本文へスキップ

樹木シリーズ④ 秋田スギ

  • 日本三大美林・秋田スギ(スギ科)

     秋田県の木は、青森のヒバ、木曽のヒノキと並ぶ日本三大美林の一つ「秋田スギ」である。天然秋田スギの分布は、秋田県北部の米代川流域の中・下流部、雄物川流域に集団分布するほか、男鹿半島、秋田市仁別、森吉山、鳥海山などにも局部的に成立している。特に大正から昭和初期の頃、能代市二ツ井町七座山から上小阿仁村にかけての一帯は、樹高40mを超える天然秋田スギに覆われていた。また、日本文化は木の文化とも言われているが、中でもスギは日本固有の樹木で、かつ利用度も高いことから、「スギの文化」とも呼ばれている。
  • 名前の由来・・・スギは、日本にしか生育していない固有種で、学名は「クリプトメリア-ジャポニカ」。「日本の隠れた財産」という意味のラテン語。ちなみに秋田県森林学習交流館の名称「クリプトン」は、その学名に由来する。スギの名の由来は、色々な説があるが、真っ直ぐ上に伸びる木だから直木(すくき)の意味という説が最も有力である。ほかに、本居宣長が「古事記伝」の中で、ただ上へ進み上がる木という意味で「進木」という説などがある。
  • 漢字の「杉」は、尖った針の葉をもつ木だとの意味がある。 
  • ウラスギとオモテスギ・・・スギは、ウラスギとオモテスギに大別される。ウラスギは、日本海側の冬期多湿地域に生育し、耐陰性が強く、下枝が枯れ上がりにくいのが特徴である。そのため、雪の重みで下枝が下垂れし、地面に触れたところから発根して更新する伏条更新がみられる。オモテスギは、太平洋側の夏季多湿地域に分布する。
  • スギの生育適地・・・「尾根マツ、谷スギ、中ヒノキ」と言われるように、沢に近く、有機質に富み、湿潤で深い土壌でよく生育する。
  • 花 期・・・2月~4月に開花。雄花と雌花があるが、同じ木につく雌雄同株。スギは風媒花で多量の花粉を飛ばすため、開花期には花粉症の原因となる。
  • 雄花・・・雄花の表面は、魚のウロコのような形をした鱗片に覆われている。その内部には、花粉の入った袋、葯(ヤク)が幾つも入っている。雄花が成長し鱗片が開くと、葯が乾燥して破れ、花粉が出てくる。無数に出た花粉は、風に乗って飛び、そのごく一部が雌花に辿り着く。
  • 雌花・・・ほぼ球形で、鱗片が密着し、表面に小さな棘が出る。その中にある管のようなものの先に、透明な液体がにじみ出てくる。それで、飛んできた花粉を捕らえる。花粉は水を吸収して破裂すると、丸い精細胞が出てくる。これが雌花の卵細胞と出会い、やがて実を結ぶ。
  • スギ花粉症・・・秋田県の飛散時期は、3月中旬から4月。スギ花粉症は、雄花のスギ花粉が原因となって起こる季節性アレルギー性鼻炎のこと。症状としては、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、眼のかゆみ、喉の痛みなど。スギ花粉を防ぐには、飛散量の多い日は外出を控えるなど、花粉を回避することが一番である。 
  • 球果・・・長さ2~3cmの卵状球形で10~11月頃成熟する。12月頃には、それが割れて、中から小さな種子が出てくる。光沢のある褐色の種子は、扁平で軽く、風で運ばれる。 
  • スギの種子を食べる野鳥・・・ヒガラなどのカラ類は、樹上あるいは地上で採食することがあるが、渡り途中のマヒワ、カシダカは地上に落下した種子を採食することがある。
  • 樹皮・・・赤褐色で、縦に繊維状に長く裂ける。青っぽい粉状の地衣類がつくことがある。山中で一時的に使う小屋の屋根には、スギやサワグルミなど、その場で間に合う樹皮をはいで葺いた。
