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北国の春を彩るサクラPart1

サクラの歴史、日本の自然観・春は花、ソメイヨシノ、オオヤマザクラ、サクラの語源、サクラの歌・名言
  • 雪解けとともに春になれば、山野にはオオヤマザクラが咲き、公園や並木にはソメイヨシノなどのサクラが一斉に咲き乱れる。満開ともなれば、花の群れに包み込まれるほどの迫力・・・まるで春の精霊がサクラの木に舞い降りてきたかのような、神々しい風景に一変する。
  • サクラは、昔から歌に詠まれるナンバーワンの花である。だから、平安時代初期の頃から、ただ「花」と言えばサクラの花を指すようになった。今でも「花見」と言えば、サクラの花見のことである。(写真:大潟村「サクラと菜の花ロード」)
  • 奈良時代、花と言えば「梅」(写真:秋田市水心苑「梅」)
     奈良時代は、「花」といえばサクラではなく「梅」をさしていた。当時、梅は中国文人達に大変愛されていた花であった。遣唐使たちが薬用として持ち帰ったのが最初といわれ、白梅、ついで紅梅が入ってきている。大陸に思いを馳せる人々は、梅を愛でる文化に憧れ、万葉集では、梅の歌が118首に対しサクラの歌は44首に過ぎなかった。
     その後平安時代に国風文化が育つに連れて徐々にサクラの人気が高まり、「花」と言えば「サクラ」を指すようになった。
  • 平安時代以降、「花」と言えば「サクラ」へ(写真:千秋公園「サクラ満開」)
     サクラの宴を催す風習は、平安時代から始まった。「源氏物語」にも、貴族の文化として花宴が登場する。以来、「花」と言えば「サクラ」をさすようになった。やがて武士が台頭すると、花見の宴も春の行事として地方へ拡散していった。室町時代には、足利義満が様々な品種のサクラを観賞用に持ち込み、吉野山も今のような景観になったという。
     桃山時代になると、豊臣秀吉が吉野山、続いて醍醐の花見を盛大に開催している。以来、庶民の娯楽は、春になると吉野へ出掛けるのが定番になっていく。江戸時代になると、新しい都市の名所にサクラが植樹され、お花見は、小説、川柳、落語、絵画など、大衆文化の題材に欠かすことのできない存在になった。
  • 日本の自然観・・・春は花・・・(写真:日本国花苑「サクラの蜜を吸うヒヨドリ」)
  • 春は花/夏ほととぎす/秋は月/冬雪さえて/涼しかりけり(道元)
     この歌に出てくる「春は花」は、もちろん「春はサクラ」の意味である。春はサクラ、夏はほととぎす、秋はお月さんがいい、冬は雪・・・と、日本の四季の美を歌っている。この歌には、日本の自然観がよく表れているように思う。また、道元の弟子である良寛も同じような四季の美を歌っている。
  • 形見とて/何か残さむ/春は花/山ほととぎす/秋はもみじ(良寛)
     何も形見として残すものはないが、春になったら桜の花を楽しんでくれればいい・・・
  • 幕末にソメイヨシノが登場(写真:千秋公園「サクラと大平山」)
     江戸時代には、様々なサクラの品種改良が行われ、その図鑑が編集・刊行されるほどだった。幕末には、全国どこでも見られるソメイヨシノが売り出された。美しく生育が早いこの花は、たちまち全国に広まった。この品種は、オオシマザクラとエドヒガンの天然交配による自然雑種で生まれたといわれている。
     ちなみに、秋田のサクラの名所で知られる、にかほ市の勢至公園や仙北市角館の檜木内堤、秋田市千秋公園は、いずれもソメイヨシノが主役になっている。
  • 日本のサクラは300種以上、ソメイヨシノは8割(写真:日本国花苑「オオシマザクラ」)
     サクラは、バラ科サクラ属の中の一群で、ウメ、モモ、スモモなどがあり、そのうちのサクラ亜属をサクラという。日本のサクラの野生種は10種、栽培品種は250種とも300種以上とも言われている。しかし、私たちが目にするほとんどはソメイヨシノで、日本のサクラの8割を占めると言われている。故に、各地でサクラの開花観測の対象となっている。江戸時代にエドヒガンとオオシマザクラが関与して誕生したと考えられている。
  • 秋田の野生種の代表は「オオヤマザクラ」(写真:白神山地「オオヤマザクラ」)
     オオヤマザクラは、雪や寒さに強く、本州ではヤマザクラより高地で育ち、北海道に多いのでエゾヤマザクラとも言う。花や同時に開く若葉は赤みが強いのでベニヤマザクラとも呼ばれている。角館の樺細工は、オオヤマザクラやカスミザクラの樹皮を使っている。特にオオヤマザクラの樹皮は美しく、高級品として珍重されている。
  • サクラの語源(写真:大潟村「サクラのトンネル」)
