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緑の遺産① 風の松原

  • 風の松原は、日本海の強風、飛砂、津波から木都・能代を守り発展を支えてきたクロマツの海岸砂防林である。幅1km、総延長14km、面積約760haに広がる700万本もの松林は、日本一大きい松原である。
  • 虹の松原」「天橋立」「三保の松原」「気比の松原」と並び、日本五大松原の一つ。
  • 風の松原散策MAP(能代市観光振興室)
    1. トリムランニングコース 一周2km、徒歩約40分
    2. サイクリングコース 一周6km、徒歩約120分
  • 健康づくりのみち 全長3.6km、うち木材チップ3km
    1. 鳥居コース 3.4km、約40分
      鳥居前(現在地)12115719鳥居前(現在地)
    2. 陸上競技コース 3.3km、約40分
      陸上競技場17512現在地陸上競技場
    3. サンウッドコース 2.9km、約35分
      サンウッド 96511109 サンウッド
  • 木材チップを敷き詰めた「健康づくりのみち」・・・フカフカして足への負担が軽く、大変歩きやすい。  
  • 問い合わせ先
    ○風の松原案内所「サン・ウッド能代」 0185-52-3121
     風の松原の歴史や松くい虫等に関する情報をパネルで紹介。
     無料レンタサイクル、休憩所として利用できる。
    ○風の松原ガイドの会 通年、ガイド1人で10名、1時間~要予約 0185-54-5092(安達)
    ○能代市観光振興課 0185-89-2179
    ○米代西部森林管理署 0185-54-5511
  • 司馬遼太郎「風の松原」(「街道をゆく29 秋田県散歩/飛騨紀行」)
     能代へゆき、海岸の松原を見た。
     これも雄大な海岸林だった。
     森の中に二車線の道路が通っているほどで、森の厚味は、道路の両側とも、むこうが透けてみえるというようなものではない。
     地面に古くからの落葉が堆積している。かつてここが海岸砂漠ともいうべき砂地だったとはおもえないのである。林間を歩いていると、靴底に落葉のクッションを感じた。足もとに、ハマナスのピンク色の花がゆらいでいる。
     「交響楽がきこえてきそうな感じですね」
     詩人でもある須田画伯が、つぶやいた。
▲イメージ写真(海岸林再生植樹祭H25.10.19)
  • 司馬遼太郎「砂防林をつくった先人」(「街道をゆく29 秋田県散歩/飛騨紀行」)
     能代の海岸林は(栗田定之丞より)ずっと先輩になる。能代の越後屋太郎右衛門という町人で、私財を投じてやった。
     正徳元年(1711)から二十二年の歳月をかけて、この植林をやったという。越後屋はこの社会事業を世襲のようにしてやり、その後も工事をつづけたらしい。
     越後屋のやりかたは、最初は丸太をうちこみ、スノコの垣をつくって砂どめをした・・・その後、草のたねをまき、次いでグミやハマナス、柳などを植え、しかるのちに松などを植えるという点では、のちの定之丞のやり方と同じである・・・いずれにしても、秋田における最大の先人といえるのではないか。
  • 能代は、飛砂の被害が大きく、何を植えても野に代わることから、かつては「野代」という地名であった。(イメージ写真は「緑の遺産 秋田の砂防林その1」より)
  • 菅江真澄「能代と書き改めたいきさつ」(「雪の道奥雪の出羽路」)
     1694年の地震で家々がすっかり崩壊し、多くの人が死んだ。それから十年後、1705年4月、また地震が起こった。たくさんの家が倒れて人々は泣きまどい、これは情けない世のありさまだと心配しあった。それで、ここの村の名も野と代わるという文字は良くないからと、能代(よくかわる)と書き改めたいと、越前屋久右衛門という者が申し出たので・・・能代と書くようになった。