  • スギの天然分布・・・北は青森県鰺ヶ沢町から、南は九州屋久島まで広く分布しているが、現在はほとんどが植林による人工林。天然スギが見られるのは、秋田、富山、高知、屋久島などのごく一部でしか見られない。
  • 秋田県のスギ人工林面積、蓄積量とも全国一・・・秋田県のスギ人工林の面積は、約37万haと県土のほぼ1/3を占め、「人工林のほとんどはスギ」と言われるほど、面積、蓄積量ともに全国一を誇る。 
  • 秋田スギの特徴(写真:能代市二ツ井町歴史資料館)・・・裏日本系統のウラスギに属し、枝が細く老齢になっても成長を持続する。特に米代川流域のものは、明るく澄んだ肉食でツヤが良く、軽くて弾力性に富むなどの特徴がある。米代川流域で生産された天然秋田スギ材は、その優れた材質が賞賛され、昭和30年代をピークに全国に供給された。 
  • スギ材の特徴その1・・・真っ直ぐ伸びて成長が早く、材木があまり固くならないので加工しやすい。江戸時代前期に、縦挽きノコギリが急速に普及する以前は、スギを割ることによって角材や板材までを作ることができたので、古くから建築や家具づくりなど、利用価値の高い樹木であった。
  • ・・・柱材は、強くて節がなく真っすぐな木が良い。全国的にみても、植林したスギ材が多く使われている。山村の民家で床柱が設けられたのは、昭和に入ってからで、今のような豪華なものではなく、スギの丸太か、エンジュの丸太を挽き割った程度の粗末なものであった。
  • 床板・・・畳を敷く座敷部分には、軽いスギ板が主として用いられた。
  • スギ材の特徴その2・・・同じ針葉樹に属するヒノキやヒバなどと同じく、特有の芳香があるので、日本酒をスギで作った樽に貯蔵することによって香りづけを行う事もある。また、米を蒸すことは、その後の酒造りを大きく左右する重要な工程で、その酒米を蒸すための大きなスギ桶のことを甑(こしき)と呼び、今でも利用されている。 
  • めおと杉(秋田市仁別)・・・根元から分かれた天然秋田スギ2本が寄り添い、あたかも仲睦まじい夫婦のように見えるのが名前の由来。向かって左が「女木」、右が「男木」といわれている。樹齢200年~300年、幹周り12m、樹高36m。
  • 天然秋田杉の変異株「アオヤジロ(蒼弥白)」・・・アオヤジロは、針葉が黄色に近い独特な色で、その材は良質で特殊な芳香を放つため、古くは酒樽の材料として珍重されていた。しかし今では、そのほとんどが伐採され、繁殖力も弱いことから、次世代に残すべき希少種として管理する必要がある。平成20年、全国植樹祭(北秋田市北欧の杜)で数本のアオヤジロが植樹されている。
  • 菅江真澄とアオヤジロ・・・1803年6月17日(にえのしがらみ)、真澄は大館の町を去って長木川を渡る。「この水上は長木沢で、そこには大木が茂り合う深い山谷で津軽の国が近い・・・峰といわず谷といわず、そこには杉の大木がヒシヒシと生えており、アオヤジロという古い杉の木から沈香をとる。その香りが良いので秋田杉といって有名であると、人が語っていた。」と記している。今から200年余り前、良い香りのする「アオヤジロ」と呼ばれる秋田スギが有名であったことが分かる。
  • 桃洞スギ(佐渡スギ)原生林(森吉山系、北秋田市森吉町)・・・通常秋田スギは標高600~700m以下に分布しているが、桃洞スギは800~950mの豪雪高山地帯に分布する耐寒耐雪性品種として珍しいと言われている。  桃洞スギ、佐渡スギの名称は、群生する桃洞渓谷と佐渡谷地の地名に由来する。1975年、国の天然記念物に指定。