     サクラの語源は、さまざまあるが、その代表は・・・「サ」は、早苗、早乙女といった耕作を意味する古語で、穀物の精霊を意味している。「クラ」は、神が座す場所・・・つまり雪が消えて春になると、穀物の精霊が最初に舞い降りてくる場所・・・それがサクラだという。一本のサクラが一斉に花をまとう姿は、春の精霊が舞い降りて、穀物が豊かに実ったような錯覚に陥るほどである。
     ちなみに秋田では「タウエザクラ」「タウチザクラ」「タネマキザクラ」など、農作業の指標とされていた。
  • 秋田のサクラ歌(写真:角館武家屋敷通りのしだれ桜)
    1. 春毎にしだれ桜を咲かしめて 京をしのびしという女ものがたり(斎藤茂吉)
       みちのくの歌人・斎藤茂吉は、佐竹家二代目の義明の妻が京都三条西家の出身で、京都をしのんで枝垂桜を植えたという言い伝えをもとに歌っている。現在450本ほどある枝垂れ桜の中で、162本が国の天然記念物に指定されている。武家屋敷通りの桜並木の90%以上は、「シダレザクラ」という品種ではなく、「エドヒガンザクラ」の変種であるという。
    2. 象潟の桜は波に埋もれて 花の上こぐ海士(あま)の釣舟(西行)
       西行法師は、桜花を愛した歌人で、サクラを詠んだ歌は数限りないほどある。西行が象潟を訪れた当時は、海に浮かんだ九十九島の絶景がサクラの花で埋まるほどだったのであろう。
  • 西行は、230首もサクラを詠む(写真:千秋公園「ソメイヨシノ」)
     年を経て 待つも惜しむも 山桜 こころは 春を尽くすなりけり
     散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき
     願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃
  • 1140年、23歳で出家した西行は、諸国を巡る漂泊の旅に出て多くの和歌を残した。中でもサクラに最高の美を見出し「散る=死」が生の極致にまで昇華していった。死は生への出発と感じた時、西行は究極の悟りに行き着いたと言われている。
  • 秋田美人の元祖・小野小町のサクラ歌(写真:日本国花苑「太白」)
     花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに(小野小町)
     長い雨のために、また物思いにふけって時を過ごしてしまい、花見ができなかった嘆きの一首。六歌仙の一人、小野小町の生まれは湯沢市雄勝町・・・今でも世界三大美人と言えば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町と言われるほどで、多くの伝承や伝説が全国各地で見られる。
  • 大学受験の合否電報(写真:井川町日本国花苑)
     ひと昔前、大学入学試験の結果を見に行けない地方の受験生のために、大学生がアルバイトで、いち早く電報で知らせてくれた。「サクラサク」「サクラチル」であった。その意味は、聞かずともお分かりであろう。
  • 動画「サクラとヒヨドリ」
  • 動画「サクラ(プリンセス雅)とヒヨドリ 」
  • サクラ名言(写真:角館武家屋敷通りのしだれ桜)
    1. 西回廊の入口に立つと、紅しだれ桜たちの花むらが、たちまち人を春にする。これこそ春だ。垂れしだれた、細い枝々の先まで、紅の八重の花が咲きつらなっている。そんな花の木の群れ、木が花をつけたというよりも、花々をささえる枝である。(川端康成「古都」)
    2. 花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき(林芙美子「放浪記」)
    3. 若者には未来が見えていない。だから必要以上に悩んだり、怒ったりして、お花見どころではない。・・・歳をとると、どうしても日本人になってきてしまって、気がついたら満開の桜の下で酒を飲んでいる。(赤瀬川原平「仙人の桜 俗人の桜」)

      (つづく・・・Part2は井川町・日本国花苑で撮影したサクラ図鑑)
参 考 文 献
  • 「桜の雑学辞典」(井筒清次、日本実業出版社)
  • 「フィールドベスト図鑑 日本の桜」(勝木俊雄、学研)
  • 「桜と日本人ノート」(安藤 潔、文芸社)
  • 「さくら百花事典」(婦人画報社)
  • 「サクラハンドブック」(大原隆明、文一総合出版)
  • 「桜が創った日本」(佐藤俊樹、岩波新書)

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