  • 菅江真澄「医者長尾祐達」(「雪の道奥雪の出羽路」)
     (海岸砂留策を)考えついたのは、(1670年頃)医者長尾祐達という人であった。
     ・・・鹿津村の病家から迎えの人が来たので、この米代川の氷の上を雪舟に乗って渡ろうとした。人々は「氷が危ない、もう岸の所が解けている、おやめなさい」と、しきりに止めたが、祐達は「わたしが行かなければ病人は死ぬであろう、さあ、そりをひけ」と、無理に曳かせた。
     ・・・氷が破れてソリもろとも水中に落ち込んで・・・医者は死んでしまったそうだ。その昔話を聞きながら、ひとりでに涙が流れた。
▲イメージ写真は「緑の遺産 秋田の砂防林その1」より
  • 菅江真澄「飛砂の被害と砂防林に尽力した先人」(「雪の道奥雪の出羽路」)
     日和山の峰も尾根も松が多い。その理由は、昔は西風が少したっても砂を吹き上げて、家々の窓に吹き込み、それで往来も絶えるほどだったので、人はみな、これで困っていた。
     宝暦(1751-1764)の頃、能代に住む白坂新九郎、鈴木助七郎という二人の武士が、この事情を奉行所に訴えて、大勢の人を動員して砂どめに松をたくさん植えさせた。
     そして後には、般若山の尾根ごとに、ぐみの木、ネムノキなどを人々が植えて、強風が四方から吹き起っても、砂が飛ばされる心配がなくなったという。その功績は長く記念されるべきである。
▲司馬遼太郎が「秋田における最大の先人」と讃えた栗田定之丞  ▲栗田定之丞を神として祀っている栗田神社(秋田市新屋)
  • 砂防林の神様その1 栗田定之丞
     1797年~秋田藩士栗田定之丞は、砂留役兼林取立役として山本郡八森町から秋田郡野石村までの十五の村を指導して、約50km間の海岸にマツ苗数百万本を植え付けることに成功した。
     その後、秋田郡中野村から河辺郡百三段新屋村に至る砂丘一帯にマツ苗約三百万本を植え付けることを指導し、1820年にほぼ完成したといわれる。秋田市新屋の人たちは、彼を神として祀り栗田神社を創建した。 
  • 栗田君遺愛碑
     その沿革には・・・
     「今から200年ほど昔、新屋村では、冬の北風で家や田畑が埋もれ、村が亡ぶのではないかと思われるほどだった。江戸時代の終わり近く、栗田定之丞は藩の命を受け、新屋や能代の海岸に村人たちと力を合わせて300万本といわれる砂防林をつくられた」

▲賀藤景林を神として祀る景林神社(能代公園内)
  • 砂防林の神様その2 賀藤景林
     1822年~秋田藩木山方賀藤景林が砂防林の造成に着手し、1833年までに76万本のマツ苗を植栽した。景林没後、子息景琴が父の意志を継承し、1859年までに30万本のマツを植栽。親子二代で植えたクロマツは100万本を超え、能代町民を飛砂の被害から救った最大の先人である。 
  • 賀藤景林を神として祀る景林神社は、能代公園の松林の中にある。1850年、彼の遺徳を慕って地元有志が石碑を建立したのが始まり。景林没後百年忌に当たり、石碑が現在地に移され、景林神社が創建された。毎年4月29日の例大祭では、市や林業・木材関係者らが参列し、景林の功績に感謝するとともに、木都・能代の発展を祈念している。
  • 風の松原植栽300年祭
     1711年、廻船問屋越後屋太郎右衛門がクロマツを植栽してから、2011年で300年の節目を迎えた。その年の9月に、「風の松原植栽300年祭」が盛大に開催された。「水場」付近に「風の松原植栽300年記念」の標柱と、その時植栽されたマツが池の周りに植えられている。
  • 記念標語
    時をこえ 先人の声が 風になる 松原のかがやき いつまでも」(渟城西小学校6年、三洲小町)
    能代市民 守られ続けて300年 感謝の気持ち 松原に」(能代第一中二年 佐藤愛純)
▲モニュメント