  • 特徴・・・日本海側の山地帯上部の群落を代表するブナ林、ネズコ、ヒメコマツ林、ミヤマナラ林などと混成し、峰筋のほか南面や西面の傾斜地など受光が良好なところに自生している。部分的に2~5本が群れになって成立し、伏状枝の発達しているところが特徴。
  • 和賀山塊の天然秋田杉(仙北市真木渓谷袖川沢)・・・和賀山塊堀内沢や斉内川支流袖川沢は、地形が険しいゆえに、今では希少となった天然秋田杉と広葉樹が混じり合った原生的な森を鑑賞することができる。沢沿いには、思わず記念撮影をしたくなるような天然秋田スギの巨樹が数多く林立している。ただし、道はなく、沢登りの装備・技術を要するので注意。 
  • スギカノカ(スギヒラタケ)・・・スギの古い切り株などに多数重なって発生する白いキノコは、秋田でスギカノカと呼ばれている。昔から、身近なスギ林で大量に収穫でき、味も良いことから特にお年寄りに人気が高かった。2004年、スギヒラタケが原因とされる急性脳症が多数報告され、今では毒キノコの筆頭にランクされているので注意!
  • 出雲大社にも使われたスギの巨木・・・2000年、地下祭礼準備室を造るために掘り返していたら、巨大なスギの3本柱が見つかった。年代測定などにより、これら巨柱群は平安時代末から鎌倉時代初め頃に造営された神殿であったことが判明。3本柱は、スギの巨木を金輪でまとめて1本の柱にしたもので、高さは48mあったと言われる壮大な神殿を支えていたのである。日本を代表する出雲大社の建築物もスギでできていたことが分かる。
  • 秋田スギの歴史その1(写真:仁別森林博物館)・・・奈良時代から平安中期にかけての建築物にスギがたくさん使われている。これは、昔からスギが至る所に生育していた証であろう。
    1. 秋田、岩手、山形の各地でスギの化石が発見され、530万年前にはスギが生育していたことが分かっている。だから、スギの郷土は、秋田をはじめとした東北地方であると推測されている。(写真上左)
    2. 733年に創建した秋田城址跡(秋田市)から出土した井戸にスギが使われていた。(写真上右)
    3. 801年に築造された払田柵(大仙市)の外郭線から出土したおびただしい角材のほとんどがスギ材である。
    4. 900年頃の胡桃館(北秋田市)の建築材料にスギが使われている。 
  • 秋田スギの歴史その2(写真:「伐木」秋田杣子造材之画、秋田県立博物館蔵)
    1. 1593年、豊臣秀吉が造船や伏見城建築の際に、天然秋田スギ材を献上させている。以来、その優れた材が認められ、本格的に利用されるようになったと言われている。
    2. 江戸時代になると、天然秋田スギの伐採が本格化し、幕府への上納、江戸への販売、城下への建築材として利用された。以来100年余りで大径木が伐り尽くされ、森林資源は枯渇の一途を辿った。九代藩主義和公の時代、「秋田スギの父」と呼ばれる賀藤景林は、三度目の林政改革を行い、250万本ものスギを植林。親子二代の努力で秋田スギの森の基礎をつくり上げた。
  • スギ文化(写真:大館郷土資料館)・・・スギは、家や家具、彫刻、工芸、樽・桶、船、下駄など用途も幅広く、日本人の暮らしの中に多く使われている。日本酒に香りをつけるため酒樽にも利用される。秋田スギは、酒樽として奈良県の吉野スギに劣らない。かつては、樹皮で屋根をふいたり、葉で線香をつくったりもした。 遺跡調査から、縄文早期より使われてきたことが知られている。スギは、日本で最も多く植林された木で、日本の文化を支えてきた木の代表である。
