ているように思われる。」(「仏教と民俗」五来重、角川ソフィア文庫)
参 考 文 献
「秋田の山歩き」(藤原優太郎、無明舎出版)
「仏教と民俗」(五来重、角川ソフィア文庫)
「マンガで読む房住山昔物語」(立松昴治、岩城紘一)
参考資料「伝説と信仰の山゛房住山゛」(秋田県森の案内人協議会)