▲散策マップは分岐点ごとに設置され、初めてでも迷わず散策できる。
  • 風の松原6冠(右の写真)
    1. 21世紀に残したい日本の自然100選(森林文化協会・朝日新聞社 1983)
    2. 21世紀に引き継ぎたい日本の名松100選(日本の松の緑を守る会 1983)
    3. 森林浴の森日本100選(緑の文明学会・緑の文明総合研究所 1986)
    4. 21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松100選(日本の松の緑を守る会 1987)
    5. 日本の音風景100選(環境庁 1996)
    6. かおり風景100選(環境省、2001)
▲水場に咲くコスモス ▲いこいの広場
▲茶屋(自動販売機) ▲トイレ
▲フィールドアスレチック 
  • 大森稲荷神社・・・風の松原「いこいの広場」の奥にあり、商売の神様、山の神様として、林業や商業関係者の信仰を集めている神社。毎年旧暦5月の例大祭の時には、「運のそば」がふるまわれるという。この神社の右手から木材チップを敷き詰めた「健康づくりのみち」がある。
▲木漏れ日が散歩道に斑模様を描いて降り注ぐ
▲力強いクロマツ
▲健康づくりのみちの標識 ▲ベンチ
▲深まる秋
▲南北に長い砂丘地の松原(サイクリングコース) ▲サイクリングコースの標識
▲ニセアカシア
  • 緑の遺産・風の松原の継承
     1999年、松くい虫による松枯れが発生、ニセアカシアの侵入など、その被害は深刻である。毎年4月には、市民・企業・団体・高校生など多くの参加を得て「風の松原を守る市民ボランティア大会」が開催されている。松くい虫被害の発生源になりうる松の枯れ枝拾いやゴミの収集が行われている。
     また、松くい虫予防剤の樹幹注入や病原の線虫を運ぶマツノマダラカミキリの駆除、ニセアカシアの芽欠き作業、伐採した松を炭にするなど、官学民挙げた取り組みが行われている。
▲風の松原を守る市民ボランティア大会
▲ガマズミ ▲松の陰にリス
▲サンショウ ▲幹の右上にリスの尻尾 ▲マムシグサ
  • 風の松原で見られる動物・・・リス、ノウサギ、キビタキ、オオルリ、イソヒヨドリ、カワラヒワ、コルリ、ジョウビタキ、シマノジコ、コマドリ
  • 植物・・・マイズルソウ、ハマナス、オオアマドコロ、ミツバアケビ、クサノオウ、オオイヌノフグリ、キタコブシ、ナニワズ、カキドオシ、オオバヤシャブシ、カスミザクラ、シャク、ガマズミ、エゾツリバナ、サンショウ、マムシグサ、アキグミ、マルバフジバカマ
  • ちょっと寄り道「日和山~能代公園」・・・能代公園は、桜やツツジの名所として市民に親しまれている。公園内の樹間から白神山地の山並みを望むことができる。神となった先人を祀る景林神社にもぜひ参拝してほしい。
▲能代公園~日和山散歩道
  • 五輪塔・・・向能代の徳昌寺民道和尚が、1777年に、イワシ供養のために建立したと伝えられる。当時、能代浜ではイワシの豊漁が続いていたが、和尚は漁民たちの仏心を育てようと考え、五輪の塔を建立して魚類供養と大漁満作の祈願祭を行うことを訴えたところ、漁民たちも賛成したという。
  • 日和山方角石・・・日和山は北前船時代に、その日の空模様を見るために使われた丘のことで、その頂上付近に方角を見るための方角石が置かれている。文化年間(1804-17)、川上久三郎が設置した。これは、1804年に設置された石川県輪島市の方角石に次いで二番目に古い。
参 考 文 献
「街道をゆく29 秋田県散歩/飛騨紀行」(司馬遼太郎、朝日文庫)
「菅江真澄遊覧記4」(内田武志・宮本常一、平凡社)
「緑の遺産 秋田の砂防林その1」(秋田県林業コンサルタント)
「風の松原」観光パンフレット(能代市観光振興課)           

緑の遺産① 緑の遺産② 緑の遺産③ 緑の遺産④ 緑の遺産⑤ 緑の遺産⑥ 先人① 先人②