  • 天然秋田スギの特徴その2(写真:能代市二ツ井町歴史資料館)・・・年輪が揃っていて木目が細かく、美しく、香りが良い上に、伸び縮みが少ないため狂いが生じにくいなど、優れた特性を持っている。その特徴を活かした秋田杉桶樽、大館曲げわっばは、共に国指定伝統的工芸品に指定されている。 
  • 国指定伝統的工芸品「秋田杉桶樽」(写真:秋田ふるさと村工芸展示館)・・・桶や樽は古くから穀物の保存や水槽に使われてきたが、日本三大美林に数えられる秋田杉を活用した秋田杉桶樽は桶や樽として日本で初めて国指定の伝統工芸品となった。秋田スギを使った桶樽の歴史は古く、秋田城址からは平安後期と推定される桶が見つかっている。江戸時代には、藩の保護のもと産地が形成され、大量に生産された。昭和30年代までは、全国的に需要が伸びたが、合成樹脂製品が出現すると急激に減少した。 
  • 国指定伝統的工芸品「曲げわっぱ」(写真:大館郷土資料館)・・・大館の「曲げわっぱ」製品は、樹齢160年を超す天然秋田スギが使われている。秋田音頭にも唄われている「大館曲げわっぱ」は、古くから山村農家の副業として作られていた。もともとは杣夫(きこり)が作り、弁当箱として利用していた。曲げ物細工が商品として生産され流行したのは、文政年間頃からである。武士の内職として興り、弁当箱などの実用品だけでなく、茶道の道具なども作られ、秋田スギの伝統工芸品として有名になった。
  • 明るく優美な木肌と木目が美しい天然秋田スギを使った大館曲げわっぱは、昭和55年、国の伝統的工芸品に指定され、昔ながらの盆、弁当箱、茶器などのほか、コーヒーカップ、ジョッキ、テーブルなどの新しいデザインも数多く生産されている。 
  • 神が宿る木のナンバーワンはスギ(写真:羽黒山のスギ並木)・・・神が宿る「ご神木」は神社によって異なるが、一番多いのがスギ、次いでケヤキ、カツラ、クスノキなど。スギは寿命が長く、様々な木々の中でもとりわけ太く高くまっすぐに成長する。だから、神様は空高くそびえる杉の大木を伝って天上界から地上界へ降臨してくると考えられている。
  • 神社とスギ・・・神社や寺の境内、参道には、必ずといっていいほどスギの大木があり、一本杉、夫婦杉、三本杉など杉が信仰の対象にもなっている。スギは、日常生活を支える材木として、また信仰の面でも重要な役割を果たしていることから、日本文化を支えてきた木の代表といえる。 
  • 金峰神社のスギ並木(仙北市)・・・参道約150mの両側に樹齢400年以上のスギの巨木が81本並ぶ光景は圧巻。かつては、二つ目の鳥居から拝殿まで約650mにわたって同様の並木が続いていたが、太平洋戦争で軍用材として伐採されたという。残っていれば、必見の価値ある観光資源として脚光を浴びていたことだろう。それでも唐松神社のスギ並木と並び、秋田県を代表するスギ並木である。
  • 唐松神社のスギ並木(大仙市)・・・1680年に神社をこの地に移築した際、参道の両側に植えられた。推定樹齢100年~320年のスギが約60本あり、樹勢も極めて旺盛。幹周りが4mを超えるものもあり、樹高は平均30mに達するスギ並木である。右上の絵図は、菅江真澄が描いた「唐松神社のスギ並木」(秋田県立博物館蔵)
  • 菅江真澄絵図「菅大臣ノ社の大杉」(秋田県立博物館蔵)・・・大仙市板見内の菅原神社(現板見内神社)境内の神木・大杉を描き「周囲は6mほど」と記している。真澄は、板見内村の肝煎出原家六代の当主三郎兵衛と会い、肖像画を残すことを提案された。それを描いたのが三郎兵衛の妻の弟・武村文海と言われている。真澄の着衣には、菅大社の天神を尊ぶ意味を込めて、菅原道真の梅鉢の紋所が描かれたという。
  • 菅江真澄が描いた大杉の絵図(秋田県立博物館蔵)・・・左上が「天狗杉」(横手市山内大沢)、右上が筏の大杉(横手市山内筏) 。天狗杉は、幹回りが6m余りで、枝葉は皆逆さで、天狗の羽が垂れ下がる様を表しているとも、天狗が宿るとも言われている、と記している。
  • 筏の大杉で行われていた神事(菅江真澄記)・・・筏村の三十番神社の前の雪の上で、除夜更けて五穀豊穣を占う大松明の式がある。夜が明けると、去年この村に来た初婿が集まり、神社の神前で雪を踏みならして相撲が行われる。これも筏の上と下にわかれて争い、一年の良し悪しをを占うのである。神官が神前で油餅に火をつけて燃やし、これを村の家ごとに分け配るのは、疫病を避ける呪いであるという。
  • 菅江真澄「勝手の親杉」(秋田市太平黒沢・勝手神社)・・・「勝手の雄弓」の絵図の中に勝手神社のスギの大木が描かれている。その説明文に「としふる大杉」と書いたスギの大木は、地元で親杉と呼んで大切にしているものだという。しかし、現在は、右側の枝が落雷で欠落している。なお、黒沢地区は、「秋田のイタヤ箕製作技術」として重要無形民俗文化財(国指定)に指定されている村で、勝手神社は、その箕作りを生業とする神として崇められている。
  • 高尾神社里宮の大杉(秋田市)
  • 杉玉(酒林)・・・スギの葉を集めてボール状にしたものを杉玉、あるいは酒林と呼ぶ。造り酒屋の軒先に緑の杉玉を吊るすのは、新酒ができたことを知らせる意味がある。吊るされたばかりの杉玉は、まだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色へ。この変化が新酒の熟成の具合を物語ると言われる。
  • 起源は、三輪神社(奈良県)の神杉に由来する。崇神天皇の時代に、杜氏の祖先にあたるイクメが、三輪大社の神助によって一夜のうちに美酒を醸したという。その後、酒の神である三輪大社の霊威が宿る杉の枝を酒屋の看板とする風習が生まれ、軒先に杉玉を吊るすようになった。        
  • 屋敷林とスギ(写真:仙北平野、散居集落と屋敷林)・・・スギが屋敷林に利用された理由は、
    1. 秋田の気候風土に適していること。
    2. 強い季節風から住居を守り、夏は涼しく、冬温かな生活を送ることができること。
    3. 寿命が長く、屋敷林の役割を長年にわたって果たすことができること。
    4. 木材を多方面に利用できること。
    5. 平野の中で不足する家庭燃料として落ち枝を利用できること。
    6. スギを主とする散居集落の景観は、遠望すると大変美しい。
参 考 文 献 
「山渓カラー名鑑 日本の樹木」(山と渓谷社)
「葉っぱで見分け 五感で楽しむ 樹木図鑑」(ナツメ社)
「読む植物図鑑」(川尻秀樹、全国林業改良普及協会)
「秋田スギと非皆伐施業」(武田英文ほか、秋田県林業改良普及協会) 
「樹木観察ハンドブック 山歩き編」(松倉一夫、JTBパブリック)
「菅江真澄遊覧記」(内田武志・宮本常一編訳、平凡社)
「菅江真澄読本3」(田口昌樹、無明舎出版)
「日本の樹木」(舘野正樹、ちくま新書)
「植物民俗」(中澤武、法政大学出版会)
「図説 日本の樹木」(鈴木和夫・福田健二、朝倉書店)
「花と樹木と日本人」(有岡利幸、八坂書房)
「野鳥と木の実と庭づくり」(叶内拓哉、文一総合出版)
参考・・・仁別森林博物館、大館郷土資料館、能代市二ツ井町歴史資料館、秋田ふるさと村工芸展示館